2015年3月29日日曜日

獣害

かじられたブロッコリー
シカの足跡
先週のこと、近所の奥さんで家内と一緒に「エコの環」野菜を作っている人が、「またシカにやられた」と駆け込んで来られました。家内たちは3か所の畑で野菜づくりを行っていますが、その内の2か所は従来から獣によくやられ、とくに人家から10mほど離れたところにある畑Aは、シカ用のネットで四面を囲い、有刺鉄線も張っているのですが、ネギ、明日葉、小松菜、エンドウなど栽培していた野菜を全部やられ、ショックを受けていたところに、今度は人家の間にある畑Bでのことです。出かけてみると白菜、ブロッコリー、ニンニクの葉などがきれいにかじられています。白菜、ブロッコリーはやっと成長して出荷できるばかりのところを、食べごろを見計らっていたシカにうまく横取りされた格好で、じだんだを踏む思いでした。どうも山に面したところから入ってきたようで、そこはトタン板で1.6mほどの防御壁を作っていたのですが、シカは少々の高さは飛び越えてしまうようです。早速、そのトタン壁の上にさらにネットを張るハメになり、ついでに人家側の2面にもネットを張りましたが、畑AといいBといい、まるで動物園のオリの中で野菜づくりをする恰好です。
 獣害といえば、果物は生き延びるのに「獣に食べられたい」とする道を選び、野菜は「食べられまい」とする道を選んだと聞いたことがあります。植物は日照を奪い合って生きているため、果物にとって実が親木の近くに落ちてそこに芽を出すことは、繁殖という点で好ましくありません。そこでできるだけ目立つ色と甘い香りを放って動物を引き寄せ、動物に種ごと食べてもらって、遠く離れたところに糞と一緒に種をまいてもらう道を選んだというのです。そのため種は食べられては困るので、噛むとひどく苦味のするシアン系の毒物を含ませているといいます。一方で野菜は、「シュウ酸」のアクで消化不良を起こさせたり、苦味で虫や草食動物を寄せ付けなかったり、生食すると口の周りがかゆくなったり、のどがいたくなったりして、食べられないよう身を守っているそうです。ネギ、玉ネギ、ニラ、ニンニクは「アイリン」という成分が腐敗臭、刺激臭を発して外敵から身を守り、タケノコは「チロシン」が苦味を発してイノシシを撃退すると云います。ジャガイモの芽には「ソラニン」、豆には「レクチン」という毒があり、野菜を調理する本来の目的は、こうした毒やシュウ酸のアクを消すことにあるそうです。こうしたことを考えると、私たちの「エコの環」野菜はそうしたアク、苦味以上に甘みがあって美味しかったのか、あるいは襲ったシカはアク、苦味が分からないほど飢えていたのか?

南雲吉則;空腹が生き方を教えてくれる、サンマーク出版、2013






2015年3月23日月曜日

溝尻の舟屋

 天橋立の内海、阿蘇海に面する「溝尻の集落」には、伊根ほど知られてはいませんが「舟屋」(船のガレージ)があります。先日、そこを見学するちーたびがありました。溝尻は私が京都北都信用金庫を始め多くの方々の支援を受け、2002~2005年にかけ阿蘇海のへどろから人工ゼオライトを合成する実験を行っていたところであり、また、ちーたびのチラシに載っていた案内人の2人の船長はよく知っている人たちで、ついなつかしく家内と一緒に出掛けてきました。参加者は15名ほどで丹波篠山、西宮から来ておられる人達もいて、「海」には何か人を引き付ける郷愁のようなものがあるのかと感じました。
実験をやっていたころ、舟屋は度々陸側から見ていましたが、海側から船で見るのは今回が初めてで、全部で40戸ほどある舟屋はちょっとした景観でした。ただ、赤さびたトタンや継ぎはぎが目立ったり、傾いでいたり、船のない空き家があったり、案内する側には「人に見せるほどのものではない」といった気おくれもあったようですが、しかしそこには日常の生活臭が漂っていて、遠方から来た人たちには「そこがたまらない魅力」に映ったようです。ある参加者の話しによると、いま日本を訪れる外人観光客には、観光名所を訪ねるより銭湯に行ったり、たこ焼き・お好み焼きを食べ歩き、日本人の日常生活を体験する人が増えているそうです。観光の魅力とは本当はそうしたものなのかも知れません。
 船長によると、彼が中学生のころ(昭和40年ころ?)はクルマエビなどがいっぱい獲れ、それを運ぶのがよいアルバイトになったと云います。阿蘇海はまさに豊饒の海であったわけです。しかしその後の高度成長で私たちの生活は一変し、それが周りの環境に多大な影響を及ぼし、その結果として阿蘇海の環境もすっかり変わってしまったのでしょう。また、ほんの20年ほど前まで中学校や高校へ生徒を運ぶ連絡船もあったと聞くと、阿蘇海はまさに地域の人々の日常生活の中心にあったわけです。とはいえ、いまでも舟屋前あたりの砂地ではアサリやハマグリが獲れ、また護岸近くに仕掛けをしておくとウナギが獲れると云います。当日のかち網漁の実演でも舟屋近くでクロダイが4匹ほど引っ掛かり、昼食にはコノシロのつみれのまぜご飯、アサリのみそ汁、文珠水道で獲ったカキのフライを頂くことができました。こうした阿蘇海の自然の恵みを目の当たりにすると、「豊かさとはなんだろう」と改めて考え直したりしました。
 私たちはNPO法人として「阿蘇海の環境問題」に関わっています。しかし正直いってほとんどの人は関心を示しません。阿蘇海で魚が獲れなくても、地球の裏側からでも安い魚はいっぱい届き、何も困らないからです。チルチルミチルの青い鳥ではありませんが、人は幸せは遠くにあると思いがちです。そしてグローバリゼーションの流れに乗って近くにあるものの価値を忘れがちです。しかし青い鳥(幸せ)は本当はすぐ近くにいるのであり、阿蘇海の環境にもそうした視点が重要だと考えます。今回、ある漁師さんが当日獲った魚を見せてくれました。その中にかつて阿蘇海の名物だった「金樽イワシ」が1匹いました。いまはほとんどいないとのことでしたが、はじめて見たその姿は銀色に輝き脂がのっていて、とてもうれしく感銘を受けました。
金樽イワシ


2015年3月14日土曜日

料理教室

 3月も中旬になろうとする3/10、今季最高ともいわれる寒波がまた日本全土を覆い、北海道・東北地方は今季何回目になるか分からない猛吹雪を、また被るハメになりました。当地も早朝から天気が急変し、私たちの「料理教室」の日と重なったため、朝から参加者の集まりを、また、予定していた堆肥小屋・畑への案内を心配しました。結局は堆肥小屋・畑への案内は断念し、小型の生ごみ処理機「ちびぞう」を急きょ運び込み、会場の公民館で説明することにしましたが、参加者も2名が発熱、天候が理由で急に取りやめになり、私たちも思わぬ寒波の影響を被ることになりました。しかし料理教室は講師の指導よろしく非常に楽しいものになり、参加者6名のうち3名の男性陣からは、「魚のおろし方、野菜の切り方、ごはんバーグの成型など、初めてのことばかりで面白い」といった声も聞け、料理教室はむしろ男性向けに良いのではと感じました。
 今回勉強した「ごはんバーグ」は肉・卵・牛乳を使わず、玉ねぎ・里芋・じゃがいも・にんにく、それと冷ごはん(白米+玄米+雑穀)でハンバーグの食感を出していますが、ミネラル分が豊富で香ばしく、食べやすいと好評でした。一方の「みやづの幸汁」はさつまいも、じゃがいも、大根、玉ねぎ、ねぎを低温から煮立てた中に、スズキ、イカの切り身を放り込んだだけのものですが、野菜の甘みがよく出ているとやはり好評でした。どちらも宮津特有のメニューとして広められたら面白いと考えています。
 交流タイムでは私たちの「エコの環」野菜の販路として、もっと都会に目を向けてはどうかとの意見が出ました。これは「エコの環」の拡大(グローバル化)を意味します。収益性を考えればその方が有利かも知れませんが、しかし少子高齢化が進むなか、「エコの環」を高齢者ビジネスにするだけでなく、その安心・安全な健康野菜を地域の健康づくりにも活かしたい、というのが私たちの思いであり、やはり小さな循環(ローカル化)にこだわっていきたいと考えています。また、アトピーとか食育といった問題も話題になりましたが、こうした問題こそ地域で取り組むべき課題であり、今後はこうした面にも目を向けていきたいと考えています。
 当日の朝、朝日新聞の記者から「料理教室を取材してよいか」と断りの電話がありました。断る理由もないので午前中いっぱい取材をしてもらいましたが、翌日それが丹後・丹波版に掲載されました。

2015年3月5日木曜日

介護難民

 先日のテレビで年金の「マクロ経済スライド」を取り上げていました。厚生労働省がこの4月から発動することを決めたからです。この制度は小泉首相のときの2004年に、「100年安心プラン」として導入されたものです。年金財政の大幅な悪化を避けるため、インフレ時に一定の調整額を年金支給額から差し引いて年金の伸びを抑え、その代り現役世代の所得の50%以上は受け取れるようにしようとしたものでした。しかし日本経済は長くデフレが続いたため、これまで一度も発動されたことがなく、そのため年金の支給額は現役世代収入の62.7%と高止まりしていて、若い世代への負担のしわ寄せと不公平感が問題になっていました。今度の発動では賃金・物価の上昇分に合わせ、本来なら2.3%アップのところを0.9%の上昇に抑えるそうです。
人口構成(2015年)

 いま国会では来年度予算案が審議されていますが、予算総額96.3兆円のうち社会保障費が31.5兆円、国債の償還・利払いが23.4兆円で、両者だけで歳出の6割近くを占め、税収の54.5兆円も両者で使い切ってしまう内容になっています。これから高齢化がますます進むなか、日本の財政は極めて厳しい状況にあることが分かります。
 右図はいま現在(2015年)の日本の人口構成を示しています。いわゆる「団塊世代」とその子供たち「団塊ジュニア世代」のところに、大きなピークがあります。この2つの世代が生産世代(15~64歳)を代表していた1995年頃は、生産年齢人口が8,716万人と史上最高を記録し、介護が問題となる後期高齢者も717万人ほどで、12.2人で1人の後期高齢者の面倒を見ればよかったわけです。しかしピークの一つの団塊世代が生産世代を抜けたいまは、高齢世代の急激な増加と生産年齢人口の急激な減少が同時に起きたため、その比率は実に4.7人に1人となり、団塊世代が後期高齢者となる10年後の2025年には3.3人に1人となって、要介護者・ヘルパーの急増、いわゆる介護の爆発が予想され、生産世代はもちろん、日本全体に非常に大きな負担が生まれてきます。
 四国で最も人口の少ない町、徳島県の上勝町では、「つまもの」といわれる料理に添える葉っぱを高齢者ビジネスにすることに成功し、80歳を超える高齢者が元気に働いているそうです。そして町の老人ホームは入居者が少なく、閉鎖されていると聞きます。高齢者問題を解決するカギはこのように、いかに高齢者に生きがいを持たせるかにかかっています。私たちの「エコの環」も高齢者の生きがいを狙ったものであり、何とか早くお役に立ちたいと考えています。

* 藻谷浩介;デフレの正体、角川oneテーマ21、2011