2015年9月10日木曜日

ぽっくりさん

 私の両親は老後によく夫婦そろって、1~2泊程度の旅行に出かけていました。そしてたまに親元(岐阜)に帰ると、「”ぽっくりさん”に行ってきた」といった話をよくしていました。当時は「ぽっくりさん」と聞いても「なに、ソレ?」くらいの感覚で、いい加減に話を聞いていたのですが、いま私たちが「”ピント活き生き”宮津ライフ」で主要テーマに取り上げている「ピンピンコロリ」、つまり人生の終末において介護のお世話にならないための願掛けに、どこにそのお寺があったか知りませんが、両親はよく出かけていたようです。その所為かどうかは分かりませんが、いまから30年近く前、両親は見事なくらいあっさりとこの世を去りました。
 親父はいつも朝と夕の2回、食事前に読経をするのが習慣でした。その独特の節回しは私の子供たちがよく真似をして、笑ったりしたものです。当日親父は前の家の主人と立ち話をしていて、兄貴が「そろそろ夕飯だよ」と呼びに行くと、いつものように読経に2階へ上がったそうです。しかし夕飯の時間になってもなかなか降りてこないので、2階へ見に行くと仏壇の前で数珠をしたまま倒れていたそうです。82歳でした。一方のお袋もそのころはまだ元気で、四十九日の法要のとき、我が家まで車で連れて帰りました。一週間ほど我が家に滞在した後、西宮の兄貴の家まで一人で鉄道を使って行き、数日滞在した後やはり一人で岐阜まで帰っています。そのお袋が親父が亡くなったわずか4カ月ほどあとに体調を崩し、2カ月もたたないうちに「老衰」で亡くなりました。80歳でした。介護といっても介添え程度でほとんど兄貴夫婦に迷惑をかけることなく、最後は義姉の手を取り、「ありがとう、ありがとう」といって亡くなったそうです。
私たち夫婦も共に高齢者といわれる年代になり、最近は自分たちの行く末についてよく話したりします。そしてまさに「ぽっくりさん」だった私の両親は、いったい何が良かったのだろうと考えたりします。ただ思い浮かぶのは二人とも非常に健脚で、常に身体を動かし働いていたということです。以前、「百歳バンザイ」というNHK番組があり、多くの元気な百寿者を紹介していました。あるおばあさんはお嫁さんに代わって小さい子供の面倒を見ていて、子供が道路に出ようとするとそれを走って追って止めようとしたり、子供をおんぶひもで背負ったりしていました。あるおじいさんは電気の保全業務で電柱に登ったりしていました。百歳でもこんなに元気に生きられるのかと感心したことを覚えています。自然界の動物は敵から逃れるため、常に身軽な体型を保っているそうです。人間も動物、いつまでも自分の足で移動し、自分の身は自分で守ったり、身体を使って働くことは生きるための基本なのでしょう。それと「絶対に介護で人の世話にならない」という強い意志、願望も、現実には明日倒れるかも知れませんが、何も考えずに生きることに比べれば、終末人生にかなり大きな差を与えるように思うのですが、どうでしょうか? 

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