2013年10月27日日曜日

へどろの調湿パワー

 阿蘇海のへどろにはすばらしい吸湿/放湿特性があり、床下調湿材としての性能実験では、市販の調湿材(天然ゼオライト)より優れた性能を示すことが分かっています。わが家では100℃で乾燥した0.5~1cm角のへどろ塊300gを紙の箱に入れ、流し台の下にもう3~4年置いていますが、臭いも変質もまったくなく(近づけるとかすかに磯の香りがします)、わりと清潔好きな家内も文句を云わずに使っています。そして以前は「流し台の下が湿気る」と云って中のものを取り出し、よく流し台の下を掃除していましたが、いまはときどき天気のよい日に扉を開放しているか、へどろ塊を天日干ししている程度で、中のものを取り出して掃除することはめったに見かけなくなりました。
デシケーター(左;へどろ、右;壁土)
ところで市内の建築屋さんから、「しっくいより吸湿性のある壁土で夏は涼しく、冬は暖かいエコ住宅の建築を行っている」とのお話しを聞き、早速その壁土を頂いてへどろとの吸湿性の比較を行ってみました。最初、湿度75%に保持したデシケーターに100℃で乾燥した壁土とへどろの粉を入れ、毎日所定の時間に両者の吸湿量を測定しました。途中から両試料をデシケーターから取り出して室内に放置し、引き続き両者の吸湿量を測定しました。吸湿率(吸湿量/乾燥試料量)(%)の測定結果は下図の通りで、へどろが非常に大きな吸湿率変化を示すのに対し、壁土はほとんど吸湿せず、測定誤差程度の変化しか示しませんでした。参考までに室内の相対湿度(%)を付記しましたが、へどろは見事なほど室内湿度に応じて、吸湿/放湿を繰り返すことが分かります。建築屋さんから頂いたパンフレットによると、頂いた壁土を塗った部屋の温度はビニールクロス壁の部屋に比べ、夏は3℃前後低く、冬は3℃前後暖かいのだそうです。この理屈はよく分かりませんが、もしこれが吸湿性によるものなら、へどろをほんの1~2%混ぜるだけでも、サーマル効果の大きく改善されることが期待できます。また、室内/室外の空間で結露が心配されるようなところにも、大きな用途があるように感じます。

壁土とへどろの吸湿率



2013年10月21日月曜日

「エコの環」の中間報告

 
 日本はこれからますます高齢化が進み、高齢者の命綱である社会保障制度(年金・医療・介護)も、消費税をアップしないと立ち行かない状況にあります。高齢者も世の中を支えてゆかねばならない時代になったと云えます。
 私たちはいま地元の小学校区で、生ごみ循環システム「エコの環」を高齢者の「葉っぱビジネス」にできないか、その仕組みづくりに取り組んでいます。地区内で発生する生ごみを野菜づくりに利用し、「無化学肥料」、「無農薬」、「無畜糞堆肥」の安心・安全な野菜を育て、地区の健康づくりに役立てようとするもので、高齢者にとって健康的で負担も小さく、よき社会貢献策になると考えています。一方、TPPへの参加は日本の農業を壊滅させ、食糧の安全性が損なわれることが心配されています。外国の大量生産、あるいは低賃金に支えられた農業に対抗するにも、案外こうした葉っぱビジネス(小銭稼ぎ)による農業が有効かも知れません。そんな意気込みでいま仕組みづくりに取り組んでいます。
 今年の8月に新たに生ごみ処理機「たいぞう君」を1台増やし、いまは全部で4台の処理機を4人のボランティアが動かし、月に600kgほどの生ごみを処理しています。そしてできた堆肥を使って6人ほどが露地栽培を行っています。下図は昨年度と今年度の野菜販売額の推移を比較したものです。お盆休みで2回出荷を休んだのと、3人ほどが腰痛で動けなかったことが響き、今夏は販売額が少し伸び悩んでいます。しかし受取額が月に10,000円近い野菜栽培者も2人おられ、「非常に大きな励みになる」と喜んでもらっています。ただ、当地区は田舎で、野菜を自家用に作っておられる方が多く、また、余った野菜を近所に配ったりされるため、地元での野菜販売には苦戦しています。価格的に決して高くなくても、また、いくら「エコの環」野菜のメリットを伝えても、それだけでは買ってもらえないからです。しかし少人数ですが「エコの環」野菜を美味しいと云って買って下さる固定客もおられ、今後はこうした人をいかに増やしていくかが課題です。野菜販売額の4割ほどがNPOの取り分であり、月に10万円ほどの売り上げが確保できれば、少時間のパート雇用も可能になり、そうすれば生ごみの収集・処理量をもっと増やすことができ、野菜の栽培・出荷量も増加できることから、いまはこの10万円を最低限の目標に頑張っているところです。

野菜販売額の推移

2013年10月8日火曜日

感性だよ!

 小泉元首相の「脱原発」に関する講演が大きな話題になっています。小泉さんもかつては原発推進派の立場にあり、今回の発言は安倍政権の方針と真っ向対決する内容だけに、問題は大きいと云えます。小泉さんの原発への疑問視はやはり福島第一原発事故がキッカケのようで、今夏訪れたフィンランドの「オンカロ」核廃棄物最終処分場の見学が、脱原発を確信させたようです。方針転換の理由を問いただす記者に対し、小泉さんは「感性だよ」と答えたそうです。いかにも小泉さんらしい答弁ですが、わたくし自身はこの答弁に一縷の望みを託したい気がしました。
「常識」という言葉があります。わたくしは社会に出たころ先輩たちに「そんなこと常識だろう」とよく怒られ、「常識ってなんだ」と悩んだことがあります。辞書によれば「一般人が持っているべき標準知識」ということになり、極めて普遍的な意味合いを持ちますが、当時のわたくしにはどうも腑に落ちないことが多かったからです。そして英語の「Common Sense」なら納得できるように思いました。つまり「共有する認識・感覚」なら自分が所属するグループ、会社、地域社会、それぞれにCommon Senseがあるわけで、だから「永田町の常識は社会の非常識」と云われたり、「原子力ムラ」という強い集団の常識があったり、あるいは「JR北海道」のようなずさんな常識もあり得るわけです。つまり常識とは決して普遍的なものではないのです。しかも常識はそれぞれに長い年月、経験、利害、しがらみなどで培われたものなので、凝り固まったものとなり、傍からは異常としか思えないことでも当事者たちには真っ当な常識であり、声の大きい集団の常識の方が影響力も大きいわけです。だからわたくしは政府が各界の有識者を集めて開く多くの諮問会議に、いつも疑問を感じています。それぞれの有識者がそれぞれの常識に則った意見を述べても、そこから新しい発想が生まれるとは信じがたく、結局は所轄省の常識に則った役人が、声の大きい団体に配慮しながら常識的資料をまとめ、一件落着ということになりかねないからです。そこに本当に必要なのは宝石となる原石を見つける「感性」であって、感性こそが常識という凝り固まったものをぶち壊し、新たな進路を切り開くと考えるからです。しかし感性というのは一種の才能であり、しかも原石を磨くには力もいります。感性のある実力政治家に期待する所以です。
 ところで東電の事故対応を見ていると、すべてが後手後手にまわったやっつけ仕事で、これが原発の安全神話を作り、国家をリードしてきた人たちのすることかと思うことがあります。しかしいまから20年近い前の話しですが、ロシア船籍「ナホトカ号」が丹後半島沖で座礁し、大量の重油が近くの海岸に流れ着いたことがあります。大勢のボランティアがかけつけ重油処理に当たりましたが、そのときある現場の町長が、「月に人間が行く時代に、重油処理をするのに”ひしゃく”しかないのか」と嘆いておられました。しかし人間の力とは所詮こんなもので、何事もないときは自然の力を凌駕するようなことができても、一つ不測の事態が発生すれば泥縄式のことしかできないことを、わたくし達は肝に銘ずるべきだと思います。そして自然の前にもっと謙虚であるべきだと思います。

2013年10月3日木曜日

減糖

 甘党、辛党という言葉があります。甘いものとお酒のどちらを好むかを聞くときに使われます。ピリッとしたアルコール味を好む人は概して辛いものが好きなことから、お酒好きな人を辛党と呼ぶようです。わたくし自身は両刀遣いで、かつては甘い菓子もよく食べ、コーヒーなどは砂糖を入れるものとして飲んでいました。しかし年齢とともに虫歯がアチコチにでき、あるときあんこ入りのまんじゅうを食べると虫歯に激痛が走り、やはり甘いものは歯に悪いのだと気づき、以後、歯のために甘いもの(砂糖)は極力控えてきました。しかし砂糖は単に歯に悪いだけでなく万病の元であると、最近、「砂糖の害」を訴える記事をよく目にします。糖尿病を始め、アトピー、精神異常、痴ほう、肝臓・心臓障害、便秘等々、まさにほとんどの現代型疾患との関わりがあるようで、昔に比べると砂糖にあふれたいまの世の中、害が叫ばれても致し方ない気もします。
人間を惑わす砂糖
学生のころわたくしは一人で山登りに出かけ、途中で身体がへばり、足が一歩も前へ踏み出せない状態になったことがあります。どうしたのだろうと最初はビックリしましたが、「これはシャリバテだ」と気が付き、持っていた甘い菓子を食べたところ、それこそ何ごともなかったかのように、すぐに軽快に歩けるようになったことを覚えています。われわれは脳を始め、身体を動かすエネルギー源にブドウ糖(グルコース)を使用しますが、砂糖はブドウ糖と果糖が結びついた簡単な構造のため、食べるとすぐに腸から吸収されて血中に移行するため、シャリバテしたようなときには甘いものが有効なのでしょう。しかしブドウ糖はご飯などの糖質(でんぷん)から得られるため、砂糖自体は決して必須の食べ物ではありません。しかも食品の糖質の吸収速度を表すのにブドウ糖(100)を基準にしたGI値というのがあり、これによれば食パンは91、白米は81、玄米は54ですが、値の大きいものほど早く分解吸収され、血糖値を上げるスピードが速い反面、消耗も速いと云われます。つまりGI値の小さいものの方がゆっくり血糖値を上げ、腹持ちが良いのに対し、砂糖などはそれこそ「ゲリラ豪雨」的に血糖値を上げるため、栄養剤としては決して好ましくないわけです。しかし甘いものには幸福感を与えてくれる面があり、三時のおやつとか食後のデザートなど、一時の至福を得るのに欠かせないのも事実です。したがって砂糖の利用が茶菓子など限定的であればよいのですが、いまはほとんどの食品に砂糖が使用され、しかも料理番組などでも砂糖は使うのが当たり前のようにして使用され、素人目にも「料理のプロなら、なぜ食材本来の甘みを活かす調理法を教えないのだろう」と、不思議に思うことがあります。生ごみ堆肥で育てたカボチャとかジャガイモなどを食べると、「野菜ってこんなに甘いのだ」と感じることが多く、料理に砂糖を使う理由が分からないからです。身体にとって必須栄養素である塩分には「減塩」が叫ばれるのに対し、必須でない砂糖にはなぜ「減糖」が叫ばれないのでしょう?
 ちなみにわが家ではコーヒーを飲むとき、自然塩を一つまみ入れて飲みます。味が引き締まってとてもおいしく、いまでは砂糖など入れる気になりません。