ところで日本の食事には昔から「一汁一菜」という言葉があります。一汁の「汁」は味噌汁、一菜の「菜」は煮物、和え物などの野菜・魚介料理で、ご飯を主食に味噌汁と野菜・魚介料理、漬け物くらいの食生活が古くから続けられてきました。一般的に生活が貧しかったこともあり、そうした質素な食生活が伝統的和食として受け継がれてきたのです。そうした中で明治時代の、まだ栄養学というものが学問として確立していないころに、石塚左玄(1851~1909)という医師が「食養」という言葉で「食事で病気を予防し、治療する」ことを提唱しました。これを受け継いでさらに発展させ、マクロビオティックという「食養療法」を世界に広めたのが桜沢如一(ゆきかず)(1893~1966)です。日本で100年以上も前にこうした栄養学が芽生えたことは大きな驚きであり、誇るべきことでもあります。この「食養」の基本的考え方は、
食本主義;健康の基本は食にあり、病気の原因も食にある。
人類穀物動物論;人間は穀物を主食とするようにできている。
身土不二;その土地の環境にあった食事を摂ることで、心身も環境に調和する。
陰陽調和;陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが大切。崩れると病気になる。
一物全体;一つの食品(野菜・魚など)を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
の「食養五原則」と云われます*。「陰陽」というと少しうさん臭い気もしますが、東洋に古くからある哲学であり、陰陽の分類さえ正しければ考え方として間違ってはいないと思います。彼らの玄米菜食主義には批判的な意見もありますが、伝統的和食、またぺリセやマクガバン達の考え方とも基本的に異なるものではなく、私自身は「和風のじみ飯」を食べることで、そうした考え方を基本的に受け入れてきました。
ところが前回紹介した「糖質制限食」はその考え方が全く違うのです。ぺリセらの図の横軸からその大半を占める「糖質」を完全に抜いてしまうのですから、ビックリ仰天もいいところです。著者の夏井氏は、人類はアフリカに現れた500万年前からずっと狩猟採集により肉食をメインに雑食をしてきており、穀類(糖質)を食べるようになったのはほんの1.2万年前からに過ぎず、消化管の構造はむしろ肉食動物に類似していて、草食動物のそれとはまったく違うと云います。また、狩猟採集時代の方が農耕時代より長生きをしており、しかも幼児の死亡率は穀物栽培後の方が上昇していて、人類は根本的に肉食に向いていると主張されます。しかし前述の食養五原則の「人類穀物動物論」はこれと真っ向対立するもので、人間が有する32本の歯の内の20本(63%)は穀物を食べるための臼歯、8本(25%)は野菜・果物・海藻を食べるための門歯であり、肉・魚介類をかみ切る犬歯はわずか4本(13%)に過ぎず、人類は本来肉食に向いていないと云います。こうなるともう一体どちらを信じてよいのか分からなくなりますが、いずれにしてもこれだけ科学が発達した現代でも、食べ物に関してはまだ「何が良くて何が悪いか」が十分に解明されておらず、混乱状態にあるのが実情と云えます。ただ、糖質制限食についても不調を訴える意見もありますし、私自身も体験するなかで、「肉はいくら食べても大丈夫」と云っても肉は血(塩分)の塊であり、減塩が叫ばれるなか問題は生じないのか、「油類はいくら摂取しても大丈夫」と云ってもぺリセ、マクガバンらの云う現代病につながらないのか、と云った不安があり、まだ簡単には結論付けられない問題のように感じました。
* 若杉友子;「これを食べれば医者はいらない」、祥伝社(2013)
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