最近、風呂の鏡で胸のあばら骨が目立つようになり、ガクゼンとしています。10年以上毎朝ストレッチをしていて、その際に腕立て伏せを100回ほどしているのですが、最近はそれもあまり効果がないのか、腕の筋肉も何となく張りがなくたるんだ感じになってきています。タニタの体重計でも、かつてはBMI値(体重kg/身長m/身長m)がチョイ太の23~24あったのが最近は21に近く、また体脂肪率も10を切る有様で、「人生も終わりに近づくと脂肪組織が細って痩せていく」と云いますが、いかんともしがたい加齢に悲哀を感じています。
ところでわが家はこれまで、どちらかといえば菜食主義というか「伝統的和食」風の食事を主とし、肉食をあまりしてきませんでした。桜沢如一が世界に広めた「マクロビオティック」(玄米菜食)の考え方に賛同し、その流れを汲む人たちの、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)的考え方が正しいと信じてきたからです。しかし糖質制限食という全く逆の考え方があることにショックを受け、また自身の身体の変化から、「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)という本を買って読んでみました。するとさまざまな地域で百寿者(100歳以上の高齢者)の調査を行った結果、いずれの地域でも長寿者は若い世代の人たちより肉を多く食べていて、その結果、脳卒中の減少、認知症・うつ・寝たきりの予防に役立っていると云うのです。私たちの身体に最も大切な栄養素であるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできていて、多くは体内で合成されますが9種類は合成できず、「必須アミノ酸」として食べ物から摂る必要があります。この時「アミノ酸スコア」といって、その値が100に近いものほど必須アミノ酸のバランスがよいという指標があり、それによると牛乳・卵・肉・魚は100、大豆は86、玄米は68、精白米は65、小麦粉は44で、肉は人間の身体のアミノ酸構成に近く食べたときに無駄がないため、余分なアミノ酸の処理に臓器を酷使する必要がなく、身体の負担が減ってよいのだと云います。この考え方は対象がアミノ酸で糖質とは違いますが、結果的には糖質制限食に近い考え方となり、玄米菜食とは程遠いものと云えます。
この本を読むうちに「長生き」ってなんだということになり、インターネットで1891年(明治24年)以降の平均寿命の変化を調べてみました(右図)。すると平均寿命が顕著に伸び始めるのはなんと昭和に入ってから(~1926年)のことで、それまでは男女とも「45歳」がせいぜいで、「50歳」を超えるのは戦後初の国勢調査が行われた1947年(昭和22年)以降であることが分かりました。戦後の一時、「戦死」の要素が無くなり大きな上昇がみられますが、1950年代半ばからは上昇傾向が緩やかになり、その流れのまま今日に至っていると云えます。つまりグラフを見る限り日本の伝統的和食が長寿につながっていたとは考えにくく、一方、日本人の食生活が大きく変わったのは東京オリンピック後の1965年と云われ、これを境にコメの摂取量が減り、代わって肉類と牛乳の摂取量が増えたと云われますが、しかしこれもグラフを見る限りその影響を読み取ることはできません。むしろ日本の医療費の急増が始まったのはこのころからです。平均寿命には案外、レジャー、スポーツ、自由などと云った「平和的要素」が大きいのかもしれません。
ところで以前、こんな話しを聞いたことがあります。明治政府の招へいで日本に30年間滞在し、ドイツ医学を伝授したベルツ氏があるとき二人の人力車夫を雇い、三週間毎日、40キロを走らせたそうです。車夫の食事は米、麦、粟、ジャガイモなどの低タンパク、低脂肪の粗食だったので、氏はドイツ栄養学を運用すべく肉を食べさせたそうです。すると結果は二人とも疲労がはなはだしく募り、走破が不能になったと云います。そこで食事をもとの粗食に戻したところ、元通りに走れるようになったと云います。続いて氏は馬車と人力車とどちらが速いか、東京から日光までの100余キロで競わせたそうです。結果は馬車は馬を6回取り替えて14時間、人力車は一人で14時間半だったそうです。車体の重量差を考慮する必要がありますが、当時の車夫は馬並みの馬力を持っていて、ベルツ氏は一見「粗食」に見える日本食の威力に脱帽したと云います。
ところで先ほど触れたアミノ酸スコアによると大豆も精白米も100に届かず、数値的には肉より劣ることになります。しかし両者はお互いに相手の不足するアミノ酸を補完する関係にあり、大豆(大豆食品)と精白米(ごはん)を一緒に食べるとスコア的には100を満たすことになるそうです。ということは、肉をご飯と一緒に食べるとかえってアミノ酸に過不足が生じ、それが「肉は食べるな」という結果につながっているのかも知れません。
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