2014年9月22日月曜日

ピンきら

 先日義兄が、「これは老舗のお茶でおいしいぞ」と抹茶入りお茶をくれました。何気なく裏の表示を見ると、調味料として「アミノ酸」、「砂糖」などが入っています。「おいしい」といってもそれはお茶本来の味によるものではなく、添加物のアミノ酸や砂糖でごまかされた味であって、何でこんなものを老舗が発売するのかと不思議に思いました。しかし考えてみれば1年程前、阪急阪神ホテルズを始めとするほとんどの老舗ホテルが、赤肉に牛脂を注入した加工肉を「霜降り肉」と称して料理に使用し、大きな食材偽装問題になりました。そのとき加工肉には「アミノ酸」もうま味成分として添加されており、老舗ホテルで食事を楽しむような食通の人も、添加された牛脂やアミノ酸の味を「おいしい、おいしい」と味わっていたわけです。行列のできるラーメン店とか中華料理店では、味付けに決まってアミノ酸などの化学調味料を入れるそうです。天然の昆布や魚を使って得られる「だし」の旨みはグルタミン酸によるものと云われますが、だしを取るには手間暇がかかるため、いまではグルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料が、料理を始めあらゆる加工食品に「調味料(アミノ酸など)」という表示のもとに添加されています。現代人はそうした味に慣らされ、アミノ酸や砂糖の入ったものでないと物足りなさを感じるのでしょう。しかし塩や砂糖でもそうですが、そのエキスを得るために周りの不純物をドンドン取り除き純度を上げていくと、得られるものは自然品から化学物質に変化し、身体にとって有害性を帯びてきます。しかもその多くは麻薬性を有し、依存症を引き起こします。南米ではコカの葉をお茶として飲んでいるそうですが、それを精製するとコカインという麻薬になるのと同じです。自然の旨みでは中毒になりませんが、グルタミン酸ナトリウムでは依存症を引き起こすのです。だから店に行列ができるようになるのですが、しかしそれは味覚障害によるものなのです。化学調味料は人によって動悸や吐き気、めまいを引き起こすことがあるので、特に子供には極力、摂らせないようにすることが大切だと云います。
 ”ピンと活き生き”宮津ライフでは高齢者ビジネスとして、宮津独自の料理の開発を進めていこうと考えています。そしていまある自然食料理屋の奥さんに頼んで、身体を温める料理として「ピンきら」(「きんぴら」ですが、ピンと活き生きのピンを取り込んで命名)の開発に取り組んでいます。私としてはできるだけお袋の味となるように、素材の味を生かしたシンプルな調理をお願いしているのですが、自然食料理屋でさえ万人向けを考えると、どうしても甘みを少し加えたがる傾向にあります。一度アミノ酸とか砂糖とかの味に慣れ親しむと、その味覚を変えるのはなかなか難しいようです。
試食用のピンきら
ピンきら試食会
 













南雲吉則;空腹が「生き方」を教えてくれる、サンマーク出版、2013

2014年9月11日木曜日

老人介護(つづき)

 前回は私の家内の母親で、103歳になるおばあさんの介護について少し触れました。おばあさんのことは家内と、「いずれ自分たちも同じことになるのだから」とよく話し合っています。そんなこともあってか家内も最近はほとんどイラつくこともなく、黙々とおばあさんの世話をしていて、傍から見ていても頭の下がる思いです。ただ、肝心のおばあさんが最近、「なかなかお迎えが来ない」とか、「施設に入った方が早く死ねるのでは」とか、巡回に来るお医者さんに「早く死ねるような薬をください」などとよく口にするようです。やはり一日テレビを見ているだけでは詰まらないのだろうと思います。私も何か暇を潰せる仕事がないかと、「野菜の種取りはできないか」、「新聞の切り抜きはできないか」、「ハガキの敷物が作れないか」などと家内に持ちかけるのですが、「目が見づらいから無理」とか「力が入らないから難しい」などとその都度却下される始末です。2~3年前に比べると視力、聴力、筋力などに相当衰えがきているようです。残念ながらいまできることといえば、テレビを見ること、食べること、寝ることだけで、そうなったとき人間は一体どうしたらよいのかと考え込んでしまいます。おばあさんは自尊心の強い人であるだけに、何もできないいまの状態に人一倍悔しい思いをされているであろうし、自尊心がズタズタになっているのではと思うからです。私の近所に、やはり母親の介護を6~7年やっておられるご夫婦がいます。そのお母さんの場合はずっとこん睡状態にあり、胃ろう(胃に開けた口)を通して栄養補給を行っておられます。ご夫婦ともに憔悴された顔を見ると、長年の介護でかなり疲れておられるように感じます。そのお母さんも昔は結構しっかりした方であっただけに、一体どんな気持ちで毎日毎日眠っておられるのだろう、良かれと思ってやっている処置が却ってお母さんの自尊心を傷つけ、「早く止めて楽にしてくれ」と思っておられるのではないかと、他人事ながらつい考えたりします。
 
長生きするには肉を食べるな? 食べろ?で述べましたが、日本人の平均寿命が顕著に伸び始めたのは、ほんの昭和(1926年)に入ってからのことです。それまでは腸チフスとか結核など細菌感染による死亡が多く、男女とも「45歳」がせいぜいの寿命であったのです。それがパスツールから始まる「病原菌退治」の近代医学の発達のお陰で、いまでは男女とも平均寿命が80歳を超えるまでになりました。他の先進諸国も状況は大体似たようなものだと云います。このことは私たちは50歳以上の生き方をあまりよく知らないとも云え、これからは「健康寿命」(日常生活が支障なく送れる寿命)をいかに平均寿命に近づけるか、つまり「ピンピンコロリ」が非常に重要な課題であると云えます。おばあさんにしても2~3年前までは、ハラハラすることはあってもガスを使って何とか自炊ができ、風呂にもトイレにも自分で入れたわけで、自尊心が傷つくことはなかったと思うからです。介護は単に家族に大きな負担をかけるだけでなく、本人にとっては尊厳を損なうことにもなるわけですから、健康寿命を意識して自重しながら余生を楽しみたいと考えています。

2014年8月30日土曜日

ガン対策

 日本ではガンは一生のうちに2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する病気で、1981年以降、死因のトップになっているそうです。2010年に新たにガンにかかった人は推計で80万人を超え、記録が残る1975年の約4倍にもなる急増ぶりだそうです。それにも拘らず国民の関心は低く、正しく理解されていないといった背景から、文部科学省はガン教育のモデル事業を全国の70の小中高校で始めるそうです。京都府では国に先駆け昨年度から「生命のガン教育」事業を始めていて、医師とガンの経験者が講師として学校を訪問し、医師がガンの基本知識を解説し、経験者が闘病を通しての生きる大切さを語る授業を、昨年度は20の小中高校で実施したそうです。生活習慣の大切さを子供のときから教えることは極めて重要であり、非常に前向きな取り組みではないかと思います。
 ところで先日テレビで、「BNCT(ホウ素中性子補足療法)」というガンの放射線治療についてやっていました。従来の放射線治療ではガンの周りの正常な細胞まで破壊してしまうのに対し、BNCTはガン細胞だけを破壊できる画期的なもので、日本が開発した世界最先端の技術ということでした。しかし手術は巨大な原子炉の中に患者一人を入れて行うため費用が巨額になり、そこで新たにサイクロトロンを使ったコンパクトな装置を開発し、それを近々、原発事故の被災地である福島に設置して、放射能の全く違った利用技術として世界に情報発信していくとのことでした。ガン治療については抗がん剤でも、ガン細胞だけを狙い撃ちできる「分子標的薬」なるものが開発されているそうです。ただ、こちらは患者の遺伝子タイプによって効力が違ったり、安全性、耐性、副作用などにまだ課題が多く残されているようです。また、ガンの早期発見については、1回の採血で13種類のガンを見つける検査技術の開発が、NEDOと国立ガン研究センターにより約79億円の巨費を投じて始まるそうです。上図を見て分かるように日本ではガン患者は増える一方で、だから何とかしなければというので巨額の研究費を投じ、新たな治療法の開発を進めようとする努力はよく分かります。しかしガンになってから、つまりガンが目視できるほどの大きさになってから治療したのでは、まして人間が行う治療では完治を期待するのは無理であり、医療費だけが膨らんでいくことになりかねません。
 私たちの身体は約60兆個の細胞で作られています。各細胞にはミトコンドリアと云う小器官があり、そこでエネルギーを作っていますが、メタボで内臓脂肪が異常に増えたり、過剰なストレスにさらされたり、酸素の取り込みが不十分であったり、身体を冷やしたりするとミトコンドリアの活動が不活発になり、それが細胞にガン化のきっかけを与えることになると云います。一方でミトコンドリアには細胞に異状が発生したり、それが他の細胞や器官に悪影響を及ぼしそうな場合、アポトーシスといってその細胞を自滅させる機能があると云います。また、身体を温めると免疫機能が高まり、NK細胞によるガン細胞への攻撃力も増すと云います。つまり私たちの身体には食事を腹八分に抑えたり、野菜を多く食べたり、運動をしたり、お風呂で体を温めたりしてミトコンドリアを元気にしたり、免疫システムを活発にするような生活習慣を心がけていれば、ガンがまだ細胞レベルの大きさのときに、確実にガンをやっつける機能が備わっており、進行ガンでも回復できると云います。正しい生活習慣を心がける予防医学にこそ、お金を投入すべきではないかと思います。
 ところでアメリカでは自分の遺伝子を調べ、将来ガンになりそうだと分かったら健康な内に乳房や卵巣を切除するガン対策が行われていて、女優のアンジェリーナ・ジョリー(ブラッド・ピットの奥さん)が乳房の予防切除を行ったことから、日本でも広く知られるようになり、遺伝子検査を受ける人が増えつつあると云います。しかし私たちの寿命を決めるのは遺伝的要素が30%で、残りの70%は環境因子、つまり生活習慣だと云います。たとえ遺伝的にガンを発症しやすい素因があっても、その体質にあった正しい生活習慣さえ励行していれば病気の予防だけでなく、却ってそうした素因が寿命の延長に有利に働くのだと云います。いずれにしても私たちの身体は遺伝子ですべてが決まるほど単純ではなく、まだまだ知られていない未知の分野が多いのであり、健康な内から身体の一部を取り除くようなガン対策は、あまりにも拙速な過剰防衛であり、神に対する冒涜行為だと思います。

大谷  肇  ;長生きしたければミトコンドリアの声を聞け、風詠社、2013
斉藤真嗣;体温を上げると健康になる、サンマーク出版、2009





2014年8月20日水曜日

認知症

 テレビで認知症で行方不明になっている人が1万数千人もいると云っていました。認知症の人は勝手に徘徊するため、チョッと目を離したすきに忽然と居なくなってしまうのだそうです。事故にあったり他人に迷惑をかけていないかと、家族の心労は相当なものだと云っていました。いま日本には認知症と云われる人が800万人もいるそうです。この数は鎌倉時代の日本の総人口に相当し、その数の大きさを思い知らされます。私もいま73歳。年齢的にはいつ認知症になってもおかしくない年代にあり、とても他人ごとには思えません。認知症には糖尿病などの生活習慣病の関わりも大きいようですが、やはり生きがいを持って積極的に頭を使うことが大切なのではないでしょうか。
先日テレビで「少年H」という映画がありました。丁度文庫本で読んでいたところであり、早速見てみました。少年Hのオヤジさんは洋服屋をやっていたのですが、太平洋戦争が始まると商売がやりづらくなり、消防士になります。しかし空襲で神戸市が焼き野原となり、すべてをなくしてしまうと、それまで何かと少年Hの心の支えであったオヤジさんが、すっかり魂の抜けた状態になってしまいます。しかし少年Hとお母さんが火事のとき必死に運び出したミシンを焼け跡に見つけ、掘り出し、修理し、動くようにして服が作れるとすっかり元気を回復し、また、少年Hも親元を離れる決心をするという実話に基づくストーリーでした。オヤジさんが元気を取り戻すシーンには、人間にとり「人のために働く」ということが、いかに大きな力、生きがいになるかのメッセージが込められているように思いました。
 ところで日本でテレビが普及し始めたころ、大宅壮一という評論家が「一億総白痴化」とテレビ文明を憂えていました。本とか新聞、ラジオのように、話しを読んだり聞いたりするときには、私たちはその情景をいろいろ空想したり、連想したりします。しかしテレビはそうした情景もすべて提供するため、見る者は頭を使う必要が無くなり、頭の使い方も非常に受動的になって、人間が馬鹿になってしまうのではと心配されての言葉だったと思います。いまの認知症の多さがすべてテレビ文明のセイだとは思いませんが、ただ先日、お盆で帰省していた長男家族と車で出かけたとき、「カーナビ」で起きたチョットした出来事に、「便利になりすぎる」ことは私たちから身体能力、五感をドンドン奪って、その分私たちは無能化していくのではないかと、改めて大宅壮一の言葉を思い出した次第です。
 当日は長男の車で豊岡市の「玄武洞」に出かけました。出かける前に長男が「げんぶどう」と打ち込むといくつものメニューが現れ、「どれかナー」と探しているので、「これだろう」と一つのメニューを押して出かけました。当然長男は「カーナビ」を見ながら運転し、私は見慣れた景色を見ながら横に乗っていました。豊岡市内に入ると玄武洞への標識が目に付き始めましたが、その内にその標識の距離とカーナビの距離が違うことに気が付きました。「変だナー」と思いながら乗っていると「玄武堂」というお菓子屋さんに着きました。メニューの選択間違いがとんだ笑い話になったのですが、そのとき頭を使うか使わないかの大きな差のようなものを感じました。わが家の車にはカーナビはなく、わが家ではどこへ行くにも10年ほど前に買ったロードマップを携えて出かけます。出かける前に大よその道順、場所を頭に入れ、現場に近づくと家内がロードマップを見ながら案内します。10年も経つと道が地図とはすっかり違っていたり、また、家内が方向音痴のためときどき方向指示を間違えたりします。しかしその点私は晴れの日でも曇りの日でも、太陽の位置から東西南北のどちらに向かっているかの勘に優れ、大体これまで目的地にはほとんど一発で到着できています。これをわが家では「家内ナビ」とか「勘ナビ」と呼んでいます。ときどき「喧嘩ナビ」にもなりますが、これの良いところは目的地へ向かうのに常に標識を探したり、方向や周囲の雰囲気に勘を働かせたり、記憶を呼び起こしたり、常に頭をフル回転させることです。だから数年前に初めて走った道でもよく覚えていて、「アレ! この道前に走ったことあるナー」、「確かこの先に郵便局があったのでは」と云っていると本当に郵便局が現れるのです。カーナビではこういった体験はあまりないのではと思います。
 宮津市でこの8月から取り組み始めた「”ピンと活き生き”宮津ライフ」は、生活習慣病や認知症の予防をかなり意識していますが、高齢者が常に地域社会のことを考え、行動することは、よい生きがいとなり、また頭を使うことになり、認知症の予防につながるのではと期待しています。

2014年8月7日木曜日

老人介護

 先日テレビで老人介護の問題を扱ったドラマをやっていました。「早くお迎えに来てほしい」、「早く死にたい」という老人たちが急死したことに疑問を感じた新聞記者が、老人たちの診察をしていた医者を疑うが、犯人は介護問題に熱心な別人だったと云うストーリーです。私たちは老人を前に「長生きしてネ」とか「いつまでもお元気で」という言葉を簡単に口にします。これが幼い孫とか無縁の若者から発せられる言葉だったらともかく、その老人に関わる縁者の言葉となると、介護に疲れ切った者や老人自身にとって、ビミョウな問題であることを伝える内容でした。
 いまから20年ほど前、隣組の集まりで今は亡きある人が、「都会にいる者は年に一回か二回土産を持って帰ってくればよいが、田舎で親と暮らす者はそんな訳にはいかない」と云っておられました。当時は何のことかよく理解できずにいましたが、いまわが家も家内の母親で近くに独居する103歳のおばあさんを抱え、ことの大変さをやっと理解できるようになりました。
 おばあさんは屋内でコケたり、圧迫骨折で10年以上前から歩行が困難な状態にありました。そんなことから家内は毎日手助けに通っていましたが、2年程前にまたコケ、ほとんど歩けなくなってしまいました(要介護2)。しかし自分でなんとか長椅子に移動したり、着替えをしたり、自分で食事を食べたり、ポータブルトイレで用を足すことはできます。まだまだ健啖でボケもなく、テレビを独り楽しんで見ています。歩けないとはいえ寝たきりや認知症に比べればずい分助かっています。ただお風呂だけは慣れない力仕事になるので、週3回ヘルパーさんに面倒をみてもらっています。このように書くと第三者には介護にあまり手がかからず、気楽に長寿を楽しんでいる百寿者のように映ります。しかしそれを支える家内にとっては、三度の食事の仕度から掃除、洗濯、買い物、屋敷周りの清掃、その他もろもろの些事など、わが家と2軒分の仕事を毎日こなすわけですから大変です。しかも毎日顔を突き合わせれば何かと軋轢も生じます。例えばおばあさんにすれば娘にあまり面倒を賭けたくない、まして第三者の世話にはなりたくないとの強い思いから、自分でできることは自分でやり、お風呂もヘルパーの力を借りず自分で入ろうとします。その気持ちは十分に分かるのですが、しかし家内にすれば歩けない身でひっくり返って大けがをされたら困るし、実際にこれまでも何度もコケて身動きが取れなくなっているので、自分がするからジッとしていてくれとつい口論になってしまうのです。そしてつのるイライラからつい当り散らしたり、あるいは「自分は悪い人間なのだろうか」と涙を流したりすることになります。私も家内の一生懸命な姿、疲れた切った様子を毎日見ているだけに、「よくやってるヨ。悪いことないヨ」と慰め、なだめることに神経をピリピリさせることになります。ただ残念かなこうした苦労は都会で離れて暮らす兄弟にはなかなか伝わりません。「いつも世話をかけて申し訳ない」と口では云っても、そうしたことを経験してないと想像力が働かないのです。だからたまに帰って来て、「元気やないか、高齢者の新記録を作ったらどうや」とか、「栄養のあるものを食べているか」など、こちらの苦労を知ってか知らずかの「ノー天気」な言葉を聞くと、それがまた家内をイラつかせることになるのです。こうしたことは隣近所の介護老人を抱える家ではどこも似たり寄ったりの様で、苦しい胸の内を吐露されることもしばしばです。確かに親にすれば「まだまだ自分はしっかりしている」という気持ちがどうしてもあると思います。しかし子の世話にならないと何もできない状況に陥ったら、そのときはそれがたとえ屈辱的でありつらいことであっても、それを素直に受け入れ、赤子のようにすべてを子にゆだねる覚悟も必要なのではないか、それが「老いては子に従え」という言葉ではないかと家内と話し合ったりしています。
テレビニュースによると日本女性の「平均寿命」は世界一で、男性の平均寿命も初めて80歳を超えたそうです。しかし日常生活が支障なく送れる「健康寿命」となるとどちらも10歳ほど若くなり、10年間ほどは介護や入院が必要であることが分かります。これが本人、介護者はもとより、国にとってどれほどの負担であるかを考えると、平均寿命を単純に喜んでばかりもおられません。私たち高齢者自身がもっと積極的に「ピンピンコロリ」を目指すべき時代になったと考えられます。宮津市ではこの8月から65歳以上の高齢者を対象に、「”ピンと活き生き”宮津ライフ」という運動を始めました。食生活や運動に関心を持ってもらうと同時に、高齢者の技能・知識・チエを使って「少エネ」、「少資源」な生活を見つけ、明るい町づくりを進めようとするもので、高齢者に生きがいを与え、健康寿命を延ばそうとする試みです。私たちの「エコの環」も活動内容に含まれています。


2014年7月27日日曜日

フィトケミカル

 中学生のころ家庭科の授業で、「五大栄養素」について勉強しました。炭水化物と脂肪はエネルギー源に、タンパク質は身体を作る材料に、また、ビタミン、ミネラルは少量で身体の調子を整え、潤滑油のような働きをすると勉強したように覚えています。そして試験で「ほうれん草」の栄養素を問われ、当時ポパイの漫画が流行っていて、筋肉隆々のポパイが何か難題に直面すると必ずほうれん草を食べていたことから、「タンパク質」と解答したこと、ビタミンを最初に発見したのは日本人の鈴木梅太郎だったが、世界に知られるのが遅れ第一発見者になれなかったという話しに、悔しい思いをしたことなどが懐かしく思い出されます。「食物繊維」についても勉強し、女の先生が「サツマイモなどに多く含まれ腸の運動を活発にします。だからサツマイモを食べるとオナラがよく出ます」と、恥ずかしそうに教えてくれたのを覚えています。ただ当時は食物繊維に栄養素と云う認識はなく、単に大腸の運動を促して便秘を防ぐ物質という程度の捉え方でした。しかしその後この食物繊維に血中コレステロールや血糖値を正常に保ち、心筋梗塞、糖尿病、脂質異常症、動脈硬化など、生活習慣病の予防に効果のあることが認められるようになり、いまでは「第6の栄養素」と呼ばれる様になっています。
 ところで最近、第7の栄養素として「フィトケミカル」という物質が注目されるようになってきました。いつまでも若々しく、美しく生きたいというアンチエイジングの研究と共に発見されるようになったのですが、フィトケミカルのフィト(phyto)はギリシャ語の「植物」で「植物由来の化学成分」を意味しますが、「植物性生理活性物質」とも呼ばれたりしています。食物繊維と同様に5大栄養素とは異なり、これを摂らないと特有の欠乏症を起こして最終的に死に至るといった、「生命の元」となるような栄養素ではありませんが、健康増進とか病気予防に極めて有効と云われ、カテキン、ポリフェノールなどがよく知られています。植物は動物と違って自分の好きなところへ移動することができず、過酷で変化の激しい環境でも生きていかねばなりません。だから動物とは違った自己防衛力を授かっていると云われます。つまり強い紫外線や風雨に耐え、細菌や害虫、あるいは動物から身を守るためには、「抗酸化力」、「抗菌力」の他に、色素や香り、アク、渋み、苦みなどで身を守る必要があるのです。そうした防御物質は1万種はあると云われ、今現在1,000種類ほどが確認されているそうです。中でもその抗酸化作用は老化や万病の元と云われる「活性酸素」を除去するのに有効で、アンチエイジングやガンなど生活習慣病の予防に大きな効果が期待されています。私たちは酸素を吸って生活しているので、放っておくと鉄が錆びるように酸化して朽ち果てる運命にあります。ミトコンドリアが活性酸素を発生し、他にも紫外線や食品添加物、タバコ、油分の多い食品などが活性酸素を発生させて身体を体内から虫食むからです。だから生命を維持するためには活性酸素を還元してやる必要があり、フィトケミカルがその重要な役割りを担っているのです。
 野菜の優れた点は、各種のビタミン、ミネラルの他に食物繊維、フィトケミカルを豊富に含んでいることで、それを十分に食べると体内の代謝を活性化し、タンパク質など他の栄養素の吸収も良くなり、免疫力が高まってガンなどの病気予防だけでなく、いつまでも若く、美しく生きる身体づくりができるのです。ただしそうした栄養素は皮の部分に多く含まれると云われ、だからよく洗って丸ごと食べるのが理想的です。私たちが生ごみ堆肥の露地栽培で、無化学肥料・無農薬・無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めているのも、健康な野菜を丸ごと食べてほしいからです。なお、和食は糖質のご飯を中心に、タンパク質中心の主菜、野菜中心の副菜、それに味噌汁と云う献立で、5大栄養素の他に食物繊維やフィトケミカルがバランスよく摂れるようにできています。和食が世界で注目されるようになった理由が理解できます。

中村丁次;けんこう325、NPO全日本健康自然食品協会

2014年7月14日月曜日

ミトコンドリア(つづき)

 生物の進化の過程で最初にできた多細胞生物は、ヒドラやイソギンチャクなど「腸」だけからなる腔腸動物だったそうです。その腸の周りにはニューロンと呼ばれる神経系の組織が作られ、腸が「脳」の役割りも果たしていたと云います。その後動物はこの腔腸動物から「昆虫」と「哺乳類」の2系統に分かれて進化し、「心臓」や「脳」は後から進化してできた器官なのだそうです。だから人間が生まれるときも最初に作られるのは腸で、順次その周りに他の組織が形成されると云います。死ぬときも「脳死」では死なず、腸の死をもって脳の働きも完全停止します。人間の腸には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞が張り巡らされ、例えば食中毒菌などの入った食べ物も、脳では判断できなくても腸が安全かどうかを判断し、おう吐や下痢などを引き起こして危険な物質を排泄し、身を守ってくれます。腸は一般に消化だけが目的の器官と考えられがちですが、実は私たちが生きるのに必要なビタミン類を合成したり、ガンを始め外敵から身を守る免疫システムを作ったり、脳に歓喜や快楽を伝えるセロトニン、気持ちを奮い立たせヤル気起こすドーパミンなども合成すると云います。つまり腸はもっとも賢い重要な臓器と考えられ、最近テレビ・新聞でやたらと腸に対する薬や食品の宣伝が目につきますが、その役割りを考えれば当然のことかも知れません。
 ところで腸には500種類以上の細菌が100兆個以上も生息し、前述の腸の役割りに大きく加担していると云います。その重さは大腸内のものだけでも2kgほどあるそうです。それらはふつう善玉菌と悪玉菌に区分けし、善玉菌の多い方が良いように云いますが、実は両者のバランスが重要なのだそうです。赤ちゃんが生まれてくるとき腸内は無菌状態にあり、何でも舐めたがるのは一度腸内を悪玉菌の大腸菌だらけにして免疫力をつけるためなのだそうです。だから「ばっちい、ばっちい」と消毒したお皿で無菌の食べ物ばかりを与えるのはよくなく、アトピー性皮膚炎で悩んでいる赤ちゃんの実に40%には、便のなかに大腸菌が全く見つからなかったと云います。子どもを強くたくましく育てようとしたら、良いことだけの無菌状態で育てるのでなく、世の中には悪い人、悪いことがいっぱいあることもきちんと教えることが大切なように、腸内にも善玉菌・悪玉菌がバランスよくたくさんあることが重要なわけです。ただ、私たちは極度に心理的、肉体的なストレスにさらされると腸内に活性酸素が発生し、善玉と云われる菌が減り悪玉と云われる菌が増えて両者のバランスが崩れ、それが原因で免疫力が低下したり、幸せや活力を感じさせるセロトニンやドーパミンが合成されなくなって体調不良になることから、悪玉と云われる菌を悪く云うわけです。この自然界では何事も拮抗することが重要で、善玉だけでも悪玉だけでもよくなく、両者が競り合う環境が大切なのです。
私たちが必要とするエネルギーは通常、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の二つのエンジンによって作られます。しかし腸の細胞はエネルギーの原料として「糖」を利用せず、小腸は「グルタミン酸」を、大腸は「脂肪酸」を原料にミトコンドリアエンジンを使ってエネルギーを作ると云います。大腸にいる膨大な数の腸内細菌が食物繊維を発酵して脂肪酸を作るからで、身体にとって野菜を始め食物繊維の多い食品が必要とされるのはこうした理由によるそうです。しかしミトコンドリアエンジンにはエネルギー代謝時に、「フリーラジカル」という活性酸素を発生する弱点があることは前回述べたとおりです。この活性酸素は良い働きもするのですが、細胞内のあらゆる物質と見境なく反応してしまう欠点があり、それが原因で腸は消化機能や免疫機能の低下を引き起こします。こうした活性酸素による腸の機能低下は、食品添加物や残留農薬の多い食品を食べたり、排気ガスやタバコの煙、電化製品からの電磁波、紫外線などによっても引き起こされると云います。しかしこれに有効なのが最近注目されるようになった、野菜や果物に含まれるフィトケミカルという抗酸化物質(ポリフェノールとかカテキンなど)です。これらにはこの活性酸素を消す力があるからで、腸が野菜や果物を必要とするのにはこうした理由もあるのです。「5 a Day」運動で野菜や果物を多く摂取することは、実は腸にとってとても大切なことであるのです。だから腸内細菌のバランスをよく保つには、腸内細菌のエサである食物繊維を多く含んだ野菜、豆類、海藻類、無精白穀類を食事の中心に据え、それに良質な細菌をいっぱい含んだ納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品を添えることがとても大切と云えます。そして化学調味料や添加物を多く含む加工食品などは極力避けることです。その上で極度なストレスのかかる生活習慣を改め、リラックスすることに心がけることが大切と云えます。
 最近、サプリメントによる栄養補給のコマーシャルが非常に目につきます。しかしある栄養素だけがそのまま素直に効くほど身体は単純ではなく、逆に身体にとっては「偏食」となり、高濃度の抽出成分による弊害さえ考えられます。拮抗作用がないからです。やはり栄養素は食事からよく噛んで摂るべきで、それにより食べ物の多くの成分が助け合ったり拮抗して、複合的に私たちの健康に寄与することをよく理解すべきだと思います。

藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)