2013年3月21日木曜日

F1種

  数年前、あさがおの種を買って苗を200株ほど育て、それをアチコチの人に配って生ごみ堆肥で育てたことがあります。どこも見事に花が咲き、それがとても嬉しくて翌年を楽しみにタネ取りをしました。そして翌年、同じように苗を育てたのですがどうも育ちが悪い(中にはモヤシのようなひょろ長い苗も)。成長を待ちきれずに移植をしても、すぐに根腐れを起こしたり、大きく伸長しないまま小さな花をつけたり、結局、満足な苗を育てられずおかしいなと感じたことがあります。その後ある本で、いまは花も野菜もほとんどが「F1の種」(交配によって作られた新品種の一代目の意)から作られ、それは二代目以降が生まれることは想定しておらず、一代限りを目的にした種であることを知りました。
  この自然界には異なった種の間では生殖ができない「種の壁」が厳存します。しかしいまのバイオテクノロジーは簡単にこの壁を破り、自然界では決して交じり合わない品種同士から、例えば多収量で成長が早いとか、甘くて柔らかいといった生産者の都合や消費者の嗜好に合わせた、全く新しい品種を作り出すことができるのだそうです。こうしたF1種の技術は1950年代に現れ、「緑の革命」と呼ばれる農業改革を世界各地に引き起こしたものの、農家は毎年種を種子会社から購入せざるを得ず、また、化学肥料、農薬が欠かせないため、いまでは病害虫、土壌汚染、多額の負債、貧富の格差を生む結果を招いているそうです。「ノーベル賞」(2012.12.12.)でも触れましたが、我々人間に許されるのは自然の力、恵みをできるだけ自然のまま利用することであって、自然界に存在しない形(循環しない品種)にまで変形加工することは、許されることではないと思います。子孫が残せない穀物・野菜なんて、まるでキツネやタヌキが化けた美女のようなもので、見た目は野菜の形をしていてもニセモノなのです。
安倍首相の決断でTPPへの交渉参加が表明されました。工業界、農業界が真っ向対決するTPPですが、新聞報道では国民の70%近くは首相の決断を評価しているようです。しかし同時に70%ほどが食の安全性に不安を感じているようです。農業の自由化、グローバル化が農業の工業化を促進し、F1種、遺伝子組換えといった際限のない生命操作技術に、ますます拍車のかかることを予感するからではないかと思います。「食律」という言葉があります。人間を始めあらゆる生き物にはその生きる環境に合った食べ物があり、ライオンにはライオンの、エスキモーにはエスキモーの、熱帯地方の人には熱帯地方の人の食べ物があり、食律に従った食べ物を食べることが天然自然の理に叶い、最も健康的であることを諭した言葉です。「三里四方の食べ物を食べよ」という古い言葉もあるように、農業は本来地元に即したものであるべきで、安いから、おいしいから、珍しいからといって地球の裏側の食べ物を食することは、食律に反することと云えます。我々が目指す「エコの環」はもっとも食律に叶ったものであり、これからは種にもこだわった活動にしていきたいと考えています。

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