2014年10月30日木曜日

認定NPO法人に認定される

 いま全国には46,000を超えるNPO法人があるそうです。私たちの法人もそうですが、ほとんどのNPO法人は財政上の問題を抱えていて、なかなか思うように活動できない状況にあります。そこで寄付を集めやすくして健全な活動の発展を促すため、平成23年に法改正が行われ、「認定NPO法人」への認定要件が緩和されました。認定NPO法人になると、その法人への寄付には税制上の優遇措置が与えられ、寄付金の半分近くが寄付者の所得税、地方税から還付されるため、寄付者は寄付がしやすくなり、法人は寄付が集めやすくなるというわけです。法改正により認定の所管もそれまでの国税庁から各所轄庁(都道府県、政令市)に変更されました。
 これまで私たちは寄付金を集めるのに、主に公益財団法人京都地域創造基金を通して行ってきました。寄付に対し、認定NPO法人同等の税制上の優遇措置が受けられるからです。しかしそうすると寄付のお願いに行くとき、私たちの活動だけでなく創造基金の説明もする必要があり、非常に面倒な思いをしなければなりませんでした。それに寄付を集めるのに創造基金は何の手助けもしてくれず、集めた寄付金だけが一部ピンはねされます。しかもこの制度を利用するのに毎年、膨大な申請書と報告書を提出する必要があり、これなら自分自身が認定NPO法人になった方が得なのではと考えるようになった次第です。
 認定NPO法人になるには当然大きなハードルがあります。その第一は経理に関するもので、「公認会計士もしくは監査法人の監査を受けていること、または青色申告法人と同等の帳簿書類を備え付けてこれに取引を記録し、当該帳簿書類を保存していること」が求められます。もちろん私たちのような小さな法人に監査を受ける余裕はありません。しかし帳簿書類については平成24年のNPO法の法改正で、会計書類の「収支計算書」が「活動計算書」に移行した際、散々苦労して帳簿書類のパソコン処理化を進め、それが京都府の府民力推進課から青色申告法人の帳簿書類に相当することを認めてもらった経緯があり、これが大きな力になりました。次に問題になるのがパブリック・サポート・テストで、広く市民の支援を受けているかどうかを寄付金の額で判定するものです。①寄付金の収入に占める割合が1/5以上か、②3,000円以上の寄付を年平均して100人以上から受けているか、③条例指定によるもので、年に25人以上から15万円以上の寄付を受けているかなどですが、幸い①をクリアすることが分かりました。次に問題となるのは法人として遵守すべきもろもろの基準です。しかしこれらについては平成24年に、一般財団法人社会的認証開発推進機構のステップ3への第三者認証を取得した際、いろいろ書類の整備を実施しており、その経験が大きな力になりました。
 認定NPO法人の認定申請書は京都府に提出していました(9/19)が、その実地調査が本庁から2名、丹後広域振興局から1名来訪され、実施されました(10/8)。経理書類に問題はないか、会計資料と申請書に整合性が取れているか、組織運営は定款通り実施されているかなどが詳細にチェックされましたが、特に大きな指摘事項もなく、無事審査をパスしたとの連絡を受けました(10/24)。認定書の手交は本庁で行われることになっています(11/6)。ただ、認定NPO法人になったからといって急に寄付が集まるわけでなく、今まで以上に寄付集めには苦労することになりそうです。


書類審査の様子



2014年10月14日火曜日

ちーたび

 京都府には諸団体が取り組む地域の活性化事業に対し、「地域力再生プロジェクト支援制度」というのがあります。私たちNPOでも2007年度にその支援を受け、それまで個人宅向けに生ごみ処理の普及活動を行っていたのを、大型処理機を使った隣組の生ごみの大量処理に挑戦し、いまの「エコの環」事業への基礎を築きました。この制度には自立を目指す活動に対し、ソーシャル・ビジネスプログラムという支援プログラムもあり、私たちNPOもこの10月からその支援を受けるべく、まだ交付決定前ではありますが「事前着手届」を出し、活動に取り組み始めたところです。
 この支援プログラムには京都府のソーシャル・ビジネスセンターと私たちが協同で進める、「ちーたび」という地域力ビジネスがあります。私たちの活動を小さな「旅」にして参加者を案内し、内容を多くの人に知ってもらい、活動の応援隊やファンを作ろうとするものです。最初、ソーシャル・ビジネスセンターの方からその話しを持ちかけられたときは、何のことかよく理解できず、これまでイベント的なことには一切関わりを持たずやってきた私たちには、こんなことがビジネスになり、自立の助けになるのかといった疑いと戸惑いがありました。しかし私たちが進める「エコの環」も、野菜の販売額を順調に伸ばし、昨年度は51万円の売り上げがあったとはいえ、経済的自立には少なくとも130万円ほどの売り上げが必要であるのに対し、現在のボランティアに頼る生ごみ処理だけでは堆肥生産量に限度が有り、これ以上売り上げを大きく伸ばすのは難しく、また、売り上げを伸ばすにも販路の開拓が必要といった悩みを抱え、自立に向けた打開策を模索しているときでした。そこで思いついたのが「ちーたび」で、参加者に「エコの環」野菜を使ったおいしい手作り料理を食べてもらうという企画でした。そうすれば「ちーたび」開催に向け交付金で堆肥と野菜の増産が図れ、また、生ごみ堆肥で育てた野菜、料理の美味しさを分かってもらえば販路の開拓にもつながり、自立への道が開けると考えられます。そこで11月にまず第1回目の「ちーたび」を実施することにしました。そのために作成したチラシが上図で、タイトルは「美味しい野菜を食べて 美しい阿蘇海を!」です。
 「ちーたび」の実施日時は11月27日(木)の10時~14時で、KTR(北近畿タンゴ鉄道)の岩滝口駅前に集合後、近くの生ごみ処理場で反転可能な木箱使い、ゼオライトで発酵・堆肥化を進める独自の「宮津方式」を見学してもらいます。その後1~2km離れたところで3人の高齢者が生ごみ堆肥のみで野菜の栽培をしている畑を見学し、そのとき野菜の収穫も経験してもらいます。そして近くの阿蘇海海岸に移動し、私たちが将来、そこに堆積するへどろで人工ゼオライトを合成し、それによってその環境を修復しようと考えている海(500ヘクタール)を見学してもらいます。その後また岩滝口駅近くに移動し、「すゞ菜」という地産地消の店で「エコの環」野菜を使った美味しいランチを、女将の小西さんから料理法の説明を受けながら食べて頂きます。食後はすゞ菜で私たちの活動内容をスライドを使って説明し、参加者全員で環境や健康について話し合いたいと考えています。参加費用は1人2,000円で、定員は12名、小雨決行です。奮っての参加をお待ちしています。お問い合わせはTel$Fax ;0772-46-4943(松森)、あるいはメールで次までお願いします。toyomi55@beige.ocn.ne.jp
   bluesea.aso@gmail.com
すゞ菜のやさい畑のごちそうランチ

2014年10月5日日曜日

アミノ酸

 前回、調味料のアミノ酸について少し触れました。いま私たちが買う食品には生鮮食品以外、ほとんどのものに食品添加物が入っていて、なかでも「調味料(アミノ酸)」とか「調味料(アミノ酸等)」は非常によく見かける化学物質です。これらは食品が持つ本来の味を活かすというより、化学物質により濃厚な味付けをする為に入っています。その方が生産者にとって生産コストが格段に安く抑えられ、しかも消費者を中毒にしてその商品のリピーターを作ることができるからです。中学生の時、放課後に学級行事で残っていると、担任で理科の先生が数種類の化学薬品を持ってきて、目の前で黄色いオレンジジュースを作ってくれたことがあります。薬品だけでおいしいジュースが作れることにビックりしたことを覚えていますが、いま販売されている加工食品、行列のできるレストランなどのほとんどでは、こうした化学薬品調合による味付けが行われているわけです。
化学調味料のそもそもは、1907年に池田菊苗が昆布のうまみはグルタミン酸であることを発見したことに始まります。私たちの舌には味蕾という味覚器があり、甘味、酸味、塩味、苦味などの味を感じ分けることができますが、グルタミン酸の発見以来、それらに第五の味として「旨味」が加わりました。化学調味料の生産・販売を始めた味の素㈱も、当初は昆布を煮出して結晶化させ、それを販売していたようですが、しかしそれでは40キログラムの昆布からわずか30グラム程度の調味料しか得られないため、グルタミン酸ナトリウムを工業的に大量生産する方式に切り替えたようです。グルタミン酸は20種類ほどあるアミノ酸の一種で、タンパク質を加水分解すれば簡単に作れるからです。実際に高校の理科の授業でも、タンパク質である髪の毛からアミノ酸を作る実験が行われたりしますが、中国では髪の毛から作ったアミノ酸を原料に、醤油の製造販売も行なわれているようです。また、グルタミン酸ナトリウムを石油から合成することも可能であり、味の素㈱でも石油からの合成も行なっていたようです。しかし工業的に生産を行う場合は何を原料にするか、どういった工程で生産するかが大きな問題になります。どんな製品も生産過程で不純物の混入は避けられず、不純物の毒性などをよく調べる必要があるのですが、不純物が微量になればなるほどそうしたことへの注意が、無視されがちになるからです。髪の毛といえば気分的にもよくありませんが、それ以上に髪の毛には体内に入った有害物質(水銀など)が排泄物として含まれており、アミノ酸の入った安い食品には特に注意が必要です。調味料(アミノ酸)と記載されている場合は、グルタミン酸ナトリウムだけが添加され、調味料(アミノ酸等)と記載されている場合は、核酸とかコハク酸などアミノ酸以外の旨み成分がさらに配合され、カツオ味とかシジミ味、ウニ味などが思いのままに作られます。こうした濃厚な味のもとでは塩味を出すのに、塩分もかなり高め入っているといいます。私の舌はかなり鈍感ですが家内の舌は敏感で、アミノ酸が入っていると「ウッ」と吐き出したりします。味がしつこくて飲み込めず後に残るのだそうです。化学調味料の有害性についてはいろいろ取りざたされており、なんとかこうしたものに頼らない暮らしができないものかと考えますが、それには時代に逆行して「不便を楽しむ」ような風潮でも広まらないと、なかなか難しいのかも知れません。

2014年9月22日月曜日

ピンきら

 先日義兄が、「これは老舗のお茶でおいしいぞ」と抹茶入りお茶をくれました。何気なく裏の表示を見ると、調味料として「アミノ酸」、「砂糖」などが入っています。「おいしい」といってもそれはお茶本来の味によるものではなく、添加物のアミノ酸や砂糖でごまかされた味であって、何でこんなものを老舗が発売するのかと不思議に思いました。しかし考えてみれば1年程前、阪急阪神ホテルズを始めとするほとんどの老舗ホテルが、赤肉に牛脂を注入した加工肉を「霜降り肉」と称して料理に使用し、大きな食材偽装問題になりました。そのとき加工肉には「アミノ酸」もうま味成分として添加されており、老舗ホテルで食事を楽しむような食通の人も、添加された牛脂やアミノ酸の味を「おいしい、おいしい」と味わっていたわけです。行列のできるラーメン店とか中華料理店では、味付けに決まってアミノ酸などの化学調味料を入れるそうです。天然の昆布や魚を使って得られる「だし」の旨みはグルタミン酸によるものと云われますが、だしを取るには手間暇がかかるため、いまではグルタミン酸ナトリウムを主成分とする化学調味料が、料理を始めあらゆる加工食品に「調味料(アミノ酸など)」という表示のもとに添加されています。現代人はそうした味に慣らされ、アミノ酸や砂糖の入ったものでないと物足りなさを感じるのでしょう。しかし塩や砂糖でもそうですが、そのエキスを得るために周りの不純物をドンドン取り除き純度を上げていくと、得られるものは自然品から化学物質に変化し、身体にとって有害性を帯びてきます。しかもその多くは麻薬性を有し、依存症を引き起こします。南米ではコカの葉をお茶として飲んでいるそうですが、それを精製するとコカインという麻薬になるのと同じです。自然の旨みでは中毒になりませんが、グルタミン酸ナトリウムでは依存症を引き起こすのです。だから店に行列ができるようになるのですが、しかしそれは味覚障害によるものなのです。化学調味料は人によって動悸や吐き気、めまいを引き起こすことがあるので、特に子供には極力、摂らせないようにすることが大切だと云います。
 ”ピンと活き生き”宮津ライフでは高齢者ビジネスとして、宮津独自の料理の開発を進めていこうと考えています。そしていまある自然食料理屋の奥さんに頼んで、身体を温める料理として「ピンきら」(「きんぴら」ですが、ピンと活き生きのピンを取り込んで命名)の開発に取り組んでいます。私としてはできるだけお袋の味となるように、素材の味を生かしたシンプルな調理をお願いしているのですが、自然食料理屋でさえ万人向けを考えると、どうしても甘みを少し加えたがる傾向にあります。一度アミノ酸とか砂糖とかの味に慣れ親しむと、その味覚を変えるのはなかなか難しいようです。
試食用のピンきら
ピンきら試食会
 













南雲吉則;空腹が「生き方」を教えてくれる、サンマーク出版、2013

2014年9月11日木曜日

老人介護(つづき)

 前回は私の家内の母親で、103歳になるおばあさんの介護について少し触れました。おばあさんのことは家内と、「いずれ自分たちも同じことになるのだから」とよく話し合っています。そんなこともあってか家内も最近はほとんどイラつくこともなく、黙々とおばあさんの世話をしていて、傍から見ていても頭の下がる思いです。ただ、肝心のおばあさんが最近、「なかなかお迎えが来ない」とか、「施設に入った方が早く死ねるのでは」とか、巡回に来るお医者さんに「早く死ねるような薬をください」などとよく口にするようです。やはり一日テレビを見ているだけでは詰まらないのだろうと思います。私も何か暇を潰せる仕事がないかと、「野菜の種取りはできないか」、「新聞の切り抜きはできないか」、「ハガキの敷物が作れないか」などと家内に持ちかけるのですが、「目が見づらいから無理」とか「力が入らないから難しい」などとその都度却下される始末です。2~3年前に比べると視力、聴力、筋力などに相当衰えがきているようです。残念ながらいまできることといえば、テレビを見ること、食べること、寝ることだけで、そうなったとき人間は一体どうしたらよいのかと考え込んでしまいます。おばあさんは自尊心の強い人であるだけに、何もできないいまの状態に人一倍悔しい思いをされているであろうし、自尊心がズタズタになっているのではと思うからです。私の近所に、やはり母親の介護を6~7年やっておられるご夫婦がいます。そのお母さんの場合はずっとこん睡状態にあり、胃ろう(胃に開けた口)を通して栄養補給を行っておられます。ご夫婦ともに憔悴された顔を見ると、長年の介護でかなり疲れておられるように感じます。そのお母さんも昔は結構しっかりした方であっただけに、一体どんな気持ちで毎日毎日眠っておられるのだろう、良かれと思ってやっている処置が却ってお母さんの自尊心を傷つけ、「早く止めて楽にしてくれ」と思っておられるのではないかと、他人事ながらつい考えたりします。
 
長生きするには肉を食べるな? 食べろ?で述べましたが、日本人の平均寿命が顕著に伸び始めたのは、ほんの昭和(1926年)に入ってからのことです。それまでは腸チフスとか結核など細菌感染による死亡が多く、男女とも「45歳」がせいぜいの寿命であったのです。それがパスツールから始まる「病原菌退治」の近代医学の発達のお陰で、いまでは男女とも平均寿命が80歳を超えるまでになりました。他の先進諸国も状況は大体似たようなものだと云います。このことは私たちは50歳以上の生き方をあまりよく知らないとも云え、これからは「健康寿命」(日常生活が支障なく送れる寿命)をいかに平均寿命に近づけるか、つまり「ピンピンコロリ」が非常に重要な課題であると云えます。おばあさんにしても2~3年前までは、ハラハラすることはあってもガスを使って何とか自炊ができ、風呂にもトイレにも自分で入れたわけで、自尊心が傷つくことはなかったと思うからです。介護は単に家族に大きな負担をかけるだけでなく、本人にとっては尊厳を損なうことにもなるわけですから、健康寿命を意識して自重しながら余生を楽しみたいと考えています。

2014年8月30日土曜日

ガン対策

 日本ではガンは一生のうちに2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する病気で、1981年以降、死因のトップになっているそうです。2010年に新たにガンにかかった人は推計で80万人を超え、記録が残る1975年の約4倍にもなる急増ぶりだそうです。それにも拘らず国民の関心は低く、正しく理解されていないといった背景から、文部科学省はガン教育のモデル事業を全国の70の小中高校で始めるそうです。京都府では国に先駆け昨年度から「生命のガン教育」事業を始めていて、医師とガンの経験者が講師として学校を訪問し、医師がガンの基本知識を解説し、経験者が闘病を通しての生きる大切さを語る授業を、昨年度は20の小中高校で実施したそうです。生活習慣の大切さを子供のときから教えることは極めて重要であり、非常に前向きな取り組みではないかと思います。
 ところで先日テレビで、「BNCT(ホウ素中性子補足療法)」というガンの放射線治療についてやっていました。従来の放射線治療ではガンの周りの正常な細胞まで破壊してしまうのに対し、BNCTはガン細胞だけを破壊できる画期的なもので、日本が開発した世界最先端の技術ということでした。しかし手術は巨大な原子炉の中に患者一人を入れて行うため費用が巨額になり、そこで新たにサイクロトロンを使ったコンパクトな装置を開発し、それを近々、原発事故の被災地である福島に設置して、放射能の全く違った利用技術として世界に情報発信していくとのことでした。ガン治療については抗がん剤でも、ガン細胞だけを狙い撃ちできる「分子標的薬」なるものが開発されているそうです。ただ、こちらは患者の遺伝子タイプによって効力が違ったり、安全性、耐性、副作用などにまだ課題が多く残されているようです。また、ガンの早期発見については、1回の採血で13種類のガンを見つける検査技術の開発が、NEDOと国立ガン研究センターにより約79億円の巨費を投じて始まるそうです。上図を見て分かるように日本ではガン患者は増える一方で、だから何とかしなければというので巨額の研究費を投じ、新たな治療法の開発を進めようとする努力はよく分かります。しかしガンになってから、つまりガンが目視できるほどの大きさになってから治療したのでは、まして人間が行う治療では完治を期待するのは無理であり、医療費だけが膨らんでいくことになりかねません。
 私たちの身体は約60兆個の細胞で作られています。各細胞にはミトコンドリアと云う小器官があり、そこでエネルギーを作っていますが、メタボで内臓脂肪が異常に増えたり、過剰なストレスにさらされたり、酸素の取り込みが不十分であったり、身体を冷やしたりするとミトコンドリアの活動が不活発になり、それが細胞にガン化のきっかけを与えることになると云います。一方でミトコンドリアには細胞に異状が発生したり、それが他の細胞や器官に悪影響を及ぼしそうな場合、アポトーシスといってその細胞を自滅させる機能があると云います。また、身体を温めると免疫機能が高まり、NK細胞によるガン細胞への攻撃力も増すと云います。つまり私たちの身体には食事を腹八分に抑えたり、野菜を多く食べたり、運動をしたり、お風呂で体を温めたりしてミトコンドリアを元気にしたり、免疫システムを活発にするような生活習慣を心がけていれば、ガンがまだ細胞レベルの大きさのときに、確実にガンをやっつける機能が備わっており、進行ガンでも回復できると云います。正しい生活習慣を心がける予防医学にこそ、お金を投入すべきではないかと思います。
 ところでアメリカでは自分の遺伝子を調べ、将来ガンになりそうだと分かったら健康な内に乳房や卵巣を切除するガン対策が行われていて、女優のアンジェリーナ・ジョリー(ブラッド・ピットの奥さん)が乳房の予防切除を行ったことから、日本でも広く知られるようになり、遺伝子検査を受ける人が増えつつあると云います。しかし私たちの寿命を決めるのは遺伝的要素が30%で、残りの70%は環境因子、つまり生活習慣だと云います。たとえ遺伝的にガンを発症しやすい素因があっても、その体質にあった正しい生活習慣さえ励行していれば病気の予防だけでなく、却ってそうした素因が寿命の延長に有利に働くのだと云います。いずれにしても私たちの身体は遺伝子ですべてが決まるほど単純ではなく、まだまだ知られていない未知の分野が多いのであり、健康な内から身体の一部を取り除くようなガン対策は、あまりにも拙速な過剰防衛であり、神に対する冒涜行為だと思います。

大谷  肇  ;長生きしたければミトコンドリアの声を聞け、風詠社、2013
斉藤真嗣;体温を上げると健康になる、サンマーク出版、2009





2014年8月20日水曜日

認知症

 テレビで認知症で行方不明になっている人が1万数千人もいると云っていました。認知症の人は勝手に徘徊するため、チョッと目を離したすきに忽然と居なくなってしまうのだそうです。事故にあったり他人に迷惑をかけていないかと、家族の心労は相当なものだと云っていました。いま日本には認知症と云われる人が800万人もいるそうです。この数は鎌倉時代の日本の総人口に相当し、その数の大きさを思い知らされます。私もいま73歳。年齢的にはいつ認知症になってもおかしくない年代にあり、とても他人ごとには思えません。認知症には糖尿病などの生活習慣病の関わりも大きいようですが、やはり生きがいを持って積極的に頭を使うことが大切なのではないでしょうか。
先日テレビで「少年H」という映画がありました。丁度文庫本で読んでいたところであり、早速見てみました。少年Hのオヤジさんは洋服屋をやっていたのですが、太平洋戦争が始まると商売がやりづらくなり、消防士になります。しかし空襲で神戸市が焼き野原となり、すべてをなくしてしまうと、それまで何かと少年Hの心の支えであったオヤジさんが、すっかり魂の抜けた状態になってしまいます。しかし少年Hとお母さんが火事のとき必死に運び出したミシンを焼け跡に見つけ、掘り出し、修理し、動くようにして服が作れるとすっかり元気を回復し、また、少年Hも親元を離れる決心をするという実話に基づくストーリーでした。オヤジさんが元気を取り戻すシーンには、人間にとり「人のために働く」ということが、いかに大きな力、生きがいになるかのメッセージが込められているように思いました。
 ところで日本でテレビが普及し始めたころ、大宅壮一という評論家が「一億総白痴化」とテレビ文明を憂えていました。本とか新聞、ラジオのように、話しを読んだり聞いたりするときには、私たちはその情景をいろいろ空想したり、連想したりします。しかしテレビはそうした情景もすべて提供するため、見る者は頭を使う必要が無くなり、頭の使い方も非常に受動的になって、人間が馬鹿になってしまうのではと心配されての言葉だったと思います。いまの認知症の多さがすべてテレビ文明のセイだとは思いませんが、ただ先日、お盆で帰省していた長男家族と車で出かけたとき、「カーナビ」で起きたチョットした出来事に、「便利になりすぎる」ことは私たちから身体能力、五感をドンドン奪って、その分私たちは無能化していくのではないかと、改めて大宅壮一の言葉を思い出した次第です。
 当日は長男の車で豊岡市の「玄武洞」に出かけました。出かける前に長男が「げんぶどう」と打ち込むといくつものメニューが現れ、「どれかナー」と探しているので、「これだろう」と一つのメニューを押して出かけました。当然長男は「カーナビ」を見ながら運転し、私は見慣れた景色を見ながら横に乗っていました。豊岡市内に入ると玄武洞への標識が目に付き始めましたが、その内にその標識の距離とカーナビの距離が違うことに気が付きました。「変だナー」と思いながら乗っていると「玄武堂」というお菓子屋さんに着きました。メニューの選択間違いがとんだ笑い話になったのですが、そのとき頭を使うか使わないかの大きな差のようなものを感じました。わが家の車にはカーナビはなく、わが家ではどこへ行くにも10年ほど前に買ったロードマップを携えて出かけます。出かける前に大よその道順、場所を頭に入れ、現場に近づくと家内がロードマップを見ながら案内します。10年も経つと道が地図とはすっかり違っていたり、また、家内が方向音痴のためときどき方向指示を間違えたりします。しかしその点私は晴れの日でも曇りの日でも、太陽の位置から東西南北のどちらに向かっているかの勘に優れ、大体これまで目的地にはほとんど一発で到着できています。これをわが家では「家内ナビ」とか「勘ナビ」と呼んでいます。ときどき「喧嘩ナビ」にもなりますが、これの良いところは目的地へ向かうのに常に標識を探したり、方向や周囲の雰囲気に勘を働かせたり、記憶を呼び起こしたり、常に頭をフル回転させることです。だから数年前に初めて走った道でもよく覚えていて、「アレ! この道前に走ったことあるナー」、「確かこの先に郵便局があったのでは」と云っていると本当に郵便局が現れるのです。カーナビではこういった体験はあまりないのではと思います。
 宮津市でこの8月から取り組み始めた「”ピンと活き生き”宮津ライフ」は、生活習慣病や認知症の予防をかなり意識していますが、高齢者が常に地域社会のことを考え、行動することは、よい生きがいとなり、また頭を使うことになり、認知症の予防につながるのではと期待しています。