2014年6月19日木曜日

長生きするには肉を食べるな? 食べろ?

 最近、風呂の鏡で胸のあばら骨が目立つようになり、ガクゼンとしています。10年以上毎朝ストレッチをしていて、その際に腕立て伏せを100回ほどしているのですが、最近はそれもあまり効果がないのか、腕の筋肉も何となく張りがなくたるんだ感じになってきています。タニタの体重計でも、かつてはBMI値(体重kg/身長m/身長m)がチョイ太の23~24あったのが最近は21に近く、また体脂肪率も10を切る有様で、「人生も終わりに近づくと脂肪組織が細って痩せていく」と云いますが、いかんともしがたい加齢に悲哀を感じています。
 ところでわが家はこれまで、どちらかといえば菜食主義というか「伝統的和食」風の食事を主とし、肉食をあまりしてきませんでした。桜沢如一が世界に広めた「マクロビオティック」(玄米菜食)の考え方に賛同し、その流れを汲む人たちの、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)的考え方が正しいと信じてきたからです。しかし糖質制限食という全く逆の考え方があることにショックを受け、また自身の身体の変化から、「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)という本を買って読んでみました。するとさまざまな地域で百寿者(100歳以上の高齢者)の調査を行った結果、いずれの地域でも長寿者は若い世代の人たちより肉を多く食べていて、その結果、脳卒中の減少、認知症・うつ・寝たきりの予防に役立っていると云うのです。私たちの身体に最も大切な栄養素であるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできていて、多くは体内で合成されますが9種類は合成できず、「必須アミノ酸」として食べ物から摂る必要があります。この時「アミノ酸スコア」といって、その値が100に近いものほど必須アミノ酸のバランスがよいという指標があり、それによると牛乳・卵・肉・魚は100、大豆は86、玄米は68、精白米は65、小麦粉は44で、肉は人間の身体のアミノ酸構成に近く食べたときに無駄がないため、余分なアミノ酸の処理に臓器を酷使する必要がなく、身体の負担が減ってよいのだと云います。この考え方は対象がアミノ酸で糖質とは違いますが、結果的には糖質制限食に近い考え方となり、玄米菜食とは程遠いものと云えます。
 この本を読むうちに「長生き」ってなんだということになり、インターネットで1891年(明治24年)以降の平均寿命の変化を調べてみました(右図)。すると平均寿命が顕著に伸び始めるのはなんと昭和に入ってから(~1926年)のことで、それまでは男女とも「45歳」がせいぜいで、「50歳」を超えるのは戦後初の国勢調査が行われた1947年(昭和22年)以降であることが分かりました。戦後の一時、「戦死」の要素が無くなり大きな上昇がみられますが、1950年代半ばからは上昇傾向が緩やかになり、その流れのまま今日に至っていると云えます。つまりグラフを見る限り日本の伝統的和食が長寿につながっていたとは考えにくく、一方、日本人の食生活が大きく変わったのは東京オリンピック後の1965年と云われ、これを境にコメの摂取量が減り、代わって肉類と牛乳の摂取量が増えたと云われますが、しかしこれもグラフを見る限りその影響を読み取ることはできません。むしろ日本の医療費の急増が始まったのはこのころからです。平均寿命には案外、レジャー、スポーツ、自由などと云った「平和的要素」が大きいのかもしれません。
 ところで以前、こんな話しを聞いたことがあります。明治政府の招へいで日本に30年間滞在し、ドイツ医学を伝授したベルツ氏があるとき二人の人力車夫を雇い、三週間毎日、40キロを走らせたそうです。車夫の食事は米、麦、粟、ジャガイモなどの低タンパク、低脂肪の粗食だったので、氏はドイツ栄養学を運用すべく肉を食べさせたそうです。すると結果は二人とも疲労がはなはだしく募り、走破が不能になったと云います。そこで食事をもとの粗食に戻したところ、元通りに走れるようになったと云います。続いて氏は馬車と人力車とどちらが速いか、東京から日光までの100余キロで競わせたそうです。結果は馬車は馬を6回取り替えて14時間、人力車は一人で14時間半だったそうです。車体の重量差を考慮する必要がありますが、当時の車夫は馬並みの馬力を持っていて、ベルツ氏は一見「粗食」に見える日本食の威力に脱帽したと云います。
 ところで先ほど触れたアミノ酸スコアによると大豆も精白米も100に届かず、数値的には肉より劣ることになります。しかし両者はお互いに相手の不足するアミノ酸を補完する関係にあり、大豆(大豆食品)と精白米(ごはん)を一緒に食べるとスコア的には100を満たすことになるそうです。ということは、肉をご飯と一緒に食べるとかえってアミノ酸に過不足が生じ、それが「肉は食べるな」という結果につながっているのかも知れません。

2014年6月10日火曜日

生産年齢人口 (つづき)

 日本の少子高齢化問題は、私たちが考えている以上に国をむしばみ、活力を奪っているようです。なかでも「日本創生会議」が試算し公表した「消滅可能性都市」は、きわめてショッキングな数字と云えます。いま全国には1,800の自治体があるそうですが、その半分の896自治体で「若年女性」(20~39歳の子供の出産可能な女性)の人口が、2040年までに2010年に比べ50%以上減ってしまうと云う試算です。若年女性が減ると云うことは子供が生まれないわけですから、人口の減少に輪をかけることになり、医療・介護など社会保障の維持はもちろん雇用の確保も難しくなり、都市が消滅しかねないというのです。半減する自治体には県庁所在地の青森市や秋田市、また観光地の函館市までが含まれるというからオドロキです。私が住む宮津市も人口減少が止まらず、いまは2万人を切っている状態にあり他人ごとではありません。
 一人の女性が生涯に産むと見込まれる子供の数を、「合計特殊出生率」と云うそうです。これが「2.07」なら人口が維持できるのに対し、2013年はそれが1.43で2005年に過去最低値(1.26)に達した以降は微増が続いているものの、人口を維持できる水準にはほど遠く、政府もやっと「骨太の方針」に50年たっても人口1億人を維持するという目標を盛り込み、2020年をめどに少子高齢化の流れを変えることを明確にするようです。そして来年度の予算案づくりから、高齢者向けが多い社会保障予算の見直しにも取り組むようなので、高齢者にとっては段々と厳しい状況に追い込まれることになりそうです。
先日テレビで年金問題をやっていて、学生と高齢者に意見を聞いていました。学生たちが遠慮がちに「高齢者の方が恵まれている」と述べているのに対し、マージャンに興じている高齢者たちが、「決して自分たちは恵まれていない。いまの給付額に見合う以上の年金は収めてきた。いまの若者は情けない」と述べているのが気にかかりました。いくら納付されたかは知りませんが、通常であれば給付額は納付額をはるかに上回るはずであり、それに7~8人で1人の高齢者を支えていた時代と、2~3人で支えねばならない今とでは条件が全く違うからです。厚生労働省が5年に1度行う公的年金の財政検証によると、女性や高齢者が働きに出て高成長が続いたとしても、給付水準を少しづつ下げ30年後には今より2割ほど低くしないと、政府が約束する現役世代の収入の50%以上が守れないと云います。ただ、この「高成長ケース」も前提が大甘であるとの指摘があり、今回用意された「低成長ケース」の場合にはいずれも給付水準50%を切り、最悪の場合は35~37%ほどになると云うから深刻です。私たち高齢者もそろそろ真剣に甘えを捨て、自助・共助で今の社会を支えていく気構えを持たないと、子供・孫にツケを残すどころか、自分たちの生活自体が立ちいかないことになりかねません。
 日本の高齢者の年齢階級別人口1人当たりの医療費は、下図のようになるそうです*。これによると高齢者の医療費は年齢とともに上昇しますが、しかし死亡前にかかる医療費(終末医療費)は極めて高く、それも若年齢階級ほど高く、高年齢階級になるにつれそれが低くなることから、長生きするほど苦しまずに終末期を迎えられることが分かるのだそうです。つまり長生きする人ほど「ピンピンころり」になる確立が高いのだそうです。
 宮津市では昨年、地元企業、諸団体、住民参加による「みやづ環の地域づくり推進ネットワーク」が起ち上げられ、私たち「ブルーシー阿蘇」は「Eライフスタイル推進部会」に所属し、高齢者の力を活用した「エコの環」の推進を提案してきました。議論を重ねるにつれ高齢者問題がとても重要であることが認識され、いまは高齢者が率先して社会貢献すべき仕組みを作ろうと議論しています。高齢者の積極的な社会奉仕は地域の利益になるだけでなく、高齢者自身にとっても大きな生きがいとなり、「ネンネンころり」にならない歯止めになると考えられるからです。

高齢者の生存者と死亡者の年齢階級別人口1人当たりの医療費(1998)
 
 * 柴田 博;”肉を食べる人は長生きする”、PHP研究所(2013)



2014年5月28日水曜日

一週間の戦い

 家内が一週間も家を空けることが起きました。先週の月曜日、急遽病気見舞いに出かけることになり、水曜日に帰ってくる予定で出かけたのが結局土曜日になってしまったのです。これまでも遊びや何かで家内が家を空けることはときどきあったのですが、空けても2~3日どまりで、そのときはその間の私の食事を全部用意して出かけるのが家内の習いでした。これは決して私が「亭主関白」だからと云うことではなく、長い習慣として私自身が台所に立ったことが全くなく、「台所のことは任せられない」という家内の強い思いによるもので、ただ今回は準備の時間がほとんど無かったため、「カレーでいい」と云ってカレーだけを多めに作ってもらいました。
 こんなことで水曜日の昼までは何とか無事に過ごしていたのですが、家内から突然「帰りを土曜日にしたい」と急な連絡が入り、そこから私の苦しい戦いが始まりました。経験のない食事作りもさることながら、実は前日、一日中庭の草取りをしていたのですが、結構身体に負担を感じながらも少し無理をしたのが悪かったのか、朝起きると寝違えたように首から右肩にかけ激痛が走り、全く首が回らなくなっていたのです。ふだん肩こりなどしたことがなく、貼るシップ薬もないままパソコンに向かっていると痛みは増すばかりで、そうこうする内に夕食の準備にかからねばならなくなりました。冷蔵庫といってもビールの置き場所しか知らない身にとって、家内から「冷凍庫にナニ」、「冷蔵庫のどこにナニとナニ」と云われても、「省エネ」意識からか長時間扉を開けておられないのと、首が全く回らないのも手伝ってなかなかナニを見つけることができません。散々苦労してやっとジャガイモ、にんじん、キャベツ、豚肉、ホタテを見つけ、これらをフライパンで炒め醤油で適当に味付けしたのですが、蓋をかけて料理したせいか野菜からの水でちょうど「すきやき」風の炒めものができ上がりました。次にご飯を普段の土鍋ではなく小さな炊飯器で炊こうとしたのですが、お米の量と水の割合が分かりません。家内は「お米2カップに水2カップ」というのですが、それを守るとわが家の小さな炊飯器が溢れそうになります。こんなところで技術屋の厳密な計量に対する家内のいい加減さに腹を立ててもどうしようもなく、やむなく水を減らして「ままよ」とスイッチを入れました。幸いご飯は蓋を持ち上げんばかりに膨らんだものの焦げもなく、なんとかその晩は結構おいしいスキヤキごはんを食べることができました。
 翌朝になっても痛みは引かず、一日ゆっくりしようと午前も午後もゴロゴロ寝て過ごしたのですが、これがよくなかったようで、電話が鳴っても人が訪ねてきても急に起き上がることさえ難しくなってしまいました。その内にまた夕食時になり、しかし肉は前日に使い切ってなく、ホタテも半分冷蔵庫に残しておいたのがいくら探しても見つからず、たまたま見つけた冷凍シャケで昨日同様にスキヤキ風炒めを作り、それと家内から味噌のあり場所と溶かし方を教わり、ジャガイモとキノコ、豆腐で味噌汁を作りました。そしてその晩も肩の痛みと戦いながら、何とか食事を済ますことができました。
 しかし翌朝も痛みは一向に引かず、これは血のめぐりが悪いからだろうと風呂を沸かし、ゆっくり肩、首まで浸かってたっぷり汗をかきました。しかしこれが却って悪かったのか、今度は微熱が出て気分まで悪くなってしまいました。こんな様子を知った家内から、家内に代わっておばあさん(103歳)の面倒を見に帰っていた義兄に連絡が行き、彼が普段使っているシップ薬を持って駆け付けてくれました。「マッサージに連れて行ってやる」と云ってくれたのですが、気分的にまったく動く気になれず、「シップ薬で様子をみてみる」と云って一日椅子に座って本を読んだり、テレビを見たりしてジッとしていました。しかしこれがまた身体を固まらせるというかコリを進めた感じで、まさに肩で息をする状態になってしまいました。そうこうする内に水道のお湯が出ないことに気が付きました。わが家は夜間電力でお湯を沸かしているのですが、不思議に思ってコントロール盤を見ると、エラーメッセージが点灯しています。取説を見ながらコントロール盤を操作してもエラーメッセージは消えず、何故だろうと風呂場を見ると上がり湯の蛇口が開けっ放しで、水が勢いよく出ています。多分5~6時間そんな状態だったろうと思われますが、肩の痛みでそんなことにも注意が届かなくなっている自分が、まったく情けなくなる思いでした。その晩も何とか「お米1カップと水1カップ」でご飯を炊き、あとは豆腐、納豆、焼き海苔などを見つけ、それで食事を済ませましたが、肩の痛みはひどくなるばかりで、その夜は右を向いては「ギャー」、左を向いては「ギャー」と一晩中痛みに苦しめられました。
 翌朝は目が覚めても激痛のため起き上がることもできず、まるで裏返しにされたカメ同然に、手足をバタバタさせながら天井を見ているだけの状態で、やむなく一日中ジッと寝て、家内の帰ってくるのをひたすら待ちました。不思議なもので家内が帰ってくると幾分痛みも和らぎ、その夜は前日よりは少し楽に寝ることができました。
 翌日(日曜日)家内から「緊急診療所へ行ったら」と勧められたのですが、少し楽になったことから結局行かず、月曜日の夕方になってやっと外科に行く決心をしました。そして飲み薬とシップ薬を処方されたのですが、お陰で翌朝(火曜日)になると痛みがすっかり無くなっているのにビックリしました。なぜ一週間近くも痛みと戦っていたのか不思議に思えて仕方ありませんでした。ただ、今回の出来事は共に高齢で支え合って生きていくには、男も台所に立つ必要があることを切実に教えてくれ、「週に1回は料理作りを手伝う」ことを家内と話し合ったところです。



 

2014年5月14日水曜日

食糧問題

 
 昨日は全国的に夏日、真夏日となったところが非常に多く、急激な温度変化に体調を崩す人も大勢いたようで、5月というのに熱中症の対策をテレビが訴えています。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第1作業部会報告書(2013年9月)によると、温室効果ガスの排出をいまのまま放置した「成りゆきのシナリオ」の場合、世界の平均気温は今世紀末に最大で4.8℃上昇すると云います。昨年の日本の夏は、四万十市を始め最高気温を更新する観測点がアチコチに続出する猛暑でしたが、それでも平均気温でみると、平年よりわずか1℃ほど高かったにすぎないと云われ、それを考えると4.8℃という数値のスゴサと、その計り知れない影響が心配されます。しかもいったん気温が上昇すると、たとえその後に温室効果ガスの排出量をゼロにしても、気温は思うように下がらないと云うから厄介です。

昨夏の猛暑
国際社会が目指すべき選択肢の一つに、産業革命前に比べ気温の上昇を2℃以内に抑える「2℃シナリオ」があります。しかしこれを実現するには、温室効果ガスの排出量を今世紀末までにゼロにする必要があると云われ、人口大国の中国、インドなど新興国の排出量の急増を考えると、その実現には相当厳しいものがあると云えます。
 次に横浜市で公表された第2作業部会の報告書(2014年3月)によると、「成りゆきのシナリオ」では海面の上昇は81cmにもなり、今世紀末までにアジアを中心に移住を余儀なくされる人数は、数億人に及ぶと見積もられ、地球温暖化の影響はすでにすべての大陸・海洋の水資源・食糧生産・自然生態系にハッキリ表れていて、水産物は生息域が大きく変わると同時に世界的な減少が見込まれ、農業では小麦・トウモロコシなどの主要穀物に収穫量の減少傾向が表れていると云います。一方で人口増のため食糧の需要は増えるため、4℃以上の大きな気温上昇を許すと、世界の食糧安全保障に大きな影響を与え、武力衝突の危険性も高まり、「2℃シナリオ」なら適応策も立てられるが、4℃以上になると限界を迎えると述べているそうです。
 そして第3作業部会の報告書(2014年4月)では、深刻な影響を避けるには2050年までに温室効果ガスの排出量を、2010年比で40~70%と大幅に削減する必要があると述べていて、現在の地球の温室効果ガスの平均濃度は約400ppmであるが、今世紀末の濃度が450ppmであればまだ「2℃シナリオ」実現の可能性はあるものの、ここ10年間の排出量の増加が特に大きいため、このままでは2030年に450ppmを通過してしまう可能性があり、それまでにそれなりの対策を取らないと将来の対策の選択肢が限られてしまう、つまりここ10~20年が勝負になると訴えているそうです。IPCCの報告書に従えば、「成りゆきのシナリオ」か「2℃シナリオ」か、私たちはいま人類の存亡をもかける非常に厳しい岐路に立たされていることになります。
 いま日本は食糧の6割以上を海外からの輸入に頼っています。しかしIPCCの報告書は日本の現状は国家安全保障上極めて危うく、これからは自らの食糧は自ら賄うことが自衛隊を持つ以上の意味をもってくることを教えています。高齢者が「エコの環」に取り組み、地域のために食糧の生産、確保に励むことは、これから非常に重要になってくると考えられます。




2014年5月6日火曜日

生産年齢人口

 総務省の発表によると昨年10月時点の日本の総人口は、定住外国人を含めて1億2,730万人で、その内65歳以上の高齢者が初めて25%を超えたと云います。一方で生産年齢(15~64歳)の人口は8,000万人を割り込んで62.1%となり、しかも15歳未満の子供は33年連続の減少で12.8%となり、高齢者の約半数と云います。

この人口構成、特に生産年齢人口の減少は極めて深刻な問題で、全国的に飲食店では人手不足による休業が相次ぎ、製造業の現場でも折角の注文に生産が追い付かなかったり、建設業界では東日本大震災被災地の復興事業や大型ビル・店舗の建築にも影響が出ていて、東京オリンピックにも影響の及ぶことが心配されています。一見、高度成長期のころの人手不足に似た状況ですが、成長ラッシュに沸いた時代とは全く違う環境下での人手不足だけに、その影響が心配されます。しかも高齢者が増えると云うことは介護問題が発生することでもあり、それがまた生産世代の足を引っ張っているようです。新聞報道によると働きながら家族の介護をしている人はいま291万人もいて、しかも介護のため離職する人が年に10万人に達し、このままいくと10年後には30万人を超える可能性さえあると云います。人手不足と云い介護問題と云い、人口構成の変化が経済活動に重大な影響を及ぼしつつあるのです。
 一方、生産世代の減少は社会保障制度(年金・医療・介護)にも深刻な影響を及ぼしつつあります。そのためこの4月には消費税が8%に引き上げられました。しかも高齢者は医療費の窓口負担を1割から2割に引き上げられ(70~74歳)、年金の支給額も減らされました。一方で現役世代も保険料の負担増を強いられました。しかしこれでも社会保障制度の維持には全くの「焼け石に水」で、来年の10月には消費税をさらに10%に引き上げることが検討されています。しかしそれでも制度維持にはさらなる負担増が必要だと云われています。それほど日本の人口問題は深刻であり、待ったなしの状況にあるわけです。

高齢者を支える生産世代
生産世代の増加にはもはや女性と外国人に頼るしか方法は無いかも知れません。しかし一方で高齢者にも生産世代に負担をかけない生き方が求められていると思います。一つは自らも生産活動に加わって経済成長に協力することであり、いま一つは健康管理・維持に努め、医療・介護費の負担軽減に努めることだと思います。その意味で私たちが進める「エコの環」は、高齢者にとって健康的で負担も軽く、非常によい葉っぱビジネスになると考えています。生ごみを燃やせばキロ当たり24円の経費(宮津市の場合)が掛かりますが、野菜にすれば240円の価値が生まれるのです。しかも6次産業化への展開を図ればさらに価値を増大でき、高齢者にとって非常によい社会貢献策になると信じています。



2014年4月26日土曜日

糖質制限食(つづき)

 「食生活と欧米型現代病との関係」を最初に明らかにしたのは、世界85ヶ国の食事のパターンを三種燃料(脂質、糖質、タンパク質)の混合比率で分析し、「脂質の比率が高くなりすぎると、心臓・血管障害・ガンなどの疾患が増加する」ことを指摘したぺリセらの研究(1969)と云われ、いまからほんの45年ほど前のことです。その後アメリカでも医療費の膨張に業を煮やしたフォード大統領の命令で国家的大調査が実施され、世界中の国々の食生活と病気・健康との関係が、地域別・人種別・宗教別などに細かく分類して徹底的に調査されました。このとき証人喚問に応じた各国の医師・生物学者・栄養学者などの数は3,000人を越えたと云います。2年の歳月を掛け作成された5,000頁にも及ぶマクガバンレポート(1977)は、現代病(心臓病・脳卒中・ガンなど)は食生活が原因の「食源病」であると結論し、「薬による治療」ではなく身体が持つ「治癒能力」を高める栄養学を重視すべきこと、またぺリセらの図の最上段からかなりダウンした食事のパターンを勧告しました。そして「世界で一か所だけ理想的食生活の国がある」として日本食を勧め、それが日本食ブームに火を付けました。その後もアメリカでは「ガン予防と食生活」(1982)、(1992)、「ガン予防15ヶ条」(1997)など食生活重視の対策が進められ、それが野菜を多く食べる「5 a Day」運動(1991)につながり、その効果は生活習慣病の予防などにハッキリ現れていると云います。一方、マクガバンレポートがほめた日本人の食生活は、東京オリンピックのころまではまだ経済力に比して脂肪の比率が小さく、ぺリセらの図の一番下の最貧国並みのパターンに一致し、医療費は1兆円に届かないレベルにあったのですが、その後の高度成長による経済的豊かさの増大は、わずか30年の間に食事のパターンを図の一番下から一番上まで一気に駆け上らせてしまい、いまや日本の医療費は40兆円に達する破たん寸前の状態で、消費税アップの原因になっています。
 ところで日本の食事には昔から「一汁一菜」という言葉があります。一汁の「汁」は味噌汁、一菜の「菜」は煮物、和え物などの野菜・魚介料理で、ご飯を主食に味噌汁と野菜・魚介料理、漬け物くらいの食生活が古くから続けられてきました。一般的に生活が貧しかったこともあり、そうした質素な食生活が伝統的和食として受け継がれてきたのです。そうした中で明治時代の、まだ栄養学というものが学問として確立していないころに、石塚左玄(1851~1909)という医師が「食養」という言葉で「食事で病気を予防し、治療する」ことを提唱しました。これを受け継いでさらに発展させ、マクロビオティックという「食養療法」を世界に広めたのが桜沢如一(ゆきかず)(1893~1966)です。日本で100年以上も前にこうした栄養学が芽生えたことは大きな驚きであり、誇るべきことでもあります。
 この「食養」の基本的考え方は、
 食本主義;健康の基本は食にあり、病気の原因も食にある。
 人類穀物動物論;人間は穀物を主食とするようにできている。
 身土不二;その土地の環境にあった食事を摂ることで、心身も環境に調和する。
 陰陽調和;陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが大切。崩れると病気になる。
 一物全体;一つの食品(野菜・魚など)を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
の「食養五原則」と云われます*。「陰陽」というと少しうさん臭い気もしますが、東洋に古くからある哲学であり、陰陽の分類さえ正しければ考え方として間違ってはいないと思います。彼らの玄米菜食主義には批判的な意見もありますが、伝統的和食、またぺリセやマクガバン達の考え方とも基本的に異なるものではなく、私自身は「和風のじみ飯」を食べることで、そうした考え方を基本的に受け入れてきました。
 ところが前回紹介した「糖質制限食」はその考え方が全く違うのです。ぺリセらの図の横軸からその大半を占める「糖質」を完全に抜いてしまうのですから、ビックリ仰天もいいところです。著者の夏井氏は、人類はアフリカに現れた500万年前からずっと狩猟採集により肉食をメインに雑食をしてきており、穀類(糖質)を食べるようになったのはほんの1.2万年前からに過ぎず、消化管の構造はむしろ肉食動物に類似していて、草食動物のそれとはまったく違うと云います。また、狩猟採集時代の方が農耕時代より長生きをしており、しかも幼児の死亡率は穀物栽培後の方が上昇していて、人類は根本的に肉食に向いていると主張されます。しかし前述の食養五原則の「人類穀物動物論」はこれと真っ向対立するもので、人間が有する32本の歯の内の20本(63%)は穀物を食べるための臼歯、8本(25%)は野菜・果物・海藻を食べるための門歯であり、肉・魚介類をかみ切る犬歯はわずか4本(13%)に過ぎず、人類は本来肉食に向いていないと云います。こうなるともう一体どちらを信じてよいのか分からなくなりますが、いずれにしてもこれだけ科学が発達した現代でも、食べ物に関してはまだ「何が良くて何が悪いか」が十分に解明されておらず、混乱状態にあるのが実情と云えます。ただ、糖質制限食についても不調を訴える意見もありますし、私自身も体験するなかで、「肉はいくら食べても大丈夫」と云っても肉は血(塩分)の塊であり、減塩が叫ばれるなか問題は生じないのか、「油類はいくら摂取しても大丈夫」と云ってもぺリセ、マクガバンらの云う現代病につながらないのか、と云った不安があり、まだ簡単には結論付けられない問題のように感じました。

* 若杉友子;「これを食べれば医者はいらない」、祥伝社(2013)

2014年4月13日日曜日

宗教裁判

 小保方さんが先日開いた、理研の調査報告に対する不服申し立ての記者会見には、正直云ってがっかりさせられました。不服を申し立てるからには何かそれなりの反証が出てくるものと期待していたからです。不正や悪意はないと云うのなら、なぜ正しい写真なり証拠を出して具体的な説明をしないのでしょう。ノートも他にあるのならなぜそれを見せないのでしょう。また第三者で実験に成功している人が他にいるのなら、なぜ事前に了解をもらってその人の名前を公表しないのでしょう。これでは不服申し立ての会見の意味がなく、何回謝られようと、何回「スタップ細胞はあります」と云おうと、信じることは難しいと云わざるを得ません。
一方、理研の方も、論文に疑惑が浮上したころは「論文成果そのものはゆるがない」と云ったり、「作り方にノウハウがある」とその一部を公表したりしていたにも拘らず、山梨大の若山教授が論文の撤回を呼びかけたころから態度が豹変し、論文の撤回に傾いたり、小保方さん単独の「不正行為」、「ねつ造」と断罪したり、「STAP細胞」そっちのけで事件の収拾を図ろうとする行為には、ガリレオが「地動説」を唱えたとき、中世の教会が「異端か、異端でないか」を裁いた宗教裁判を思わせるものがあります。小保方さんの論文を否定しても、STAP細胞そのものが完全に否定されないかぎり、その存在についてはっきり白黒つけるのが本筋ではないでしょうか。幸い理研も1年かけて再現実験をすると云っているので期待したいのですが、ただ小保方さんを実験から外すと云っています。ここがまたよく分からないところで、なぜ彼女を外すのでしょう。一緒にやれば彼女も名誉回復とばかりに真剣に再現実験に協力するでしょう。問題はSTAP細胞にハッキリ決着をつけることであって、そこには少しの疑念が残ってもまずいのであって、小保方さんを外してもし上手く再現できなかったら、どう結論付けるのでしょう。
 小保方さんの博士論文と云い、ネイチャーへの投稿論文と云い、ずい分無責任でずさんであることは否めません。ただ彼女がどんなことからSTAP現象に着目するようになったかは知りませんが、何か全く新しい現象に関心を示し、あるいは新規な発想を抱いてそれに果敢にチャレンジする人には、やはり常人とは何か違う特別な才能がある可能性があり、温かく見守ってやることも大切なのではないでしょうか。ガリレオも若いころ「光に速度があるのでは」と考えたとき、助手を向こうの山の山頂に立たせ、自分はこちらの山の山頂に立ち、共に手に持つランプに覆いを被せ、最初にガリレオが覆いを取り、そのランプの光を助手が認めたら次に助手がランプの覆いを取ると決めて、ガリレオが覆いを取ってから助手のランプの光を認めるまでの時間を計り、光速を求めたと云います。いまなら小学生でもこんな実験は無意味だと考えやらないでしょう。しかし光に速度があるのではと感じることもさることながら、方法はともかくそれを測定しようとするチャレンジ精神というか勇気には、やはり賞賛に値するものが十分にあると思います。
 あの孔子も自分の生涯を振り返り、
 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳に順い、七十にして心の欲する所に従いて矩をこえず」
と年齢を重ねるにしたがって自己が完成されていく過程を述べています。小保方さんはまだやっと30歳で、孔子にしてやっと自分の足で立てるようになったばかりのころです。人間的に未熟であっても当然です。折角のリケジョの希望の星を、安易につぶしてしまわないことを祈っています。