2013年12月24日火曜日

「無」から「有」を

 今年の漢字に「輪」が選ばれました。私としては今年の夏はとにかく暑く、41℃を記録したところもあったことから「暑」か、あるいは何千人、何万人もの住民に、避難勧告や指示が再々発せられた異常気象から「災」か、はたまた超一流ホテル・百貨店の多くが関わっていた食材偽装事件から「偽」かと、悪いイメージの漢字ばかりを思い浮かべ、しかしどれもすでに選ばれたものばかりなので、一体今年はどんな漢字になるのか少々気になっていました。そしたら2020年東京五輪の開催決定や、富士山の世界文化遺産登録などで、「日本中が輪になって歓喜にわいた」ことから「輪」が選ばれたとか。私自身は別に「輪になって歓喜した」覚えがないので、「そうかナー」と思う反面、庶民にとって景気に明るさが感じられず、一方で消費税などの追い撃ちをかけられ、しかも中国・韓国との関係も一向に改善されないなか、手をつないで輪を作り、一緒に仲良く安心したい気持ちの表れのようにも感じられました。日本人は「輪」とか「和」など、人間的つながり・結びつき(一体感)を大切にする気持ちが強いからです。
 「和」といえばプロ野球などでチームが優勝したとき、よく監督が「和の力で勝った」と云います。外国の監督がどう云うかは知りませんが、あまり「和の力」とは云わないように思います。サッカーの日本代表があるとき報道陣をシャットアウトして合宿したことがあります。合宿を終えて記者団の前に現れた選手にある記者が、「皆さんホテルでは仲は良かったですか?」とトンチンカンな質問をし、聞かれた選手が戸惑いを見せていたことがあります。記者にすれば「仲の良い」のが「和の力」と勘違いしていたのかも知れません。しかしサッカーも野球も、プロともなればチームはスゴイ技術を持った選手の集まりであり、気を抜いたら落とされる環境のなかで、お互いにしのぎを削っているわけですから、「仲が良い」とか「和」とは異質の、強い個性がぶつかり合う厳しい世界にいるハズです。そこで通用するのは「勝つこと」、つまり「成功体験」だけであり、勝つ喜びが各自に自信とヤル気を与え、次に勝つ喜びが協力し合う関係を作り、次にまた勝つ喜びがチームに一体感をもたらすというように、勝つことが「信頼関係のできた強いキズナ」を生むといえます。スポーツ以外でも同じで、何か成果を得ようとする場合、いろいろ実践し失敗をしても、成功体験(ちょっとした発見・改良・利益など)があると何が正しいか、何をやるべきかが見え、次に進む意欲が湧き、そうしたことの積み重ねが、一歩一歩成果に導いて行ってくれるのだと思います。
 ところでいまの日本は「失われた20年」を引きずったままで元気がなく、この間、経済学者や政治家はデフレ脱却へのシナリオをズッと議論してきました。しかしこれという打開策を見い出せず、期待のかかるアベノミクスにしても、下手をすると泥沼から抜けられない可能性があります。もはや従来の経済成長モデルは通用しないのかも知れません。というのもこれまでの経済戦略はすべて、「資源の消費」を前提にしています。しかし中国やインドなどの人口大国が台頭するなか、果たして「地球は持つか」が心配されるからです。いま地球人口は70億人に達し、各自がアメリカ人並みの生活をすると「地球5個分の資源が必要」と云われ、いまのままでは地球がパンクするのは目に見えているからです。これからは「資源消費」の成長モデルを脱し、「省資源」・「少資源」の成長モデルを模索せざるを得ませんが、これはトップダウンでできることではなく、むしろ庶民の日常生活に潜む数多くの成功体験をシーズに、ボトムアップすべきものと云えます。「省資源」・「少資源」を旗印に、「もったいない」精神を持つ日本人のチエ・アイデアをすくい上げ、新たな成長イノベーションに育てることこそが、これからの政府の仕事ではないかと考えます。
 手前味噌になりますが、私たちがいま取り組む「エコの環」は、これまで廃棄物であった「へどろ」と「生ごみ」に資源としての価値を見出し、また、年金生活を送る高齢者に軽労働の社会貢献をお願いするもので、食育、予防医学などへの展開も考えています。つまりこれまで「無」であったものから「有」を生み出そうとする試みで、これからの「省資源」・「少資源」対策の一つのヒントになると信じています。それでは良い年をお迎えください。

2013年12月12日木曜日

けん制機能

 前回、食材偽装について触れましたが、阪急・阪神ホテルズの社長さん始め、多くのホテル・百貨店の釈明会見を聞いて私がまず感じたのは、組織としての「けん制」・「監視」機能は一体どうなっているのかということでした。一般に組織と云うのは異質の集団から構成され、本来そうした集団同士には自ずと「けん制」機能が働くものです。例えば会社にはいろんな部や課があります。いずれも会社の利益を目指し、一致団結して頑張るわけですが、それぞれの利害は必ずしも一致せず、ときにぶつかり摩擦が発生します。そしてお互いを「けん制」、「監視」しあう関係が生まれ、結果的にそれがいい緊張感を生み、会社という組織の健全化、自浄作用につながっているのです。むかし高度成長期のころ、トリオ・ロス・パンチョスというラテン音楽のヴォーカルグループがいて、その甘いハーモニーが日本人の心をとらえ、何度も日本で公演を行ったことがあります。しかしその甘い歌声とは裏腹に、彼らは音楽のことではなかなか妥協せず、楽屋では常にケンカをしていたと聞いたことがあります。そうしたぶつかり合いが彼らの甘いハーモニーを醸し出していた訳です。いまは企業も社会的責任が問われるようになり、単に社内のこうした「けん制」・「監視」機能だけでなく、コンプライアンス(法令順守)といって、法令のみならず社会的規範・企業倫理まで社内統制に取り込む企業が増えているなか、「内部告発」もなく、社長も「偽装ではなく部署間の連絡ミス」といって済まそうとする態度には、食べ物を扱う、それも超一流企業の社会的責任が微塵も感じられず、自浄作用は一体働いているのか疑ってしまったからです。上部の締め付けがきつく組織自体が委縮してしまっているのか、あるいは業績が芳しくなく疲労困憊し、お互いに傷口をなめあう関係に陥ってしまっているのかも知れません。
トリオ・ロス・パンチョス
ところで特定秘密保護法案が衆議院、参議院ともに、与党の力ずくの採決により通過しました。この法案については情報公開と日頃戦っている弁護士会、マスコミ関係者にとどまらず、各界からの反対が極めて強く、野中広務、古賀誠といった自民党の長老たちまでが、「なぜそんなに急ぐのか」と政府の対応を批判しています。いまは「テロ」という問題に常にさらされ、アルジェリア人質事件で苦杯をなめた政府にすれば、諜報機関をもつ外国からの情報を得るためには、なりふり構っておられないのかも知れません。世論の異常な反発を気にしてか安倍首相も、ゴリ押し採決の翌週の会見で、「いまある秘密の範囲は広がらない」、「知る権利は奪われない」、「もっと丁寧に説明すべきだった」などと釈明していますが、しかし国家のような組織になると、同じ組織とはいっても権力をもっているだけに、自浄作用が働かないと暴走しやすく、首相の力をもってしても歯止めが利かなくなるから怖いわけです。東日本大震災の復興予算が、まったく関係のない沖縄で使われるようなことが、まかり通ってしまうからです。独立性を担保した、しっかりした「けん制」・「監視」体制を作っておく必要があると思います。
 
 

2013年12月1日日曜日

食材偽装

  阪急阪神ホテルズのレストランのメニューの食材偽装が発覚してから、次から次へと同様の偽装が謝罪会見で明らかにされています。まるで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった趣きです。2002年の雪印食品による偽装牛肉事件以降も食品の偽装問題はなかなか改まらず、国は消費者庁を設立して監視体制を強化したにも拘らず、この有様です。今回の食材偽装事件で私が驚いたのは、多くの高級ホテルで牛脂を注入した加工肉が、「ビーフステーキ」として使われていたということです。新聞によると豪州産、ニュージーランド産などの赤身の肉に、剣山のような機械を刺して牛脂を注入すると、わずか1~2分で和牛風の「霜降り肉」に加工できるのだそうです。牛脂には風味をよくするアミノ酸なども添加されており、実際に焼いて食べくらべると、加工前の肉はかたくてかみ切れず、食感もパサパサでうま味がほとんどないのに対し、牛脂注入肉は一度でかみ切れるやわらかさで、なによりジューシーでうま味が口に広がるのだそうです。一流ホテルで食事をする客は雰囲気もさることながら、料理人の腕を味わいに来ているハズです。しかしおいしいと思った料理がこんな人工加工の素材によるものだったとしたら、お客はいい面の皮で、ホテルの料理人もそのプライドはどこに行ったのかと思います。
いまから5~6年前だったでしょうか、宮津で食品添加物の害について講演会がありました。私自身は出席できなかったのですが、出席した家内の話しによると、講演者は以前ある食品会社で添加物まみれの食品づくりに携わっていた方で、製造現場の裏側をよく知っているだけに自社の製品は絶対に食べなかったそうです。しかしあるときスーパーの買い物で子供に自社製品をねだられ、それを機に会社を辞め、食品添加物の害を訴える活動に身を転じられたということでした。彼は実演でオレンジジュース、グレープジュースなど、どんなジュースも添加物だけで作ってみせてくれたそうです。
  ところでわが家で「震える牛」(相場英雄:小学館文庫)という小説を見つけました。子供が帰省した時に置いていったものと思われます。狂牛病事件を扱ったミステリー小説で、読むと中に加工肉製造の裏側を暴く場面が出てきます。暴露する人物はある食品会社の元課長で、内部告発したことで会社を辞めさせられたという設定です。内部告発に至った理由が、あるスーパーで子供に自社製品の購入を迫られ、購入できなかったからという内容からすると、著者は宮津の講演者を取材してこの小説を書いたように推察されます。その小説にはゾッとするようなことがいろいろ書かれています。その内容を若干手直しして紹介します。
 「写真にあるのは老廃牛のクズ肉、内臓、つなぎのタマネギ類と代用肉、そして血液です。これらを混ぜ合わせ、各種の食品添加物をぶち込んで作ったのがこのハンバーグです。カッターの刃を替えれば、ソーセージも作れます。」
 「メニュー表示は100%ビーフとなっていますが、老廃牛の皮や内臓から抽出した『たんぱく加水分解物』でそれらしい味を演出し、そこに牛脂を添加して旨味を加えますから、一応100%らしい食べ物にはなっています。」
 「一つひとつの添加物は、動物実験を経て発がん性や毒性のチェックをクリアしています。ただ、これらを同時に混ぜ合わせた際の実証データはなく、国も監視していません。」
 「このステーキも成型肉です。様々なクズ肉を特殊な食品用接着剤で合わせたものです。そうでなければ、250グラムで550円という値段設定はできません。」
 「世界チェーンのファストフードも基本的な仕組みは一緒です。世界中から集めた老廃牛のクズ肉に、添加物と刺激の強い調味料を混ぜ込めば、肉本来の味なんて分かりっこありません。」
 そういえばある世界的ハンバーガーの会社の社長さんが、自分の家族には自社製品を食べさせなかったという話しを聞いたことがあります。ノーベル賞でも触れましたが、いまの食品の多くは完全に「工業製品」化しています。それは消費者が安さ、手軽さを追い求め過ぎた結果であり、消費者の責任でもありますが、激しい価格競争の結果、それが高級と称されるホテルや百貨店にも浸透していたというのが、今回の事件の真相でしょう。改めて食事を原点から見直すときがきているように感じます。
 

2013年11月24日日曜日

感性だよ!(つづき)

 小泉純一郎元首相の脱原発に向けた快進撃が止まらないようです。これまでの私的講演会での発言から、先日(11/12)はついに日本記者クラブで400名以上もの記者、カメラマンを集め、公式会見を行うまでになりました。テレビの報道番組でも小泉さんのこの行動を、安倍首相に挑戦状を突きつけたものとして盛んに取り上げ、賛否両論の意見が戦わされています。そんななかコメンテーター、政治家で「小泉さんなら安倍首相と差しで話しができるはず、なぜそうしないのか」、「脱原発の野党と話し合いを持ちながら共闘はしないと云っている。その気なら新党を作ることも考えるべきではないか」、「原発ゼロへの具体的な道筋が分からない」などと小泉さんの発言に理解を示しつつも、小泉さんの行動には批判的・懐疑的意見を述べている人が多くいました。確かに彼らの意見は極めて常識的で、筋が通っていると云えます。しかしそれは極めて一般的な「陳腐な道理」というもので、いまはもうそうしたありきたりの発想・手段では、この国の原発政策の「固い殻」は破れないということです。あれだけ勢いのあった「大阪維新の会」が「たちあがれ日本」と組んだがため、すっかり勢いをなくしてしまったことを見ても分かります。
日本記者クラブでの講演
こんな話しを聞いたことがあります。江戸時代にある大きな商家が事業に失敗し、おまけに主人が亡くなり、後家となった奥さんは大量の借金を抱えて途方に暮れたそうです。立派な家屋敷を売り払っても、とても借金の穴埋めにはならないと思われたからです。そのときその後家さんが一計を案じ取った行動は、家屋敷を景品に「富くじ」を売るというものでした。その一計は見事に当たり、富くじが売れに売れて借金をすっかり返済できたという話しです。
 この話しで云えることは、「富くじ」という発想は我々凡人にはなかなか生まれるチエではないということです。我々はせいぜい業者を介してできるだけ高く売るぐらいが関の山で、オークションにかけることすら思いつかないでしょう。万が一、「富くじ」という発想を思いついたとしても、富くじが売れなかったらそれこそ二束三文のお金で家屋敷を手放すことになり、決断にはかなりの勇気がいります。富くじが飛ぶように売れたのは、やはり後家さんのひらめきというか、「すばらしい感性」があったからで、世間一般の考え・道理にとらわれがちな我々には、なかなかマネのできることではないということです。
 小泉さんの今回の行動には代案がなく、無責任で楽観的だとの批判が多いようです。しかしいまの日本の原発政策が置かれた状態は、何かの代案があれば解決するようなものではなく、「進むも地獄、引くも地獄」の状態にあります。そうならここは「原発ゼロ」で腹をくくるしかないのではないでしょうか。福島第一原発事故は我々に、「原子力」はとても人間の手に負えるものではないことを教えてくれました。ここでまた従来の「安全神話」を信じもし事故を起こしたら、今度こそ日本は完全に破滅します。小泉さんの言葉、「政治で一番大事なのは方針を示すこと。原発ゼロの方針を政治が出せば、専門家や官僚が必ずいい案を作ってくれる」を、私も信じたいと思います。

2013年11月9日土曜日

チャレンジ

なばなの里のイルミネーション
先日テレビで、桑名市のなばなの里のイルミネーションを紹介していました。今年は10回目の開催になるとかで、開場を楽しそうに待つ家族ずれや、700万個の電球を使ったイルミネーションの数々を映していました。もちろんLED電球を使ったイルミネーションで、使用電力量は大したことないのでしょうが、私はこうしたイベントを見聞きすると、いつも違和感を感じます。阪神・淡路大震災後に、被災者の鎮魂と追悼を兼ねて始められた神戸市のルミナリエはまだしも、福島第一原発事故で故郷を追われた人たちがいまだ15万人以上もおられ、風評被害に苦しんでおられる農業・漁業関係者、汚染水の流出と必死に戦っている原発作業員が大勢おられるなか、わずかとはいえ電力を使うそうしたイベントが、本当に必要なのかとつい考えてしまうからです。
 話しは飛躍しますが、オリンピックの代表選手とか野球・サッカーなどの選手が、大事な試合を前によく「試合を楽しみたい」と云います。私はこの「楽しむ」という言葉を聞くたびに、どういう心境・境地を指すのだろうとつい考えたりします。日の丸を背負ったり、多くのファンを前にしたときの緊張感は想像を絶するものがあり、私なら楽しむどころか重圧で逃げ出してしまうだろうと考えるからです。かつて阪神の掛布選手にスポーツ記者が、「大声援のなかバッターボックスに向かう心境」を聞いたことがあります。そのとき彼は「声援は全く聞こえない」と答えていました。相手ピッチャーとの真剣勝負に向かう彼にすれば、気力負けしないよう全神経を最高に研ぎ澄ました状態にあり、周りの雑音など全く聞こえないのだろうと考えられます。もしここで監督が「バッター交代」を告げたら、掛布選手はホッとするどころか怒り狂うだろうと想像されます。野球選手の彼にすれば、その猛烈な重圧のなか、逃げずに相手に向かっていく瞬間こそが最高に充実したときであり、試合をまさに楽しんでいると考えられるからです。では一般人の私たちの場合はどうなのでしょう。私たちにも常にいろんな難題・課題が重圧となって降りかかってきます。そのとき適当に妥協してその難題・課題から逃げるか、あるいはチャレンジするかの選択肢があるわけですが、長い人生から見れば成否はともかく、逃げたら後悔が残り、やはり果敢にチャレンジする方に「生きがい」があるのではないでしょうか。
 ここで話しを戻します。福島第一原発事故以来、「脱原発」の声がかなり高まってきています。それに対し、「現在の再生エネルギー技術では原発の代替は不可能で、脱原発を唱えるのは無責任だ」との声が、政府関係者・電力会社などから声高に聞かれます。しかし日本の、また世界のエネルギー問題を真面目に考えるとき、どちらが逃げて、どちらがチャレンジしようとしているのでしょうか。原発事故の前、日本には全部で54基もの原発があり(世界3位)、電力の1/3をまかなっていました。そして原発なしでは日本のエネルギー問題は立ち行かないと固く信じられていました。しかしいまその54基が全部停止し、図らずも「原発ゼロ」が実現しているのです(脱原発を宣言したドイツよりも早く)。誰がこんな事態になることを想像できたでしょう。しかも国民の協力のもとに原発なしでも夏が越せ、電力会社も黒字化を実現しているのです。いまここで原発に頼るのはものすごく楽です。しかしそれでは電力の無駄遣いは改まらず、子孫に膨大な放射性廃棄物のツケを残すだけになります。確かに「創エネ」は難しいかも知れません。しかし腹をくくれば、世界に先駆けた新しい知恵・技術が出てくるかも知れません。日本には戦後の廃墟から立ち上がり、わずか20年で東京オリンピックを開催した力があるからです。また、原発ゼロということは、夜間電力を無理して使う必要がないということであり、「省エネ」、「少エネ」の知恵なら一般の私たちにも出番はあるハズです。廃墟と化した福島第一原発・停止中の全原発を前に、チャレンジするのは「今でしょう」。

2013年11月2日土曜日

異常気象

 気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が京都で開催され、京都議定書が採択されたのは1997年のことです。以来、「地球温暖化」は私たちにとって非常に身近な言葉になりました。会社で昼休にテニスをやっていた私自身は、それ以前から真夏の暑さが異常に感じられ、仲間によく「太陽がやけに熱くないか」と聞いたりしていましたが、「歳だよ、歳」と一笑に付されるのがオチでした。その後も温暖化については「地球温暖化説は誤りだ」とか、「CO原因説は間違っている」とか、逆に「地球寒冷化説」が唱えられたり、まさに議論が百出しましたが、ただ、最近の日本を始め世界各国で起きている異常気象を考えると、気候変動は間違いなく起きているように感じられ、非常に不安な気持ちになります。
伊豆大島の土砂崩れ
私が子供のころは二百十日とか二百二十日という言葉があり、立春を起点にした9月1日か9月10日ごろに、大雨・大風をもたらす台風のやって来るのが心配されたものです。その頃は大雨の基準も、総雨量で100mmが一つの目安であったように思います。ところが最近は台風以外にもゲリラ豪雨などがあり、わずか1時間に100mmを越す大雨が降ることも珍しくなく、土砂災害となる山崩れまで心配しなければならない始末で、気象庁も「数十年に一度しかないような非常に危険な災害」に対し、「特別警報」の運用を開始することになりました(8月30日から)。しかしそのわずか2週間後の9月16日にはもう台風18号に対し、その第1号となる警報を京都府・滋賀県・福井県に発令するハメとなり、京都府に住むわが家ではそれをテレビで知りましたが、「これまでに経験したことのないような大雨」とか、「ただちに命を守る行動を取ってください」と云われても何をすべきかよく分からず、京都・嵐山の渡月橋がいまにも壊れそうな状況にあるのを、ただテレビで眺めているだけでした。一方、風の方も、「竜巻」と云うのはアメリカの話しとばかり思っていましたが、最近は日本でも頻繁に発生するようになり、こちらも「竜巻警報が発令されました。この警報は何時何分まで有効です」と云われても、具体的にどう対処したらよいのかよく分からないのが実情です。いずれにしても全国いたるところで、何千人、何万人もの人々に再々避難勧告、避難指示が発令される状況は異状であり、気象現象が明らかに「すさまじさ」を伴ったものに変わりつつあると感じられます。
濁流に襲われる渡月橋
ここで心配されるのが食糧問題です。TPP参加で日本の農業は大きな打撃をこうむると考えられ、政府も減反政策をやめ、農業の規模拡大による対抗策を考えているようですが、アメリカやオーストラリアといった農産物輸出国にしても、いますでに地下水の枯渇、塩類の集積、砂漠化といった問題を抱えるなか、果たしてこうした気候変動に対し、いつまで輸出国でありえるかが心配されます。これからは大規模農業ほどリスクは大きく、小規模農業(農業本来の姿)を見直すときが来ているように感じます。

2013年10月27日日曜日

へどろの調湿パワー

 阿蘇海のへどろにはすばらしい吸湿/放湿特性があり、床下調湿材としての性能実験では、市販の調湿材(天然ゼオライト)より優れた性能を示すことが分かっています。わが家では100℃で乾燥した0.5~1cm角のへどろ塊300gを紙の箱に入れ、流し台の下にもう3~4年置いていますが、臭いも変質もまったくなく(近づけるとかすかに磯の香りがします)、わりと清潔好きな家内も文句を云わずに使っています。そして以前は「流し台の下が湿気る」と云って中のものを取り出し、よく流し台の下を掃除していましたが、いまはときどき天気のよい日に扉を開放しているか、へどろ塊を天日干ししている程度で、中のものを取り出して掃除することはめったに見かけなくなりました。
デシケーター(左;へどろ、右;壁土)
ところで市内の建築屋さんから、「しっくいより吸湿性のある壁土で夏は涼しく、冬は暖かいエコ住宅の建築を行っている」とのお話しを聞き、早速その壁土を頂いてへどろとの吸湿性の比較を行ってみました。最初、湿度75%に保持したデシケーターに100℃で乾燥した壁土とへどろの粉を入れ、毎日所定の時間に両者の吸湿量を測定しました。途中から両試料をデシケーターから取り出して室内に放置し、引き続き両者の吸湿量を測定しました。吸湿率(吸湿量/乾燥試料量)(%)の測定結果は下図の通りで、へどろが非常に大きな吸湿率変化を示すのに対し、壁土はほとんど吸湿せず、測定誤差程度の変化しか示しませんでした。参考までに室内の相対湿度(%)を付記しましたが、へどろは見事なほど室内湿度に応じて、吸湿/放湿を繰り返すことが分かります。建築屋さんから頂いたパンフレットによると、頂いた壁土を塗った部屋の温度はビニールクロス壁の部屋に比べ、夏は3℃前後低く、冬は3℃前後暖かいのだそうです。この理屈はよく分かりませんが、もしこれが吸湿性によるものなら、へどろをほんの1~2%混ぜるだけでも、サーマル効果の大きく改善されることが期待できます。また、室内/室外の空間で結露が心配されるようなところにも、大きな用途があるように感じます。

壁土とへどろの吸湿率



2013年10月21日月曜日

「エコの環」の中間報告

 
 日本はこれからますます高齢化が進み、高齢者の命綱である社会保障制度(年金・医療・介護)も、消費税をアップしないと立ち行かない状況にあります。高齢者も世の中を支えてゆかねばならない時代になったと云えます。
 私たちはいま地元の小学校区で、生ごみ循環システム「エコの環」を高齢者の「葉っぱビジネス」にできないか、その仕組みづくりに取り組んでいます。地区内で発生する生ごみを野菜づくりに利用し、「無化学肥料」、「無農薬」、「無畜糞堆肥」の安心・安全な野菜を育て、地区の健康づくりに役立てようとするもので、高齢者にとって健康的で負担も小さく、よき社会貢献策になると考えています。一方、TPPへの参加は日本の農業を壊滅させ、食糧の安全性が損なわれることが心配されています。外国の大量生産、あるいは低賃金に支えられた農業に対抗するにも、案外こうした葉っぱビジネス(小銭稼ぎ)による農業が有効かも知れません。そんな意気込みでいま仕組みづくりに取り組んでいます。
 今年の8月に新たに生ごみ処理機「たいぞう君」を1台増やし、いまは全部で4台の処理機を4人のボランティアが動かし、月に600kgほどの生ごみを処理しています。そしてできた堆肥を使って6人ほどが露地栽培を行っています。下図は昨年度と今年度の野菜販売額の推移を比較したものです。お盆休みで2回出荷を休んだのと、3人ほどが腰痛で動けなかったことが響き、今夏は販売額が少し伸び悩んでいます。しかし受取額が月に10,000円近い野菜栽培者も2人おられ、「非常に大きな励みになる」と喜んでもらっています。ただ、当地区は田舎で、野菜を自家用に作っておられる方が多く、また、余った野菜を近所に配ったりされるため、地元での野菜販売には苦戦しています。価格的に決して高くなくても、また、いくら「エコの環」野菜のメリットを伝えても、それだけでは買ってもらえないからです。しかし少人数ですが「エコの環」野菜を美味しいと云って買って下さる固定客もおられ、今後はこうした人をいかに増やしていくかが課題です。野菜販売額の4割ほどがNPOの取り分であり、月に10万円ほどの売り上げが確保できれば、少時間のパート雇用も可能になり、そうすれば生ごみの収集・処理量をもっと増やすことができ、野菜の栽培・出荷量も増加できることから、いまはこの10万円を最低限の目標に頑張っているところです。

野菜販売額の推移

2013年10月8日火曜日

感性だよ!

 小泉元首相の「脱原発」に関する講演が大きな話題になっています。小泉さんもかつては原発推進派の立場にあり、今回の発言は安倍政権の方針と真っ向対決する内容だけに、問題は大きいと云えます。小泉さんの原発への疑問視はやはり福島第一原発事故がキッカケのようで、今夏訪れたフィンランドの「オンカロ」核廃棄物最終処分場の見学が、脱原発を確信させたようです。方針転換の理由を問いただす記者に対し、小泉さんは「感性だよ」と答えたそうです。いかにも小泉さんらしい答弁ですが、わたくし自身はこの答弁に一縷の望みを託したい気がしました。
「常識」という言葉があります。わたくしは社会に出たころ先輩たちに「そんなこと常識だろう」とよく怒られ、「常識ってなんだ」と悩んだことがあります。辞書によれば「一般人が持っているべき標準知識」ということになり、極めて普遍的な意味合いを持ちますが、当時のわたくしにはどうも腑に落ちないことが多かったからです。そして英語の「Common Sense」なら納得できるように思いました。つまり「共有する認識・感覚」なら自分が所属するグループ、会社、地域社会、それぞれにCommon Senseがあるわけで、だから「永田町の常識は社会の非常識」と云われたり、「原子力ムラ」という強い集団の常識があったり、あるいは「JR北海道」のようなずさんな常識もあり得るわけです。つまり常識とは決して普遍的なものではないのです。しかも常識はそれぞれに長い年月、経験、利害、しがらみなどで培われたものなので、凝り固まったものとなり、傍からは異常としか思えないことでも当事者たちには真っ当な常識であり、声の大きい集団の常識の方が影響力も大きいわけです。だからわたくしは政府が各界の有識者を集めて開く多くの諮問会議に、いつも疑問を感じています。それぞれの有識者がそれぞれの常識に則った意見を述べても、そこから新しい発想が生まれるとは信じがたく、結局は所轄省の常識に則った役人が、声の大きい団体に配慮しながら常識的資料をまとめ、一件落着ということになりかねないからです。そこに本当に必要なのは宝石となる原石を見つける「感性」であって、感性こそが常識という凝り固まったものをぶち壊し、新たな進路を切り開くと考えるからです。しかし感性というのは一種の才能であり、しかも原石を磨くには力もいります。感性のある実力政治家に期待する所以です。
 ところで東電の事故対応を見ていると、すべてが後手後手にまわったやっつけ仕事で、これが原発の安全神話を作り、国家をリードしてきた人たちのすることかと思うことがあります。しかしいまから20年近い前の話しですが、ロシア船籍「ナホトカ号」が丹後半島沖で座礁し、大量の重油が近くの海岸に流れ着いたことがあります。大勢のボランティアがかけつけ重油処理に当たりましたが、そのときある現場の町長が、「月に人間が行く時代に、重油処理をするのに”ひしゃく”しかないのか」と嘆いておられました。しかし人間の力とは所詮こんなもので、何事もないときは自然の力を凌駕するようなことができても、一つ不測の事態が発生すれば泥縄式のことしかできないことを、わたくし達は肝に銘ずるべきだと思います。そして自然の前にもっと謙虚であるべきだと思います。

2013年10月3日木曜日

減糖

 甘党、辛党という言葉があります。甘いものとお酒のどちらを好むかを聞くときに使われます。ピリッとしたアルコール味を好む人は概して辛いものが好きなことから、お酒好きな人を辛党と呼ぶようです。わたくし自身は両刀遣いで、かつては甘い菓子もよく食べ、コーヒーなどは砂糖を入れるものとして飲んでいました。しかし年齢とともに虫歯がアチコチにでき、あるときあんこ入りのまんじゅうを食べると虫歯に激痛が走り、やはり甘いものは歯に悪いのだと気づき、以後、歯のために甘いもの(砂糖)は極力控えてきました。しかし砂糖は単に歯に悪いだけでなく万病の元であると、最近、「砂糖の害」を訴える記事をよく目にします。糖尿病を始め、アトピー、精神異常、痴ほう、肝臓・心臓障害、便秘等々、まさにほとんどの現代型疾患との関わりがあるようで、昔に比べると砂糖にあふれたいまの世の中、害が叫ばれても致し方ない気もします。
人間を惑わす砂糖
学生のころわたくしは一人で山登りに出かけ、途中で身体がへばり、足が一歩も前へ踏み出せない状態になったことがあります。どうしたのだろうと最初はビックリしましたが、「これはシャリバテだ」と気が付き、持っていた甘い菓子を食べたところ、それこそ何ごともなかったかのように、すぐに軽快に歩けるようになったことを覚えています。われわれは脳を始め、身体を動かすエネルギー源にブドウ糖(グルコース)を使用しますが、砂糖はブドウ糖と果糖が結びついた簡単な構造のため、食べるとすぐに腸から吸収されて血中に移行するため、シャリバテしたようなときには甘いものが有効なのでしょう。しかしブドウ糖はご飯などの糖質(でんぷん)から得られるため、砂糖自体は決して必須の食べ物ではありません。しかも食品の糖質の吸収速度を表すのにブドウ糖(100)を基準にしたGI値というのがあり、これによれば食パンは91、白米は81、玄米は54ですが、値の大きいものほど早く分解吸収され、血糖値を上げるスピードが速い反面、消耗も速いと云われます。つまりGI値の小さいものの方がゆっくり血糖値を上げ、腹持ちが良いのに対し、砂糖などはそれこそ「ゲリラ豪雨」的に血糖値を上げるため、栄養剤としては決して好ましくないわけです。しかし甘いものには幸福感を与えてくれる面があり、三時のおやつとか食後のデザートなど、一時の至福を得るのに欠かせないのも事実です。したがって砂糖の利用が茶菓子など限定的であればよいのですが、いまはほとんどの食品に砂糖が使用され、しかも料理番組などでも砂糖は使うのが当たり前のようにして使用され、素人目にも「料理のプロなら、なぜ食材本来の甘みを活かす調理法を教えないのだろう」と、不思議に思うことがあります。生ごみ堆肥で育てたカボチャとかジャガイモなどを食べると、「野菜ってこんなに甘いのだ」と感じることが多く、料理に砂糖を使う理由が分からないからです。身体にとって必須栄養素である塩分には「減塩」が叫ばれるのに対し、必須でない砂糖にはなぜ「減糖」が叫ばれないのでしょう?
 ちなみにわが家ではコーヒーを飲むとき、自然塩を一つまみ入れて飲みます。味が引き締まってとてもおいしく、いまでは砂糖など入れる気になりません。

2013年9月24日火曜日

不純物

 宝石に興味があるわけではありませんが、私の誕生石(7月)はルビーです。ルビーは酸化アルミニウム(Al2O3)の結晶であるコランダムという無色透明の鉱物に、不純物としてクロムが1%ほど混ざったもので、色鮮やかな赤色を帯びた宝石です。しかしクロムも含有量が5%を超えるとエメリーという灰色の研磨剤になってしまい、価値は大幅に落ちます。このコランダムに鉄とチタンが微量含まれると、こんどはサファイアというブルーの宝石(9月の誕生石)に変わります。このように純粋なものより、それに不純物が少し加わることで価値が大きく高まるものが多くあります。ノーベル物理学賞を受賞された江崎玲於奈氏は、高純度のゲルマニウムに少し不純物を混ぜたところに特異的性質が現れるのを発見され(トンネル効果)、それが江崎ダイオードの発明につながったと聞きます。水も蒸留水はまずくて飲めませんが、カルシウムやマグネシウムを微量含むと見違えるように美味しくなります。鉄も純鉄は柔らかくてそのまま使われることはなく、普通は炭素を1~2%含有させ焼き入れして使用します。

サファイア
ルビー
以上、不純物について触れたのは、海の塩は主成分はNaClですが、そのほかに数十種類ものミネラルを10数%含んでいて、「塩」の場合はこのNaCl以外のミネラルが、不純物として絶妙な役割を担っているのではと考えるからです。まして血液や赤ちゃんがお母さんのお腹の中で浸かっている羊水などが、海水塩と非常に似たミネラル構成をしていることを考えると、われわれにとって必要な「塩」とはNaClだけでなく、それ以外のミネラルを含んだものと考えられます。しかし減塩レシピで触れたように、いま「食塩」という名で売られている塩は、この数十種類のミネラルを不純物として完全に取り去った「NaClという化学試薬」であって、これはとても食用に用いるものでなく、なぜ「食塩」と称するのか不思議に思います。自然塩のpHは普通7~8で中性に近いのですが、精製されたNaCl塩はpHが10以上もある強アルカリ性と云われ、こんなものを調味料や梅干し、漬け物に使ったのでは、「減塩」を叫ばざるを得ないのも当然だと云えます。
 塩分の取りすぎは高血圧につながるとよく云われます。しかしあるテレビ番組で20代から50代のモニター5人に、自然塩を厚労省のすすめる1日10グラムの倍、20グラムづつ2週間摂取してもらい血圧を測定したところ、血圧の上がった人は1人もおらず、むしろ3人は血圧が下がったと云います。一方、世界の長寿郷の長寿者の中には、血圧が200ミリハーゲを超す人も大勢いるそうです。しかしみな血管が若く弾力性に優れていて、いたって元気に生活しているそうです。つまり少し血圧が高くなったぐらいで切れてしまう血管のもろさが問題であって、それには塩分というより食事の質、肉食とか農薬・食品添加物などからの化学物質(食塩も同じ)の過剰摂取が大きく関わっているのだそうです。わが家も自然塩を長く使っていますが、使用量に気を使ったことはなく、果物にも料理にもたっぷり塩を振りかけて食べています。私(70代)自身の血圧はこれまで大体120ミリハーゲ前後で推移しており、政府も医療費や介護費の増加を気にするのなら、自然塩をもっと安く作ることにも気を使って欲しいと思います。

2013年9月11日水曜日

ど根性「メランポジウム」

 わたくしの隣組では町内を走る市道沿いに、年間を通してプランターに花を植え、生ごみ堆肥で育てています。ちょうどいま時分は「メランポジウム」も育てていますが、駐車場の塀わきに置いたプランターから塀の反対側、距離にして20~30cmも離れていないコンクリート上に、昨年のこぼれ種からと思われるメランポジウムが一株、見事に花を咲かせました。

イキイキした「ど根性メランポジウム」
萎れるプランターのメランポジウム
今年の夏はここ宮津も酷暑続きで、うっかり水やりを忘れると、プランターのメランポジウムはぐったり萎れてしまうのに対し、こぼれ種から育った方は、水を全くやらなくてもイキイキと元気に咲いています。コンクリートの厚みを3~4cmと考えると、種から発芽したとき必死にそれ以上の根を伸ばし、生命を勝ち得たものと思われます。まさに「ど根性メランポジウム」です。

 小学生か中学生のころ先生から、「むかしスパルタの国では、生まれて間もない赤ん坊をボートから水中に放り投げ、投げたロープにしがみついた赤ん坊だけを、見込みがあるとして助けた」という話しを聞き、そこから「スパルタ教育」という言葉が生まれたことを教わった記憶があります。最近この「スパルタ教育」という言葉はあまり耳にしませんが、ただ、スポーツの世界ではむかしからスポ根として、「しごき」とか「根性入れ」とか、言葉は違ってもこうした教育/指導?はずっと行われていて、それが最近大問題となり、柔道界、相撲界、教育界などを揺るがす大事件になったことは、記憶に新しいところです。
 最近の風潮ではいささか分の悪い「スパルタ教育」ですが、この「ど根性メランポジウム」はさしずめ、ボートから投げたロープに必死に取りついた赤ん坊と云ったところでしょうか。それに引き替えプランターで育てたメランポジウムは、なんとも根性がないというか甘えた感じで、こうしたことを考えると種からの育苗時、苗のプランターへの移植時の水の与え方、肥料の与え方というのが非常に大切なことがよく分かります。植物においてもまさに「三つ子の魂百まで」で、過保護はよくないと云えそうです。





2013年9月2日月曜日

はだしのゲン

 松江市教育委員会が漫画「はだしのゲン」を閲覧制限し、その後撤回した問題が大きな話題になっています。一市民からのゲンの撤去を求める陳情に対し、市議会の教育民生委員会で審査を行った際、「作品に目を通して判断しよう」と5人の市教委幹部がゲンの全巻を通読し、5人全員が共通して、10巻にある旧日本軍の戦場での行為に係わる描写を問題視したそうです。最も敏感に反応したのが当時の女性教育長で、「こんな描写を発達段階の子供に見せていいのか」と、児童の目から遠ざけることしか考えられなくなり、市議会が「議会が判断することではない」と、陳情を全会一致で不採択したにもかかわらず、市教委幹部の独断で小中学校の校長に閲覧制限を要請したというのが真相のようです。作者の故中沢啓治さんの奥さんもご主人がこの場面を描くとき、「残酷すぎるのでは」と忠告されたようですが、「きれいな戦争というのはないんだ」と相当の覚悟をもって描かれたと云います。新聞には問題視されたコマも掲載されていましたが、戦争の実態とはこうしたものなのではないでしょうか。私も先の戦争で軍艦に乗っていた人の話しを聞いたことがありますが、戦いが始まると甲板は肉片、血のりでベトベトになり、足を取られて走れないのだそうです。戦争は決して映画で見るような華々しいものではなく、その現場は見るに堪えない狂乱地獄で、みな錯乱状態に陥ってしまうのです。
以前、あるテレビのドキュメンタリー番組で、どこかの農業高校だったと思いますが、先生の指導の下に生徒たちがニワトリを育て、大きく成長したところでそのニワトリをつぶして解体し、その肉でカレーライスを作って食べるまでの教育実習を放映したことがあります。ニワトリの世話をよろこんでやっていた生徒たちが、いよいよそのニワトリをつぶし解体する段になると、みなそれまでとは打って変わった真剣な表情になり、血にまみれた現場を見た女子生徒などは、恐怖で泣き出したりしていました。そしてカレーライスを食べるときはみな涙をポロポロとこぼし、泣きながら食べていました。実習終了後はどの生徒も真剣な表情で、「いままで何も考えず食事をしてきたが、食事とは命を頂くことだというのがよく分かった。これからは感謝して食べるようにしたい」と語っているのが印象的でした。
 我々が生きていくにはきれいごとだけではことは進みません。かならず見るに堪えないイヤなこと、つらいことが付随します。まして戦争においてはみな狂乱状態にあり、そうしたことは何十倍にも増幅されると思います。しかしそうしたイヤなこと、むごいことを直視することで人間は真面目になれるのであり、どうしたらよいかを真剣に考えるようになるのだと思います。松江市教育委員会の今回の行動は、いささか事なかれ主義に走ったと云われても仕方がないのではないでしょうか。

2013年8月26日月曜日

減塩レシピ

 国立循環器病研究センターの病院食が大変な評判になっているようです。一食あたりの塩分が2グラム程度で、1日合計しても6グラム未満と厚労省が勧める摂取量(1日10グラム以下)を十分に満たしているうえに、素材の旨みを引き出す京料理の手法を取り入れた食事は、入院患者さん達の高い評価を受け、退院後もぜひ食べたいという要望が強く、それが減塩レシピ(かるしおレシピ)の本となり、一般家庭用・業務用レシピの配信サービスとなり、百貨店での弁当販売になったと云います。病院側もこれを一過性のブームに終わらせないため、地域の特産品を使った「ご当地かるしおレシピ」のコンテストを催すと云いますから、スゴイ熱気です。
 こうした減塩の話しを聞くとき、私自身はいつも非常に複雑な気持ちになります。上杉謙信が武田信玄に送った塩の話しを持ち出すまでもなく、塩は我々が生きるうえで絶対に必要不可欠のものであり、昔の日本人は味噌・しょうゆ・漬けものなどから、一日に30グラム以上もの塩分を摂っていたと云われ、減塩を勧める現代医学に何か割り切れないものを感じるからです。病院で点滴に使われるリンゲル液は、カエルから摘出した心臓を塩化ナトリウム単独の液に漬けると拍動が直ぐ止まるのに対し、塩化カルシウムや塩化カリウムを加えた液に漬けると、長く活動を続けることから発見されたと云います。つまり塩化ナトリウム単独では有害でも、複数の塩類が混ざるとお互いの拮抗作用が働き、有益に働くようになるのです。また、植物は塩化ナトリウム単独の溶液中では成長できませんが、この溶液に塩化カルシウム、塩化カリウム、塩化マグネシウムなどを加えてゆくと、段々と成長が良くなり、海水を麦、エンドウ、ハクサイ、玉ねぎなどにかけた実験では、どれも枯れるどころか健全な成長を示し、甘みがぐっと増したと云います。こうした事実は植物にしろ動物にしろ、海から上陸した歴史を考えれば当然のことかもしれません。しかしいま店頭で売られている「食塩」は、イオン交換膜を使って精製した純度99%以上の「塩化ナトリウム」という化学物質であり、「天然の塩」とは全く異質のものでありながら、同じ「塩」という言葉で呼ぶところに問題があるように思います。桜沢如一が世界に広めたマクロビオティック(食事療法)の流れをくむ人たちは、みな健康維持のために塩(自然塩)を十分に摂ることを勧めています。塩は身体の生理機能を高めるもので、十分に摂らないと脳神経系や各臓器が十分に働かないため活力が生まれず、貧血、低体温、便秘症などになるからです。
そもそも「塩分過多」を云い始めたのは欧米の研究者たちだったそうです。というのは肉はナトリウムの塊りであり、肉食の欧米人は塩分過多、高血圧になりやすいからです。したがって肉食を控えるかカリウムの多い野菜を多く食べれば、むしろナトリウムは不足がちになり、塩分(自然塩)をしっかり補給する必要があるのです。自然塩は高価という問題はありますが、医療の立場からはいま販売されている「食塩」を問題視するべきであり、減塩レシピを考えるより野菜を中心にした食事で、自然塩をしっかり摂るレシピを考えるべきではないでしょうか。結局その方が医療費も安上がりになると思うのですが。

2013年8月17日土曜日

複合汚染

 いま私たちの身の周りには、プラスティックや洗剤、医薬品など化学製品があふれています。また、農作物、食べ物に関しても、化学肥料や農薬、あるいは食品添加物といった化学物質が非常に多く使用されています。もちろんこれら化学物質に対しては環境や健康を守るため、それぞれの法律で特定の化学物質ごとに安全基準が設けられています。しかし規制の数には当然限りがあり、しかも出回る化学物質は100,000種類にも及ぶと云われ、それぞれの相互作用もよく分からないなか、果たしてこれで我々の環境や健康が守れるのか、かねがね心配していましたが、新聞報道によるといま工場などから出る排水に対し、それが生態系にとって安全かどうか、生き物(ミジンコ、藻類、魚類など)を使って調べる手法「WET」(Whole Effluent Toxicity;全排水毒性)が広がりつつあるのだそうです。排水のサンプル瓶の中にミジンコを入れ、それを毎日観察してミジンコが死んでいないか、あるいは何匹子を産んだかを調べることで、排水が安全かどうか、どの程度の濃度で影響が出るかが分かるのだそうです。これなら現在排出規制のない化学物質の影響や、化学物質同士の相互作用、未知の化学物質の影響なども早期に検出でき、環境汚染に対し極めて直接的な検査結果が得られると期待されます。
化学物質の非常に怖い問題点の一つに、製造時に派生する不純物があります。不純物は量が少ないためほとんど注目されず、それがどんなに危険かは問題が起きてからでないと分からないからです。丁度枯葉剤に混じっていたダイオキシンのようなものです。だからこうした手法による検査は非常に有効と云えます。できればこのWET法が食品添加物の検査にも早期に導入できないものかと考えます。いまや食品添加物はほとんどの食品に添加され、我々の健康にとってもっとも直接的影響のある化学物質だからであり、法律では個々の化学物質の規制はできても、その複合汚染(相互作用)となるとまったく影響が分かっていないからです。

2013年8月2日金曜日

お墓掃除

 お盆が近づき家内と7月末から、家内のオヤジさんの墓掃除に出かけています。田舎とはいえオヤジさんの墓は大きく草取りが大変で、毎回1.5時間ほどの時間をかけ4~5日かかるのと、お盆には二つの親戚筋(これを巻(マキ)と云います)の集合墓地の一斉清掃が入ることから、7月末から掃除にかからないと間に合わないのです。お墓には中央の墓石を囲むように10mm径ほどの砕石が、またその一段下にそれを囲むようにやはり10mm径ほどの玉石が敷き詰められており、お墓を建立したころ(いまから30年前)は、草取りはほとんどする必要がなかったように覚えています。それがいつのころからか敷石の下に土が増え、墓掃除と云えば草取りを意味するようになり、彼岸・お盆と雑草との戦いを続けています。
 草取りにかかると家内とはほとんど口を利くこともなく、草取りに集中します。というのは乱雑に雑草を引き抜くと、根っこが大量の敷石を抱き込み、そのまま捨てたのでは敷石が直ぐになくなってしまうからです。家内は手鍬を使って草抜きをします。この方がスピードは速いのですが土が飛び散って敷石を汚し、石のロスも大きくなります(注意しますが聞きません)。そこで一本一本注意しながら草を抜くのですが、それでも根っこが敷石を巻き込むことがあり、そのときは土を落とさないように石だけを指で揉み落とします。石には原形に近いものもありますが、大半は5mm径かそれ以下になっており、揉み落とすときの判断・気分が石のロスに影響します。
根が巻き込んだ石
こうした作業をやっていると、雑草は石から栄養分を吸収して成長・繁茂すること、逆に石は栄養を取られ、割れたりやせ細っていくことがよくわかります。また、お墓の横には竹藪があり、毎回お墓には大量の笹の葉が落ちています。そこで階段をほうきで掃くのですが、そのとき笹の葉の下に黒い土がわずかにできています。これらの現象はまさに地球上で進む土つくりを具現化していると云えます。我々が住むこの地球はもともとは岩石からできていて、植物が成長できる環境にはありません。しかし最初にコケが岩石に取り付いてそれを浸食し、やがてそのコケが枯死して微生物に分解されわづかな土(粘土)に変わると、次にシダ類などの低級植物から始まって順次高等植物が現れ、それらが岩石を砕き浸食しながら繁茂し、枯死しては微生物分解され、気の遠くなるような歳月をかけ、地球上の岩石は土に変わっていくと云われます(生成速度;0.01mm/年)。つまり土は地上の生物が長い時間をかけ残してくれた貴重な遺産であり、だから生物のいない月には土(粘土)はないのです。墓掃除をしながらこうした大自然の壮大な営みを体感し、いろいろ考えを巡らせていると、墓掃除もあっという間に時間が過ぎるから不思議です。
 このように植物(現実には動物も)が関与して作られた土は、微生物や腐食に富んだ肥沃な土で、こうした肥沃な土と豊富な水に恵まれた大きな河川の周りには、太古から主要文明が勃興しました。しかし農耕は生きた土に人為の手を加え、土(微生物や腐食)を消耗する行為でもあり、すべての文明は土の劣化と、それに伴う土の雨・風による流出により滅んでいます。いま世界ではこの数十年間に、過去数千年間にもなかった量の土の劣化と流出が進んでいると云います。世界の穀物市場を牛耳っているあのアメリカでさえ、穀物1トンを作るときに貴重な表土2トンを失っていると云い、深刻な砂漠化が進みつつあるのです。やはり農業は身土不二、自給自足が原則であり、生ごみの循環により土の劣化を防ぎ、持続可能な農業を目指したいと考えています。

2013年7月28日日曜日

ジャガイモの栽培(つづき)

従来法
逆さ植え
前回の「ジャガイモの栽培」(5月)では、「逆さ植え」の方が「従来法」よりも発芽が良く、葉の成長も良かったことを紹介しました。その後も葉の成長具合いを観察していたのですが、右の写真からも分かるように、「従来法」には結構虫食いが観察されたのに対し、「逆さ植え」の方には全く虫食いが見当たらず、葉もイキイキと元気よく、本にあったように病害虫に強い、抵抗性の誘導された芽が伸びたせいかも知れません。こうした結果からはジャガイモは、「逆さ植え」の方が良いように判断されました。肝心のジャガイモの出来具合いの方ですが、どちらもビー玉くらいのものから、テニスボール大のものまでが入り混じり、見た目だけでは優劣の判断はできませんでした。ただ、どちらも量的にもサイズ的にも少し出来が悪かったかなと思っていたところ、丁度近所の人が通りかかり、「上出来じゃないですか。今年はどこも不作のようで、我が家もこれに比べたらずっと小粒ばかりで良くなかったですヨ」と云って下さり、ホッと救われる思いでした。早速ビー玉クラスのものを中心に蒸して試食してみましたが、ホッコリとして甘く、味としては上出来のように感じました。
 ところでこの4月から月に1回のペースで開かれる、丹後農業改良普及センター主催の「農業基礎講座」に通っています。野菜づくりに少しでも役立てばと思ってのことです。丁度この7月には根菜類の講義があり、ジャガイモの話しもありました。しかし根菜類と云っても種類が多く、それぞれの特徴についてザッと説明を受けるとそれで時間切れで、特にジャガイモの詳しい話しが聞けた訳でもなく、その点は残念でしたが、ただ、説明図には「従来法」の絵が描いてありました。
 今回、農業を基礎から勉強して感じるのは、最初に数学、化学、物理、生物などの基礎知識を勉強したことからも分かるように、農業には結構理系の、それもかなり高度な知識がいるということです。最近はこれに環境学が加わるかもしれません。第二の人生を送るのに農業を選ぶ人は多いですが、農業はやりようによっては人生を締めくくるにふさわしい、取り組みがいのある選択肢と云えるかもしれません。 



2013年7月23日火曜日

お食事どころ

 いま一緒に「エコの環」づくりに取り組んでいる人が、生ごみ堆肥で作った無農薬・減農薬野菜を食材に、このたびお店で「ランチ」のサービスを始められました(すゞ菜(0772-46-3632)、営業日;水~土のみ、11:30~14:00)。もともと仕出し弁当・お惣菜などを作っておられ、そのときに発生する大量の生ごみ(1日に7~8キログラム)を捨てるのがもったいないと、コンポスターで堆肥作りをされていたのですが、ウジが湧いたり、汚水が出たりして困っておられたとき、私たちが宮津方式の「たいぞう君」を勧めたところ、非常に気に入っていただき、そのとき(2009年)以来のお付き合いです。自家発生の生ごみで奥さんは無農薬野菜、ご主人は減農薬野菜を作っておられ、それらを食材にお弁当、お総菜を作るかたわら、無農薬の「エコの環」野菜の出荷にも協力してもらっています。
 お店が開店のときランチを食べに出かけました。旬の野菜を中心に2種類の献立(1,000円と700円)が用意され、ごはんには無農薬の玄米食もあり、それがとても香ばしく炊けていて、おいしく頂くことができました。塩など調味料にもこだわっておられるようで、まさに地産地消の自然派食堂といった趣です。お店で発生する生ごみを野菜に変え、そっくり献立に利用する仕組みは、私たちがいま地元小学校区で進めつつある「エコの環」を、飲食業という業態でコンパクトに具現化したものであり、環境的には極めて負荷の少ない、また、健康的には身体に非常に優しい循環システムと云えます。私たちもいま野菜の店頭販売だけでなく、仕出し料理屋さんなどと組んで、生ごみを処理する代わりに野菜を引き取ってもらう、バーター関係を築こうとしていますが、その先駆け的な取り組みでもあります。天橋立方面に来られた時にぜひ立ち寄られてはと、紹介させていただきました。


2013年7月10日水曜日

仙人食(つづき)

 前回、青汁一杯で難病の「脊髄小脳変性症」を克服された女性(森美智代氏)の、著書の内容を紹介しました。もう少しその内容を記したいと思います。彼女の青汁からの栄養摂取量は、日本人の摂取基準に照らすと炭水化物と脂質は検出不可、タンパク質は3%で、いわゆる三大栄養素はほとんどゼロ、したがってエネルギーは1%にすぎないと云います。一方、残りの栄養素、ビタミン・ミネラル(食塩)は比較的充足率が高いものの、それでも多くて40~60%に過ぎないと云います。
尿素の再利用(血清タンパク中のN15濃度)

 ところで我々の身体はそのエネルギー源に糖質(炭水化物)を使用します。特に頭脳はブドウ糖を大量に使用するため、朝食をしっかり取ることが一日元気に働くための必須条件と云われます。しかし彼女はその炭水化物の摂取量がゼロなのです。それで頭がボーとしているかというと逆で、非常に「クリア」になり、本などは一度読むと情報がきちんと頭に整理格納されると云います。これは彼女だけの話しでなく、甲田医院で療養していた人たちは一様にそれを感じておられ、少食療法をしていた男子三人が東大に入ったという事例もあるそうです。また、我々の身体はタンパク質を分解吸収した後、代謝産物のアンモニアを尿素にして排泄します。つまり尿素は廃棄物と考えられています。ところがこの尿素が、お腹いっぱい食事をした学生では捨てられるのに対し、タンパク質の少ない食事をした学生とか、甲田医院で少食療法をしている人たちでは再利用され、タンパク質に逆戻りするという実験結果があるそうです(上図)。つまり少食により身体がタンパク質の不足を感じると、腸内細菌が尿素を分解してアンモニアをアミノ酸に変え、それを体内吸収してタンパク質が合成されるというのです。栄養学的にはあり得ない話しだと思います。
 彼女はほとんど栄養を摂っていないにも拘らず、内臓や血液、栄養状態などに異常はなく、ただ、尿検査では「ケトン体」が多いと云います。ケトン体とは体内にエネルギー源の糖質がなかったり、飢餓状態や糖尿病のとき現れる物質で、糖質の代わりに脂肪酸やアミノ酸をエネルギー源に使ったことを示すもので、通常だったら神経症状やこん睡などを引き起こしかねない危険な数値であるにも拘らず、彼女は何の不調も感じないのだそうです。また、慢性肝炎などの治療薬として知られるインターフェロン、もともとは体内で作られる免疫物質だそうですが、いくつかあるタイプの中にウィルスやガンなど腫瘍細胞に対する抑制作用が強いインターフェロンαがあり、これの血中濃度が普通の人は5,000単位くらいであるのに対し、彼女は20,277単位と4倍以上もあり、他の生菜食実行者も彼女に劣らず非常に高いのだそうです。普通は免疫力を高めるには「しっかり食べる」ことが勧められますが、少食の方がかえって免疫力は高まるというのです。こうした話しも現代医学には通じないと思います。
 いまの医学にしろ薬学にしろ、神の領域にまで足を踏み入れかねないレベルにあると我々は信じてきました。しかしそれは極めて狭い分野での突出であって、この世の中にはマイノリティではあっても昔から実施され、守り継がれてきたものの中に、まだまだ我々が知らない隠れた真実がいっぱいあって、そうしたものに謙虚に目を向け、そこから新たな分野を導き出すことが、これからの医学、栄養学には必要ではないか、森さんの本を読むとそんな気持ちにさせられます。

2013年7月1日月曜日

仙人食

森美智代氏
  「食べること、やめました」(森美智代、マキノ出版、2008)という本を読み、非常に強い衝撃を受けました。著者は21歳のとき「脊髄小脳変性症」という過酷な病気にかかった女性で、運動機能をつかさどる小脳や脊髄が委縮する難病を食事療法で見事に克服された方です。医師からは「しだいに歩けなくなり、寝たきりになる。治療法はない」と云われたそうです。余命も5~10年と考えられ、それこそ頭が真っ白になったと云います。しかし彼女は高校生のとき、たまたま甲田光雄という先生から断食や少食糧法が数々の難病を救う話しを聞いていて、ワラにもすがる思いで先生に相談したところ「大丈夫。治る」と云われ、それから彼女の「断食」と「生菜食の超少食療法」が始まったと云います。生菜食とは生野菜や果物、生の玄米粉だけを食べる食事療法です。生菜食を始めたころの1日の摂取エネルギーは約900キロカロリーで、通常の成人女性の1,800~2,000キロカロリーよりかなり低エネルギーであったにも係わらず、体重がどんどん増えるため食事の量を減らし続けるうちに、とうとう1日の食事が青汁一杯(5種類の葉野菜150gをミキサーで粉砕後、ネットで濾したもので60キロカロリー)だけになってしまったそうです。成人女性の基礎代謝量(安静にしていても消費されるエネルギー量で、それを下回る食事は身体を壊し危険と云われる)は1,200キロカロリーほどであり、実にその1/20という信じられないような量で彼女は13年間を生き抜き、しかもまともに歩けず這っていた身体もすっかり良くなり、10kmを走っても大丈夫なほどに回復したと云います。医学検査でも何の異常もなく、握力や骨量はむしろ同年代の女性より勝っているのだそうです。彼女の例は極端にしても、甲田医院の入院患者さん達には1日1,000キロカロリー以下で過ごしている人が多く、それで皆さん難病を克服されていたそうです。
  以上の話しは現代栄養学では全く通じない話しですが、実は彼女の腸内細菌はいつの間にか人間のものから牛のものになっていて、普通は消化できない食物繊維を彼女は分解でき、それをタンパク質や脂肪に合成できるのだそうです。だから青汁一杯でも体重60kgが維持でき、もっとダイエットしたいほどなのだそうです。こういう話しを聞くと現代医学、現代栄養学とは一体何なのだろうかという疑問がわきます。断食を含めた食事が難病を克服するだけの身体を作ってくれるのです。考えてみれば現代医学はまさに対処療法そのものであり、昔のコレラとかチフスといった病原菌退治の頃の思考回路をそのまま引きずっており、もっと自然治癒力というか、本来我々に具わった力を引き出すような医学であるべきではないかと思います。マクガバーンレポートもこの辺りを問題視し、生活習慣病は「食源病」であり、薬では治らないと明言しているのだと思います。

2013年6月20日木曜日

ぴんころ地蔵

  ”みのもんたの朝ズバ!” というTV番組で、長野県佐久市にある「ぴんころ地蔵」を紹介していました。長野県というのは男女とも平均寿命が全国1位の長寿県なのだそうで(沖縄とばかり思っていました)、佐久市も老人の医療費、要介護比率が全国平均をかなり下回ることから、これをモチーフに地元の商店会が「ぴんぴん長生き、ころりと成仏」を祈願できる地蔵を、15年前に作ったのだそうです。実際に佐久市では90歳以上の人の平均余命は3.9歳、活動余命(人の手を煩わさず自立して生活できる期間)は2.2歳、その差(要介護期間)はわずか1.7歳で、「ぴんぴんころり」の人が多いのだそうです。年々このお地蔵さんを拝みに来る人が増え、いまでは年間10万人もの人が訪れ、よき地域活性策になっているそうです。



ぴんころ地蔵
長野県が長寿県になるには県を挙げての努力があったようです。というのもかつては漬物とか信州みそなど保存食からの塩分摂取量が多く、脳卒中のワースト1になったこともあるからです。そこで取り組んだのが「減塩対策」で、漬物の摂取量を抑えたり、味噌汁は具だくさんにするよう指導されたりしたそうです。また、長野県は野菜王国で生産量が多いことから、野菜をたくさん食べることを指導されたそうです。野菜にはカリウムが多く含まれ、これに体内の塩分(ナトリウム)を追い出す効果があり、減塩につながるからです。厚労省が勧める野菜の1日の摂取量350グラムを、男女ともに達成しているのは長野県だけで、当然野菜の摂取量は全国1位だそうです。また、高齢者の農業従事者が多く、高齢者の就業率も長野県は全国1位なのだそうです。
  いま我々は地域の高齢者の力を借り、「エコの環」野菜を地域の人にたくさん食べてもらう運動を進めていますが、内容的に長野県の行ってこられた運動と一致することを知り、朝から非常に勇気づけられました。

2013年6月11日火曜日

放射能汚染?

  2011年の秋、熊本にいる末娘から身体中がかゆくて夜寝られないと云ってきました。いろいろ問いただすと、歓迎会で食べた馬刺しだろうかと云います。熊本へ行くまで食べたことがなかったからです。いずれにしても病院へ行けばステロイド剤を渡されるだろうし、それまでも手荒れなどにステロイド剤を使っており、その害を考えると不安になってきたのです。家内もこれ以上対処療法の薬には頼れないといろいろ本を調べ、自然食品店に相談したりして天然由来の薬を捜し、また、玄米菜食の食事を勧め、根本治癒に努めさせました。そして排便に心がけるよう云いきかせました。便秘がちなことを聞いており、排毒が重要と考えたからです。しかし一進一退でなかなか治まらず、2012年の春に帰省した時は顔などもかなり荒れ、気の毒なほどでした。その後便秘がかなり改善され、症状も改善傾向になったのですが、身体の湿疹が完全には治まらず、夏に東京の自然医学の先生に家内と相談にでかけました。その時の診断は「血液は非常にきれいだが毒素が抜け切っていない。食事療法を続けるように」というものでした。その後、顔、背中などの荒れが治まり、夜もよく眠れるようになったらしいのですが、腕の湿疹がまだ治らないと云います。そんなとき京都市にアトピー治療の優れた先生がいると聞き、この5月にまた家内と相談に出かけました。その先生は「O リング」というちょっと信じがたい方法で診断をされるのですが、診断が非常によく的中し、治りも早いと聞いたからです。診断の結果は「放射性セシウムが原因」という思いもよらないもので、「エッ! なんで熊本にいる娘が?」とびっくりするものでした。先生によると東電の原発事故以来、放射性セシウムが疑われる患者さんが非常に増えているのだそうです。にわかには信じがたかったのですが、チェルノブイリの原発事故では100~400km離れたところでも、甲状腺がんや先天性の心臓病が多発し、新生児で何らかの異常を持つ者が85%にのぼったと聞くと、原発事故の重大性を思い知らされるとともに、さもありなんかとも思えます。先生によるとさまざまな食品がいまいろんなルートを経由して放射能に汚染されており、産地を選ぶだけでは防ぎようがなく、魚は当分の間は控え、有機野菜を塩水で洗って「除染」して食べるようにとのことでした。熊本にいて除染? 信じがたいびっくりするような話しです。
いま我々は少し昔に比べれば非常に清潔で、便利で、快適と云われる環境に生きています。しかしその実態は「化学物質漬け」ともいえるもので、規制値、基準値をクリアしているとはいえ、汚れた空気を吸い、汚れた水を飲んでいます。農薬に汚染された食糧、添加物の入った食品を食べています。また、さまざまな台所用品、化粧品、香料、新建材などから数えきれないほどの化学物質を取り込み、密閉された部屋で汗もかかない生活をしています。一つ一つの規制値、基準値は動物実験などから安全性が確認されていても、それらが複合したときの安全性は確認のしようがないのです。そんな環境下ではちょっとしたものがアレルギーの原因になりかねず、まして放射性物質の影響は鋭敏に現れるといいます。しかし日本の食品の放射性物質汚染の暫定基準値は500ベクレル/kgで、ドイツの大人8ベクレル/kg、子供4ベクレル/kgはさておいても、チェルノブイリのあるウクライナのパン20ベクレル/kg、野菜40ベクレル/kgなどと比べても高すぎるのです。熊本で放射性物質の除染を云われても、不思議ではないのかも知れません。
  我々は生ごみ堆肥で育てた安心、安全な「エコの環」野菜を、たくさん食べる「5 a Day」運動に取り組んでいます。我々の身体は約60兆個の細胞からできており、新陳代謝により1日に約1兆個もの細胞が新しく生まれ変わると云います。つまり食事を変えれば我々の身体の全細胞は2ヶ月で総入れ替えが可能であり、新鮮な「エコの環」野菜をたくさん食べることは、排毒を促す食物繊維や、新陳代謝・自然治癒力を高める酵素も豊富であり、アトピー・生活習慣病の改善に役立つと信じるからです。しかし放射能の影響にまでは考えが及びませんでした。

2013年5月31日金曜日

ジャガイモの栽培

ブログ、農業者の会合ではジャガイモの「逆さ植え」について触れ、我々も畑の一列を逆さ植え、一列を従来法にしたことを紹介しました。その後成長が気になりしばしば観察していたのですが、一方が順調に芽を出し成長していくのに対し、一方は発芽が遅れ全然芽を出さないところもあったりして、実験とはいえ一緒に作業してくれた女性陣に悪いことをしたと、後悔しながら記録ノートを見直すと、なんと発芽の悪いのは従来法の方で逆さ植えではなかったことが分かり、ホッとすると同時に逆さ植えが案外順調に生育したことに驚いています。そういえば先日神戸からの訪問者たちを案内した女性も、ジャガイモは逆さ植えしていると語っていたことを思い出し、今度は収穫が楽しみになってきました。
左側;逆さ植え、右側;従来法
ところで右の写真の最右列は化学肥料を使った隣の畑のジャガイモの葉です。写真では分かりづらいですが、葉っぱが暗緑色でゴワゴワしています。対して我々のジャガイモの葉はさわやかな緑色で柔らかい感じがして、明らかに窒素濃度の大きな差が認められます。ジャガイモの葉は食べないので問題ないですが、葉菜類の場合は硝酸塩含有量(日本には規制はないが、EUでは2,500ppm以下に規制)としてこの差が問題になってきます。
先週、女性陣がサクランボを出荷しようとしているのを見て、どこで採ったのか聞くと、女性の一人の畑にサクランボの木が一本あるのだそうです。早速、次の出荷時に私も参加してサクランボの収穫を体験しました。サクランボの木を見るのは初めてでしたが、真っ青な空の元、真っ赤に熟れたサクランボを片や味見しつつ収穫するのは、何とも言えないシアワセというかぜいたくな気分でした。演歌歌手の大泉逸郎さんはサクランボ農家だということですが、多分「孫」を熱唱しながら一粒一粒収穫されているのでしょうネ。その日は全部で1.5kgほど収穫し、2~3日後にまた収穫することにしました。しかし2日後の朝、「サクランボが全部鳥に食べられた」と女性から黄色い声で連絡が入り、収穫は中止になってしまいました。鳥も生きるためには真っ赤なサクランボを見逃すわけがなく、改めて自然界で多くの動植物が共生していく厳しさを思い知った次第です。大泉逸郎さんはこうした問題をどう解決されているのでしょう。

2013年5月22日水曜日

神戸からの訪問者

  総会を先日の日曜日(5/19)に終え、いまは気分的にホッとしているところです。総会ではいつも最後に私がミニ講演を行っていて、今回は『「エコの環」野菜で「5 a Day」運動を』というタイトルで、15分ほど話しをしました。我々の作る「エコの環」野菜はビタミン・ミネラルが豊富で、それを1日5皿(350g)以上食べることは生活習慣病対策になること、また、畜糞堆肥、野菜の硝酸塩濃縮、F1の種などの有害性にも触れ、「エコの環」ではこうした有害性の排除にも努めていくことをお話ししました。
  ところで先週神戸から、5人の方々が我々の生ごみ堆肥化法を見学にやってこられました。これまでも府内の福知山市、南丹市など、遠方から見学に来られたことはありましたが、他府県からは今回が初めてであり、とても嬉しいことでした。早速、生ごみの堆肥化を始めたきっかけから、現在取り組んでいる活動内容までをスライド用の絵を使って説明し、その後生ごみ処理機”たいぞう君”を見てもらったり、内容物の温度変化を記録紙で説明したり、養生中の堆肥を見てもらったりしました。しかし”たいぞう君”の土の中に毎日、生ごみを少量のゼオライト粉と共に投入するだけで生ごみが分解し、大きな魚の頭も1日で消えてなくなることがにわかには理解してもらえず、いつものことながら納得してもらうのに時間を要しました。ただ皆さん一様に臭いがほとんどしないこと、内容物がかなり乾いていることに驚いておられました。
生ごみ堆肥だけの野菜づくり
この後、やはり我々の方法で生ごみ堆肥を作り、それだけで野菜を上手に作っておられる女性の畑を見学に出かけました。この女性はむかし京都市内でレストランを経営されていた方で、こちらに引っ越してきてから農業を始め、最初は他のいろんな肥料・方法で野菜を作っておられたのが、我々の生ごみ処理法を知ってからは、「こんなすばらしい肥料はない」とすっかりゼオライトを使った堆肥化法にほれ込み、熱心に生ごみ処理、野菜づくりを行っておられます。皆さんも彼女の説明に従って”たいぞう君”の内容物の臭いを直接かいだり、数か月養生した堆肥を触ったり、野菜の育ち具合を見たり、栽培中の豆の味見をしたりしながら、すっかり説明に引き込まれておられました。皆さんは神戸市内のある地区のまちづくりに係わっておられるとのことでしたが、今回の見学会が生ごみ循環社会を作るきっかけになればと願いつつ、現地でお別れしました。

2013年5月6日月曜日

活動計算書

  今年も総会をまじかに控え、会計監査、資料準備と気分的に落ち着かない時期になりました。今年度から決算書が従来の収支計算書から活動計算書に変わるというので、まず活動計算書を作成しました。複式簿記(つづき)で収支表の改訂版について触れましたが、この改訂版では収益・費用欄の末尾に未収金・前受金・未払金・前払金の入力できる欄があり、通常の現金主義に基ずく収支差額と、発生主義に基ずく活動計算書の収益費用の差額が同時に計算されます。一方、資産・負債項目の欄があり、そこに前期繰越資産として繰越金・未収金・前払金・商品在庫額を、繰越負債として未払金・前受金を入力しておくと、それらの決済が今期に行われる都度、それら入力額が資産・負債から減額され、前述の発生主義の収益費用の差額と合算され正味財産増減額が計算されます。また、欄外最下段に銀行の通帳残高・手許現金の記入欄があり、毎月その合計額が出納帳残高と突き合わせできるようになっています。つまりこの収支表改訂版一枚で月々の金銭収支、資産・負債の増減、正味財産の推移が把握管理できるわけです。したがって期末にこの改訂版の収益・費用欄の科目別合計額を、その順序通りに転記入力すれば活動計算書が簡単に作成でき、欄外の通帳残高・手許現金、商品在庫額、それと収益・費用欄末尾の未収金・前受金・未払金・前払金などの金額を転記入力すれば財産目録が、財産目録の金額と正味財産の前期繰越額・当期増減額を転記入力すれば、貸借対照表が作成できるのです。
  このようにして活動計算書は簡単に作成できたのですが、これを総会で説明しようとすると案外難しいことが分かりました。というのは私の理事長報酬は月に1万円ですが、これがいまは払えず未払金扱いにしています。しかし活動計算書では払ったことにするため、この辺りを理解してもらうためには貸借対照表などで負債の説明も必要になってきます。一方、従来通りの収支計算書にすると、今度は未収金(例えば前期苦労して集めた京都地域創造基金を介した寄付金の一部)などが説明から抜けることになります。判断の難しいところですが、やはり一般の会員には現実のお金の流れが分かる収支計算書の方が、分かりやすいかなと思っています。
  ところで活動計算書ができたところで税務署に青色申告の相談に行ってきました。というのも昨年度から「エコの環」野菜を店舗などで販売するようになり、税務署に事業開始届を出しておいたからです。税務署の対応は非常に親切で、一度活動計算書の作り直し(税務申告では収益事業に係わる収益・費用のみが必要で、管理費は不要)を云われただけで、申告書は比較的簡単に作成できました。もちろん赤字で税の負担は免れたのですが、しかしここでトンデモナイ問題が発生しました。というのは地方税の均等割りを納めねばならないことが分かったのです。これは収益事業で利益が出ようが出まいが納めなければならない税金で、京都府が年2万円、宮津市が年6万円で、いまの我々には壊滅的ダメージとなる額なのです。税務署には「事業開始届を撤回したい」、宮津市には「しばらく見逃してほしい」と相談しましたが、そんな相談が通るわけがなく、税務申告書を机上に置いたまま毎日見過ごしている状態です。

2013年4月30日火曜日

便秘(つづき)

何らかの原因で食べた物がうまく消化されないと、食べ物は腸内で腐敗し、硫化水素や硫酸塩、有機酸塩など悪臭を放つ強酸性物質が産生され、腸内は強く酸性化するそうです(酸性腐敗便)。特に大腸が強い酸性状態(pH;2.5~5.5)になると、タンパク質が分解したアミノ酸類は腸内の悪玉菌によって強毒の「アミン」に変身し、激烈な血管収縮やけいれん作用(循環器系の発作)を引き起こし、また、各種組織に傷害作用を及ぼして多くの現代病の原因になると云うから怖いです。つまり消化不良が高じて大量のタンパク性アミン類が産生され、それが急激に体内に吸収されると心臓発作や脳卒中など急性症状を引き起こし、軽度の消化不良によりタンパク性アミン類の産生が少量で、それが各種組織にジワジワと障害を及ぼす場合は、ガンなど生活習慣病につながるのだそうです。心臓発作や脳卒中は、トイレ中やトイレへ行こうと立ち上がった時に起きやすいと云いますが、私も会社勤務時代、便秘/下痢の繰り返しに悩まされ2~3度意識を失ったことがあります。いまにして思えば当時はオナラも便も酸性腐敗臭がきつく、強毒タンパク性アミン類の大量の産生・吸収によるものだったと考えられます。
前回、長生きするには「肉は食べるな」か、「肉を食べろ」かの書籍対決に触れましたが、タンパク質は生命維持に最も深くかかわる重要な栄養源である反面、強毒のタンパク性アミン類の原料であり、繊維質がないため腸に停滞しやすく腐りやすいので、その過剰摂取にはやはり問題があると云えます。いまは食の欧米化が進み、日本人のタンパク質摂取量は成人男子の基準量が1日60g、女子が50gとされるなか、平均80g摂取していると云いますから注意が必要といえます。
いずれにしても健康管理には腸内環境を整え、規則正しい排便に心がけることが非常に大切であり、「5 a Day」運動の重要性を改めて感じます。

横田貴史;慢性諸病の元は「酸性腐敗便」

2013年4月19日金曜日

便秘

 上から下へ向かって
1日目、4日目、7日目
食事療法で排泄された腐敗便
いま日本人の5人に1人は便秘トラブルを抱えていると云います。便秘ぐらいとつい軽く考えがちですが、便秘は老廃物を長く腸内(体内)に留め、悪玉菌を繁殖させて血液を汚し、それが全身を巡ってすべての組織・器官に有毒物質を送り込み(自家中毒)、多くの病気や身体不調の元凶になるというから、甘く見ない方が良さそうです。図-左は便秘患者の排せつ物だそうです(バーナード・ジェンセン;汚れた腸が病気をつくる)。便秘が続くと腸に憩室(けいしつ)という突起ポケットができるそうですが、それを含めた腸の形状そのままの形をしています。こんなものを体内に溜め込んでいたら糞詰まりもいいところで、病気になることは容易に想像できます。図-右は足にできた頑固な潰瘍が食事療法による腸の浄化で、わずか1週間後に回復した様子を示しているそうです。便秘がいかに怖いか一目瞭然です。細胞は老廃物を除去した培養液に浸しておくと死なないそうで、結局、血液の汚れが細胞を破壊し病気・老化につながるようです。ジェンセン博士は「乳製品や肉類をたくさん食べる人ほど腸の状態は最悪で、穀類を中心に食物繊維の豊富な食事をする」ことを勧めています。
  いまは健康ブームで本屋にはその種の本が多く並んでいます。しかし「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)の横に「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)があったり、「空腹が人を健康にする」(南雲吉則)の横に「その健康法では早死にする」(高須克弥)があったりして、正直何が正しいのか分からなくなります。ジェンセン博士に従えば便秘にならないためには肉は避けた方が良く、また、博士は宿便を排泄する最良の方法は「断食」と云っておられ、その意味で空腹は便秘の解消によいと考えられます。一方で我々は9種類の必須アミノ酸を食事から取る必要があり、そのためには良質の(加工されてない)肉や魚が必要です。また空腹を維持してやせ細っても、低体温体質になってかえって免疫力を落とすことになりかねません。要はあまり厳格にならず、便秘を起こさない範囲で肉を食べ、食事の量も取ることが大切なのではないでしょうか。「生ごみの堆肥化で健康づくり」ではアメリカの「5 a Day」運動を紹介しています。新鮮な野菜・果物をたくさん食べることは食物繊維が便秘トラブルを解消し、生活習慣病の減少につながると考えられます。


2013年4月13日土曜日

農業者の会合

  いま6名の高齢農業者の協力のもと、生ごみ堆肥による無農薬野菜の栽培を行っています。しかし普段ほとんど顔を合わせることもなく、また全員が農業は初めての疑似農業者ばかりのため、お互いの情報交換を行なおうと2回目の会合を持ちました。まず私の方から「連作のすすめ」(木嶋利男、家の光協会)という本にあった、「連作は土壌病害が発生しやすいと云われるが、一度それを乗り越えると発病衰退現象が現れ、農作物の収量、品質、生産の安定性は輪作より勝るようになる」という内容を紹介しました。小さい頃にハシカにかかると免疫ができ、以後ハシカに感染しなくなるのと同じことが、畑でも土壌微生物の拮抗作用によって起きることが面白く感じられたからです。本には野菜毎の病害虫に強い連作技術も記載されており、先日隣組で行ったジャガイモの植えつけでは、本にある方法を半分取り入れたことを紹介しました(上図)。この方法ではまず種イモのへそ(親株とつながっていた部分)を切り落とし(これを「乳離れ」といい、萌芽が良くなるそうです)、次にへそを上に縦に切断して(横に切断すると導管を切り萌芽しない)切り口を乾燥させたあと、普通は切り口を下に植えつけるのを上向きに「逆さ植え」します。こうすると芽数は少ないが病害虫に強い芽だけが伸びてくるそうです。ただ皆さんもいろいろ勉強をされていて、ある人は「根菜類」→「葉菜類」→「果菜類」を繰り返すと病害が抑えられるというので、いまその方法を実践しているとのことでした。
  次にブログでも触れた「F1-種」について話し合いました。そして「野口のタネ屋」さんからインターネットで固定種(在来種)が安く買えることを紹介し、できれば収穫後自家採種を行って我々独自の野菜を作っていこうと話し合い、このときは全員のイキも揚がりました。「畜糞堆肥」の怖さについても再度説明し、我々の畑には絶対に使用しないことを確認し合いました。
  最後に野菜の作付けの大まかな分担について話し合いました。しかし今はそれより堆肥の量が絶対的に不足しており、生ごみ処理量(300~400kg/月)をもっと増やすべきことが大きな話題になりました。しかし助成金はなく、寄付金も思うように集まらない現状では、処理箱(たいぞう君)の製作費(9万円/台)もままならず、また、生ごみの収集や生ごみ処理協力者をどうするかなどいろいろ課題もあり、一気には進められないものの、まずはできるところから少しづつ増産に努めていこうということで会合を終えました。
 

2013年4月4日木曜日

1年間の活動のまとめ

 この1年は地区内2か所にある生ごみ処理機(たいぞう君)3台で、隣組の生ごみ・仕出し料理の調理屑を月に300~400kg処理し、できた堆肥で当初は3人が、いまは6人が無農薬野菜を育て、週に2回、地区内の2店舗で、また、2ヶ所の仕出し料理屋さんに販売してきました。販売額の推移は下図の通りで、月に3~4万円まで順調に伸ばしましたが、1月以降は降雪と端境期が重なって、販売額は一気に落ち込んでしまいました。野菜を栽培してくれる人には販売額の半分ほどを手渡していますが、多い人は月に8~9千円になることもあり、「励みになる」と素直に喜んでもらっています。
 農作については、堆肥をどの程度畑に入れるべきかまだ手探り状態であったり、葉菜類を虫に食われボロボロにしたり、硝酸塩が思いのほか高かったり、まだまだ試行錯誤の段階にあります。それでもほとんどの種類の野菜の栽培を手掛け、土つくりさえ進めば無農薬で間違いなく育てられることを確信できたのは、大きな収穫だったと考えています。
 野菜については、販売店から「野菜嫌いで白菜などほとんど食べない子供(中学生)が、エコの環の白菜は食べてくれた」とか、「有機野菜といっても必ずしもおいしくないが、このエコの環野菜は本来の味がする」といった、お客さんの温かい声をときどき聞いたり、追加注文を受けたりしたこと、また、当初は生ごみ堆肥に懐疑的であった仕出し料理屋さんから、「おいしかった」とか「日持ちが良い」など、見直しの声が聴けたりしたことは大きな自信になりました。
 今季の活動は当初、京都地域創造基金を通じた寄付を当てにしていたのですが、我々の不慣れもあり、寄付集めが非常に難しいことを思い知った1年でした。京都地域創造基金を通じた寄付には、所得税・地方税の控除といった税制上の大きな優遇措置があるのですが、実際のところ1万円以上の寄付額でないとあまりその恩恵はなく、寄付の依頼に行っても年配者には確定申告が免除で、所得税とは無縁の方が多かったり、若い人には1万円というのは厳しかったりして、なかなか「1万円」と口に出せないのが実情でした。一方、「1,000円で結構ですから」というとほとんどの人は快く寄付に応じてくれ、寄付金額にハードルのあることを知りました。また、「阿蘇海が汚れて魚が獲れなくても、魚を食べることに困らない」とか、「生ごみを燃やすのは悪いといっても、毎日所定の場所まで持っていくのが面倒くさい」といった各人の意識のハードルもあり、我々の思いを伝えることの難しさを思い知った1年でもありました。とはいえ「エコの環」のシステムもギクシャクしながらも回り始めたことから、今年度は生ごみ処理量の増大を進めるべく、自治会などとの連携を図っていきたいと考えています。
 


2013年3月30日土曜日

有機栽培

  日本の農業者の60%は65歳以上の高齢者で、その8割は農業を楽しんでいる人達(疑似農家)であると云います。私が住む田舎(宮津市郊外)でも、実際に農作業を行っている人のほとんどは元サラリーマンで、自家消費用のコメ・野菜を作っておられます。そして野菜づくりでは健康志向を目指してか、多くの人が化学肥料・農薬を使わない有機栽培にこだわっておられます。その人達に肥料は何を使っているか聞くと、ほとんどの人は鶏糞や牛糞を使っていると云います。しかし数十年も昔ならともかく、いまは牛も鶏も生産効率を上げるために、成長ホルモン、女性ホルモン、抗生物質などが入った配合飼料で育てられています。栄養価の高いものを食べすぎると我々は脂肪肝になりますが、それは家畜とて同じで体調をこわします。また、狭いケージの中で育てられることによるストレスで発病します。それを防ぐには抗生物質や抗菌剤が必要ということで、餌に添加される抗生物質・抗菌剤は30~40種類にも及ぶと云います。当然こうした家畜は抗生物質をたっぷり含んだ排泄物をし、こうした排泄物から作られる堆肥は抗生物質耐性菌にあふれたものになります。したがってこれを肥料に使う農業者は常に耐性菌に曝され、野菜には耐性菌が付着します。もしこうしたことが原因で病原性耐性菌に感染したら、どんな抗生物質も効かず、有機野菜だからといって安心できないことになります。いま全国では毎年2万人ほどの人が耐性菌の感染で生命を落としていると云います。しかし野菜については何の規制もなく、有機JASマークが付いているから、自然食品店で売られているからといって安全な保障はありません。こうしたことから我々の「エコの環」では、畜ふん堆肥は一切使わないことにしています。

2013年3月21日木曜日

F1種

  数年前、あさがおの種を買って苗を200株ほど育て、それをアチコチの人に配って生ごみ堆肥で育てたことがあります。どこも見事に花が咲き、それがとても嬉しくて翌年を楽しみにタネ取りをしました。そして翌年、同じように苗を育てたのですがどうも育ちが悪い(中にはモヤシのようなひょろ長い苗も)。成長を待ちきれずに移植をしても、すぐに根腐れを起こしたり、大きく伸長しないまま小さな花をつけたり、結局、満足な苗を育てられずおかしいなと感じたことがあります。その後ある本で、いまは花も野菜もほとんどが「F1の種」(交配によって作られた新品種の一代目の意)から作られ、それは二代目以降が生まれることは想定しておらず、一代限りを目的にした種であることを知りました。
  この自然界には異なった種の間では生殖ができない「種の壁」が厳存します。しかしいまのバイオテクノロジーは簡単にこの壁を破り、自然界では決して交じり合わない品種同士から、例えば多収量で成長が早いとか、甘くて柔らかいといった生産者の都合や消費者の嗜好に合わせた、全く新しい品種を作り出すことができるのだそうです。こうしたF1種の技術は1950年代に現れ、「緑の革命」と呼ばれる農業改革を世界各地に引き起こしたものの、農家は毎年種を種子会社から購入せざるを得ず、また、化学肥料、農薬が欠かせないため、いまでは病害虫、土壌汚染、多額の負債、貧富の格差を生む結果を招いているそうです。「ノーベル賞」(2012.12.12.)でも触れましたが、我々人間に許されるのは自然の力、恵みをできるだけ自然のまま利用することであって、自然界に存在しない形(循環しない品種)にまで変形加工することは、許されることではないと思います。子孫が残せない穀物・野菜なんて、まるでキツネやタヌキが化けた美女のようなもので、見た目は野菜の形をしていてもニセモノなのです。
安倍首相の決断でTPPへの交渉参加が表明されました。工業界、農業界が真っ向対決するTPPですが、新聞報道では国民の70%近くは首相の決断を評価しているようです。しかし同時に70%ほどが食の安全性に不安を感じているようです。農業の自由化、グローバル化が農業の工業化を促進し、F1種、遺伝子組換えといった際限のない生命操作技術に、ますます拍車のかかることを予感するからではないかと思います。「食律」という言葉があります。人間を始めあらゆる生き物にはその生きる環境に合った食べ物があり、ライオンにはライオンの、エスキモーにはエスキモーの、熱帯地方の人には熱帯地方の人の食べ物があり、食律に従った食べ物を食べることが天然自然の理に叶い、最も健康的であることを諭した言葉です。「三里四方の食べ物を食べよ」という古い言葉もあるように、農業は本来地元に即したものであるべきで、安いから、おいしいから、珍しいからといって地球の裏側の食べ物を食することは、食律に反することと云えます。我々が目指す「エコの環」はもっとも食律に叶ったものであり、これからは種にもこだわった活動にしていきたいと考えています。

2013年3月2日土曜日

複式簿記(つづき)

  前回、エクセルで金銭出納帳を作り、これにインプットすれば自動的に仕訳帳、勘定元帳が作れ、活動計算書も簡単に作れることを紹介しました。これで一件落着と思っていたら、活動計算書、貸借対照表、財産目録の「正味財産額」が一致しないという問題に直面しました。エッ!何、コレ!とアチコチに相談しても詳しい人がおらず、最終的に府庁府民力推進課の加川さんにたどり着き、以来、彼のご指導を受けながらなんとか問題を解決することができました。
  根本的な問題は、従来の収支計算書が”現金主義”というか金の出入りを重視するのに対し、活動計算書では”発生主義”、すなわち実施した活動の内容が重視されることにあるようです。我々NPOでは前期まで京都府の委託事業を行っており、その後払い金が今期の5月に入ったため、その時に銀行への借入金返済を行なっています。したがって収支計算書では5月に入金と出金が発生するのですが、活動計算書ではそうした出入りは前期に発生して終わっており、今期は何も考える必要がないわけです。また、今期は活動資金が少なく未払金が発生しているのですが、収支計算書では支払いがないので何も記載する必要がないのですが、活動計算書では支払ったと考え、代わりに流動負債が発生したと考えるようなのです。こんな知識は技術屋の我々にはまったく無く、たとえ会計ソフトを使ってもプリントアウトされる結果が正しいのか間違っているのか判断できないと思います。
  そこで従来使っていた収支表をアレンジして下図の改訂版を作ってみました。これによれば予算額に対する月々の収益、費用の流れが分かるだけでなく、月末の(現金+預金)額と出納帳残額との突合せ、未収金、未払・借入金などの入金・返済状況も確認できます。また、期末に未収金、未払金などをインプットすれば活動計算書としてながめることもできます。


2013年2月16日土曜日

複式簿記

NPO法が改正(2012年4月1日施行)され、これからは収支計算書に替わって活動計算書を作成する必要があると云います。何がどう変わるのかサッパリわからず、講習会に参加したりいろいろ情報を集めると、どうも金銭のやり取りを複式簿記で記帳する必要があると云います。経理の知識など皆無の我々には”頭が真っ白”になるほどの驚きで、府の担当者に尋ねると「会計ソフトを使ったらよい」とソリマチのソフトを紹介してくれました。インターネットで調べると体験版ソフトが用意されており、早速ダウンロードして試してみました。しかし多くの帳簿類、多くの選択項目を目の当たりにすると、一体どこから手を付けてよいのか分からず、凍りつくというか大きな絶壁を前に茫然と立ち尽くす感じでした。さいわいソリマチには多くの女性インストラクターがおられ、我々の稚拙な質問にもいちいち丁寧に応対してくれましたが、如何せん経理の知識のない我々にはときに外人と話しをしている感じで、活動計算書にしても瞬時に打ち出してはくれますが、なぜそういう結果になるのかが理解できず、まさに「おサルの電車」のサルの心境でした。これはマズイということになり、経理の本を2冊買い込んで年末年始に猛勉強しました。そしてエクセルで金銭出納帳を作り、それにインプットすれば、自動的に相手科目ごとに借方、貸方の仕訳をし、総勘定元帳(現金)、(科目別)ができるようにしました。そして活動計算書が簡単に作れるようにしました。下図はこのようにして作った仕訳帳と科目ごとの勘定元帳の一部です。我々のような小規模なNPO法人には、あえて複雑な会計ソフトを使わなくてもこのエクセルによる方法で十分ではと考えています。

仕訳帳
科目ごとの勘定元帳

2013年1月30日水曜日

奇跡(つづき)

前回、体罰により起きた高校生の自殺の問題に触れ、我々が人間として生まれたことは奇跡に近く、だから生命の有り難さをもっと真剣に考えるべきことを書きました。その後ある本(永田和宏:タンパク質の一生、岩波新書)に書かれていたことを思い出し、今一度その本の内容から生命について考えてみたいと思います。
  我々の身体は約60兆個もの細胞からできているそうです。想像もできない数ですが、60兆円を1万円札で積み上げると600キロメートル、富士山の160倍もの高さになるといいますからその数のすごさが分かります。各細胞には小さな核があり、その中に細いヒモ状の「DNA」が折りたたまれ、親から子への遺伝情報を保持し、自己複製の役割りを担っています。このDNAをつなぎ合わせてまっすぐ伸ばすと約1.8mになり、身体全体ではその長さは1,000億キロメートル、なんと地球と太陽を300往復するほどの長さになると云うからビックリです。親から授かった生命を守っていくのにそれほどの情報量が必要とされるのです。そしてわずか10~20ミクロン(1ミリの100分の1~2)ほどの各細胞の中には、数万種類ものタンパク質が個数にして80億個ほど詰まっていて、細胞が生きていくための生命維持活動を行っていると云うから、もう驚きを越して奇跡が起きているとしか云いようがありません。身長2mにも満たない我々は巨大な宇宙空間を抱えて生きているのです。こんなことを知ったら安易に死んだり、あるいはいじめ・体罰を加えるなど、とんでもないことだということになります。
  詳細は忘れましたが、細胞の中のタンパク質の働きがまたスゴイのです。小さいころラジオから人の声や音楽が聞こえるのが不思議で、「コビトがいるの?」と親に聞いたことがありますが、まさにコビトさながらの働きをタンパク質が行っているのです。まず骨格原料となって細胞などを形作り、次に酵素となって細胞内の代謝(分解・合成)反応をつかさどり、物質やエネルギーを作り出します。細胞内の物質の移送には物質に移送先の荷札をつけ、レール上をモーターを使って運ぶそうですが、荷札・レール・モーターは全てタンパク質から作られます。また、さまざまな情報伝達もタンパク質が担っています。こうしたタンパク質にも寿命があり(数秒~数か月)、寿命が来れば分解され新しいものが作られます。そのときの再生装置もタンパク質から作られ、DNA(タンパク質)の鋳型を使って複製されます。このとき不良品が発生すると品質管理のメカニズム(タンパク質が関与)が働き、廃棄処分されるというから思わず笑ってしまいます。1個の細胞は目に見えないほど小さいのですが、その中には一つのタンパク質社会が存在し、精巧かつ見事に機能して我々の生命を維持管理していてくれるのです。改めて生命の重みを思い知らされると同時に、動・植物を含めみだりに生命を粗末にしてはならないことを教えてくれます。

2013年1月17日木曜日

奇跡

生命のかけら
昨年は大津の中学校でのいじめによる自殺が大きな問題となり、今度は大阪の高校での体罰が原因の自殺が大きな問題となっています。これからという若者が自らの生命を絶つことほど痛ましいことはありません。
  大津の事件の後新聞では、「いじめはよくない」と10数名の著名人による訴えが連日行なわれ、今回も「体罰はよくない」との訴えが行われています。しかしどれも何かが欠けているように思われて仕方がありません。私にはこうした問題が起きるといつも心に浮かぶ絵があります。数十年も前、小学生の子供に買い与えた手塚治虫の「ブッダ」という本の中の数コマの絵です。それはこの地上のありとあらゆる生命は、死ぬとかけらとなって宇宙という大きな球体に吸い寄せられ、渾然一体となった後そこから再び無数の生命のかけらが生まれ、それが世界のありとあらゆるものに新たな生命を吹き込むという絵です。つまり我々の生命はゾウ、ネズミ、虫けら、雑草、あらゆるものの生命と根源は同じであり、生まれ変わるときはどんな生き物になるか分らず、だから「人間に生まれたことは奇跡に近く、とても有り難いことなのだ」ということを教えているように思います。本には「人間も自然の中ではあらゆるものとつながりを持ち、意味があって生きており、もしお前がいなかったら何かが狂うだろう。お前は大事な役目をしているのだから」といったセリフもあり、この本を読むと我々の生命がいかに大切なものであるかを教えられる気がします。そして生命が失われるとなぜ人は悲しみ、いかに悪人であっても鞭打つことをしないかが分かる気がします。いじめや体罰がなぜダメなのか、それを避けるにはどうしたらよいかという話しの前に、我々に与えられた生命がいかに尊いものであるか、だから決して粗末に扱ってはならないことを大人自体がもっと考え、若い人に教える必要があるのではないでしょうか。

2013年1月7日月曜日

苦手は伸びしろ

珍しく快晴に恵まれた宮津の元日
   明けましておめでとうございます。今年も”徒然なるままに、日ぐらしパソコンに向かひて、「エコの環」、あるいは「環境問題」の心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書き付けたく”思いますので、よろしくご訪問のうえ叱咤激励のほどお願いします。
  さて新春の新聞で名門インテルに移籍した長友選手が、「僕は自分の苦手なところを自分の伸びしろだと思うことにしており、苦手だった走りを武器に変えた」と語っていました。やはり一流と云われる人は考えることが違うと感心させられましたが、長友選手のお母さんがまたスゴイ人で、「親が先回りしないよう心掛けている」ということで、長友選手が中学時代に悪い場所に出入りしても、大事な試合に負け落ち込んでいても、イタリアでけがをしても親からは一切連絡をせず、その代り本人から求めがあったときは何があっても話しを聞いてやり、親としての言葉をかけてきたと云います。そして親の役目は子供の不満、否定的考えをプラス思考で受け止めてやり、親の考えに従うのでなく、自分で考え自立する子供に仕向けてやることだと云っておられます。どちらの考え方もいまの日本が大いに学ぶべき示唆に富んだ言葉のように感じました。
  バブル崩壊後20年あまり、日本は成長なき経済に陥っています。この間、経済学者も政治家も産業構造の変革を考えるより、景気浮揚策として従来の成長モデル(日本の得意分野)の振興策ばかりに目を向け、挙句にインフレを創出しようとしています。しかし後進国の成長により地球資源の枯渇は目に見えてきており、大間のマグロに初セリで1億5540万円もの最高値が付いたと云いますが、これも最近マグロを食べるようになった中国人との熱き戦いの結果であり、このままではあらゆる分野で資源の奪い合いが始まりかねません。そろそろ「脱成長」による豊かさを求めるべき時が来ており、20年間苦しんできた日本の中にこそ、脱成長、脱資源のための「眠れる宝」が一杯あるように思います。日本は世界に先駆け、そうした萌芽の発掘にこそ目を光らせるべきではないでしょうか。グローバリゼーションが進む中、ローカリゼーションに目を向けることも大切です。「青い鳥」は意外と近くにいるからです。その意味からも「エコの環」をしっかり育てていきたいと考えています。