2014年7月27日日曜日

フィトケミカル

 中学生のころ家庭科の授業で、「五大栄養素」について勉強しました。炭水化物と脂肪はエネルギー源に、タンパク質は身体を作る材料に、また、ビタミン、ミネラルは少量で身体の調子を整え、潤滑油のような働きをすると勉強したように覚えています。そして試験で「ほうれん草」の栄養素を問われ、当時ポパイの漫画が流行っていて、筋肉隆々のポパイが何か難題に直面すると必ずほうれん草を食べていたことから、「タンパク質」と解答したこと、ビタミンを最初に発見したのは日本人の鈴木梅太郎だったが、世界に知られるのが遅れ第一発見者になれなかったという話しに、悔しい思いをしたことなどが懐かしく思い出されます。「食物繊維」についても勉強し、女の先生が「サツマイモなどに多く含まれ腸の運動を活発にします。だからサツマイモを食べるとオナラがよく出ます」と、恥ずかしそうに教えてくれたのを覚えています。ただ当時は食物繊維に栄養素と云う認識はなく、単に大腸の運動を促して便秘を防ぐ物質という程度の捉え方でした。しかしその後この食物繊維に血中コレステロールや血糖値を正常に保ち、心筋梗塞、糖尿病、脂質異常症、動脈硬化など、生活習慣病の予防に効果のあることが認められるようになり、いまでは「第6の栄養素」と呼ばれる様になっています。
 ところで最近、第7の栄養素として「フィトケミカル」という物質が注目されるようになってきました。いつまでも若々しく、美しく生きたいというアンチエイジングの研究と共に発見されるようになったのですが、フィトケミカルのフィト(phyto)はギリシャ語の「植物」で「植物由来の化学成分」を意味しますが、「植物性生理活性物質」とも呼ばれたりしています。食物繊維と同様に5大栄養素とは異なり、これを摂らないと特有の欠乏症を起こして最終的に死に至るといった、「生命の元」となるような栄養素ではありませんが、健康増進とか病気予防に極めて有効と云われ、カテキン、ポリフェノールなどがよく知られています。植物は動物と違って自分の好きなところへ移動することができず、過酷で変化の激しい環境でも生きていかねばなりません。だから動物とは違った自己防衛力を授かっていると云われます。つまり強い紫外線や風雨に耐え、細菌や害虫、あるいは動物から身を守るためには、「抗酸化力」、「抗菌力」の他に、色素や香り、アク、渋み、苦みなどで身を守る必要があるのです。そうした防御物質は1万種はあると云われ、今現在1,000種類ほどが確認されているそうです。中でもその抗酸化作用は老化や万病の元と云われる「活性酸素」を除去するのに有効で、アンチエイジングやガンなど生活習慣病の予防に大きな効果が期待されています。私たちは酸素を吸って生活しているので、放っておくと鉄が錆びるように酸化して朽ち果てる運命にあります。ミトコンドリアが活性酸素を発生し、他にも紫外線や食品添加物、タバコ、油分の多い食品などが活性酸素を発生させて身体を体内から虫食むからです。だから生命を維持するためには活性酸素を還元してやる必要があり、フィトケミカルがその重要な役割りを担っているのです。
 野菜の優れた点は、各種のビタミン、ミネラルの他に食物繊維、フィトケミカルを豊富に含んでいることで、それを十分に食べると体内の代謝を活性化し、タンパク質など他の栄養素の吸収も良くなり、免疫力が高まってガンなどの病気予防だけでなく、いつまでも若く、美しく生きる身体づくりができるのです。ただしそうした栄養素は皮の部分に多く含まれると云われ、だからよく洗って丸ごと食べるのが理想的です。私たちが生ごみ堆肥の露地栽培で、無化学肥料・無農薬・無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めているのも、健康な野菜を丸ごと食べてほしいからです。なお、和食は糖質のご飯を中心に、タンパク質中心の主菜、野菜中心の副菜、それに味噌汁と云う献立で、5大栄養素の他に食物繊維やフィトケミカルがバランスよく摂れるようにできています。和食が世界で注目されるようになった理由が理解できます。

中村丁次;けんこう325、NPO全日本健康自然食品協会

2014年7月14日月曜日

ミトコンドリア(つづき)

 生物の進化の過程で最初にできた多細胞生物は、ヒドラやイソギンチャクなど「腸」だけからなる腔腸動物だったそうです。その腸の周りにはニューロンと呼ばれる神経系の組織が作られ、腸が「脳」の役割りも果たしていたと云います。その後動物はこの腔腸動物から「昆虫」と「哺乳類」の2系統に分かれて進化し、「心臓」や「脳」は後から進化してできた器官なのだそうです。だから人間が生まれるときも最初に作られるのは腸で、順次その周りに他の組織が形成されると云います。死ぬときも「脳死」では死なず、腸の死をもって脳の働きも完全停止します。人間の腸には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞が張り巡らされ、例えば食中毒菌などの入った食べ物も、脳では判断できなくても腸が安全かどうかを判断し、おう吐や下痢などを引き起こして危険な物質を排泄し、身を守ってくれます。腸は一般に消化だけが目的の器官と考えられがちですが、実は私たちが生きるのに必要なビタミン類を合成したり、ガンを始め外敵から身を守る免疫システムを作ったり、脳に歓喜や快楽を伝えるセロトニン、気持ちを奮い立たせヤル気起こすドーパミンなども合成すると云います。つまり腸はもっとも賢い重要な臓器と考えられ、最近テレビ・新聞でやたらと腸に対する薬や食品の宣伝が目につきますが、その役割りを考えれば当然のことかも知れません。
 ところで腸には500種類以上の細菌が100兆個以上も生息し、前述の腸の役割りに大きく加担していると云います。その重さは大腸内のものだけでも2kgほどあるそうです。それらはふつう善玉菌と悪玉菌に区分けし、善玉菌の多い方が良いように云いますが、実は両者のバランスが重要なのだそうです。赤ちゃんが生まれてくるとき腸内は無菌状態にあり、何でも舐めたがるのは一度腸内を悪玉菌の大腸菌だらけにして免疫力をつけるためなのだそうです。だから「ばっちい、ばっちい」と消毒したお皿で無菌の食べ物ばかりを与えるのはよくなく、アトピー性皮膚炎で悩んでいる赤ちゃんの実に40%には、便のなかに大腸菌が全く見つからなかったと云います。子どもを強くたくましく育てようとしたら、良いことだけの無菌状態で育てるのでなく、世の中には悪い人、悪いことがいっぱいあることもきちんと教えることが大切なように、腸内にも善玉菌・悪玉菌がバランスよくたくさんあることが重要なわけです。ただ、私たちは極度に心理的、肉体的なストレスにさらされると腸内に活性酸素が発生し、善玉と云われる菌が減り悪玉と云われる菌が増えて両者のバランスが崩れ、それが原因で免疫力が低下したり、幸せや活力を感じさせるセロトニンやドーパミンが合成されなくなって体調不良になることから、悪玉と云われる菌を悪く云うわけです。この自然界では何事も拮抗することが重要で、善玉だけでも悪玉だけでもよくなく、両者が競り合う環境が大切なのです。
私たちが必要とするエネルギーは通常、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の二つのエンジンによって作られます。しかし腸の細胞はエネルギーの原料として「糖」を利用せず、小腸は「グルタミン酸」を、大腸は「脂肪酸」を原料にミトコンドリアエンジンを使ってエネルギーを作ると云います。大腸にいる膨大な数の腸内細菌が食物繊維を発酵して脂肪酸を作るからで、身体にとって野菜を始め食物繊維の多い食品が必要とされるのはこうした理由によるそうです。しかしミトコンドリアエンジンにはエネルギー代謝時に、「フリーラジカル」という活性酸素を発生する弱点があることは前回述べたとおりです。この活性酸素は良い働きもするのですが、細胞内のあらゆる物質と見境なく反応してしまう欠点があり、それが原因で腸は消化機能や免疫機能の低下を引き起こします。こうした活性酸素による腸の機能低下は、食品添加物や残留農薬の多い食品を食べたり、排気ガスやタバコの煙、電化製品からの電磁波、紫外線などによっても引き起こされると云います。しかしこれに有効なのが最近注目されるようになった、野菜や果物に含まれるフィトケミカルという抗酸化物質(ポリフェノールとかカテキンなど)です。これらにはこの活性酸素を消す力があるからで、腸が野菜や果物を必要とするのにはこうした理由もあるのです。「5 a Day」運動で野菜や果物を多く摂取することは、実は腸にとってとても大切なことであるのです。だから腸内細菌のバランスをよく保つには、腸内細菌のエサである食物繊維を多く含んだ野菜、豆類、海藻類、無精白穀類を食事の中心に据え、それに良質な細菌をいっぱい含んだ納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品を添えることがとても大切と云えます。そして化学調味料や添加物を多く含む加工食品などは極力避けることです。その上で極度なストレスのかかる生活習慣を改め、リラックスすることに心がけることが大切と云えます。
 最近、サプリメントによる栄養補給のコマーシャルが非常に目につきます。しかしある栄養素だけがそのまま素直に効くほど身体は単純ではなく、逆に身体にとっては「偏食」となり、高濃度の抽出成分による弊害さえ考えられます。拮抗作用がないからです。やはり栄養素は食事からよく噛んで摂るべきで、それにより食べ物の多くの成分が助け合ったり拮抗して、複合的に私たちの健康に寄与することをよく理解すべきだと思います。

藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)

 

2014年7月5日土曜日

ミトコンドリア

 「人間は食べ物をエネルギーにして生きている」と、食べ物と人間のエネルギー代謝の概念を最初に築いたのは、現代化学の基礎を築いたフランスのラボアジェだそうです(18世紀後半)。その少し前に「養生訓」を著した貝原益軒(18世紀初期)も、食べ物が働く力の源であることは分かっていたのでしょうが、ただエネルギーと云う概念を持っていたかどうかとなると、やはりラボアジェに軍配を上げざるを得ないかも知れません。その後ドイツを中心にエネルギーの源を探る研究が始まり、炭水化物、脂質、タンパク質の三大栄養素が発見されたと云います。
 ところでこの地球上にまだ酸素がなかったころ、生物進化の初期に出現したのは「原核生物」と呼ばれる嫌気性微生物で、そのとき微生物が使ったエネルギーは糖を原料に、酸素を使わない「解糖」という化学反応によるものでした。しかしシアノバクテリアの出現で大気中に酸素が増えてくると原核生物は生きづらくなり、酸素が好きな「α-プロテオ細菌」との共生を図り、約8億年という長い時間をかけてその細菌を自らの細胞内に取り込み、その進化の結果として生まれてきたのが、いま地球上に住む私たち脊椎動物を始め植物などの「真核生物」だと云われます。私たちの身体の細胞の中に「ミトコンドリア」という小器官がありますが、それが共生のために取り込んだ細菌の名残だと云われます(私も高校時代に大嫌いな生物で勉強し、名前だけは覚えていました)。
私たちの身体にはエネルギーを作り出すのに、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の2つのエンジンがあることを糖質制限食で触れました。解糖系はブドウ糖1分子を原料に、酸素を使わずに「ATP」というエネルギー源を2分子作ります。このときピルビン酸という物質も2分子作製され、このピルビン酸がミトコンドリア内部に運ばれると、そこで酸素を使ってさらに36分子のATPが作られます。つまり私たちの細胞内では原核生物の名残である細胞質で解糖系のエネルギー代謝が起き、続いて酸素が好きな細菌の名残のミトコンドリアで代謝が起きるのですが、生産されるエネルギーの量は酸素を使うミトコンドリア系が圧倒的に多く、生産効率が非常に良いと云えます。しかしその生成速度は解糖系によるものが圧倒的に速く、白筋(速筋)と呼ばれる瞬発力を必要とする筋肉(100m走やジャンプなど無酸素運動向きのもの)や細胞分裂の盛んな皮膚の細胞では、主に解糖系によるエネルギーが使われ、それらの細胞にはミトコンドリアの数も少ないと云われます。一方、赤筋(遅筋)と呼ばれる持久力を必要とする筋肉(水泳やジョギングなど有酸素運動向きのもの)や臓器などの一般の細胞では、ミトコンドリアで作られるエネルギーが主に使用され、細胞内のミトコンドリアの数も数百から数千と非常に多く、そこではブドウ糖の他に脂肪酸が代謝に利用されます。ただしミトコンドリアエンジンには弱点があり、エネルギーを作り出すときに電子のリーク(漏電)が起き、「フリーラジカル」という活性酸素が発生すると云います。
 子供時代は成長(細胞分裂)と瞬発力が主体で生きているためよく食べ、主に解糖系で生きていますが、大人になるにつれ段々と二つの系は調和し、中高年以降になると瞬発力より持久力が求められるようになり、エネルギーの生成は解糖系からミトコンドリア系にシフトします。だから食べる量は少なくてもよくなり、食べすぎるとかえって余った糖が脂肪に変わり、メタボになると云われます。細胞の成因から解糖系は酸素が嫌い、低温が好き、盛んに分裂増殖するというご先祖細胞(原核細胞)の性質をもち、逆にミトコンドリア系は酸素が好き、高温が好き、分裂を抑え活性酸素を発生するという性質をもち、私たちはこの全く異質な二つの生命体のバランスの上に生きているのだそうです。だから身体を酷使したり、過剰にストレスをかけると交感神経の緊張から血管収縮が強まり、血流が悪くなって低体温と低酸素を招き、解糖系が盛んになって脳梗塞や心筋梗塞、また糖尿病などメタボ関連の疾患が起きやすくなります。しかもこうした状態はミトコンドリアには不利なため分裂抑制遺伝子が機能を停止し、分裂促進遺伝子(ガン遺伝子)が活性化しやすくなります。つまりガン細胞にとってはフリーラジカルによる攻撃の恐れがなく、低温・低酸素で糖の多い解糖エンジン優位の方が増殖しやすいのです。したがってガンを治すには、ガン細胞の中で仮死状態に陥っているミトコンドリアを元気にさせることが重要で、そのためには副交感神経を優位にするような、リラックスして血流を良くしたり、適度な運動や温泉・風呂に入って身体を温めたり、深呼吸をして低体温と低酸素から脱却して免疫力を高めることが大切なのだそうです。そうすればミトコンドリアの分裂抑制機能が復活し、進行ガンでも回復に向かうと云います。
 特にミトコンドリア系主体で生きるお年寄りにとっては、ミトコンドリアが一番多い赤筋と脳神経が衰えて使えなくなると、寝たきり老人、認知症老人になると云いますから、適度な有酸素運動で筋肉量の減少を抑えたり(基礎代謝の維持)、いろんなことに好奇心を持ち、脳を使い続けることが非常に大切であると云えます。その意味である程度肉を食べることも重要なのかも知れません。
藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)
安保徹;”けんこう326”、NPO全日本健康自然食品協会


2014年6月19日木曜日

長生きするには肉を食べるな? 食べろ?

 最近、風呂の鏡で胸のあばら骨が目立つようになり、ガクゼンとしています。10年以上毎朝ストレッチをしていて、その際に腕立て伏せを100回ほどしているのですが、最近はそれもあまり効果がないのか、腕の筋肉も何となく張りがなくたるんだ感じになってきています。タニタの体重計でも、かつてはBMI値(体重kg/身長m/身長m)がチョイ太の23~24あったのが最近は21に近く、また体脂肪率も10を切る有様で、「人生も終わりに近づくと脂肪組織が細って痩せていく」と云いますが、いかんともしがたい加齢に悲哀を感じています。
 ところでわが家はこれまで、どちらかといえば菜食主義というか「伝統的和食」風の食事を主とし、肉食をあまりしてきませんでした。桜沢如一が世界に広めた「マクロビオティック」(玄米菜食)の考え方に賛同し、その流れを汲む人たちの、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)的考え方が正しいと信じてきたからです。しかし糖質制限食という全く逆の考え方があることにショックを受け、また自身の身体の変化から、「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)という本を買って読んでみました。するとさまざまな地域で百寿者(100歳以上の高齢者)の調査を行った結果、いずれの地域でも長寿者は若い世代の人たちより肉を多く食べていて、その結果、脳卒中の減少、認知症・うつ・寝たきりの予防に役立っていると云うのです。私たちの身体に最も大切な栄養素であるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできていて、多くは体内で合成されますが9種類は合成できず、「必須アミノ酸」として食べ物から摂る必要があります。この時「アミノ酸スコア」といって、その値が100に近いものほど必須アミノ酸のバランスがよいという指標があり、それによると牛乳・卵・肉・魚は100、大豆は86、玄米は68、精白米は65、小麦粉は44で、肉は人間の身体のアミノ酸構成に近く食べたときに無駄がないため、余分なアミノ酸の処理に臓器を酷使する必要がなく、身体の負担が減ってよいのだと云います。この考え方は対象がアミノ酸で糖質とは違いますが、結果的には糖質制限食に近い考え方となり、玄米菜食とは程遠いものと云えます。
 この本を読むうちに「長生き」ってなんだということになり、インターネットで1891年(明治24年)以降の平均寿命の変化を調べてみました(右図)。すると平均寿命が顕著に伸び始めるのはなんと昭和に入ってから(~1926年)のことで、それまでは男女とも「45歳」がせいぜいで、「50歳」を超えるのは戦後初の国勢調査が行われた1947年(昭和22年)以降であることが分かりました。戦後の一時、「戦死」の要素が無くなり大きな上昇がみられますが、1950年代半ばからは上昇傾向が緩やかになり、その流れのまま今日に至っていると云えます。つまりグラフを見る限り日本の伝統的和食が長寿につながっていたとは考えにくく、一方、日本人の食生活が大きく変わったのは東京オリンピック後の1965年と云われ、これを境にコメの摂取量が減り、代わって肉類と牛乳の摂取量が増えたと云われますが、しかしこれもグラフを見る限りその影響を読み取ることはできません。むしろ日本の医療費の急増が始まったのはこのころからです。平均寿命には案外、レジャー、スポーツ、自由などと云った「平和的要素」が大きいのかもしれません。
 ところで以前、こんな話しを聞いたことがあります。明治政府の招へいで日本に30年間滞在し、ドイツ医学を伝授したベルツ氏があるとき二人の人力車夫を雇い、三週間毎日、40キロを走らせたそうです。車夫の食事は米、麦、粟、ジャガイモなどの低タンパク、低脂肪の粗食だったので、氏はドイツ栄養学を運用すべく肉を食べさせたそうです。すると結果は二人とも疲労がはなはだしく募り、走破が不能になったと云います。そこで食事をもとの粗食に戻したところ、元通りに走れるようになったと云います。続いて氏は馬車と人力車とどちらが速いか、東京から日光までの100余キロで競わせたそうです。結果は馬車は馬を6回取り替えて14時間、人力車は一人で14時間半だったそうです。車体の重量差を考慮する必要がありますが、当時の車夫は馬並みの馬力を持っていて、ベルツ氏は一見「粗食」に見える日本食の威力に脱帽したと云います。
 ところで先ほど触れたアミノ酸スコアによると大豆も精白米も100に届かず、数値的には肉より劣ることになります。しかし両者はお互いに相手の不足するアミノ酸を補完する関係にあり、大豆(大豆食品)と精白米(ごはん)を一緒に食べるとスコア的には100を満たすことになるそうです。ということは、肉をご飯と一緒に食べるとかえってアミノ酸に過不足が生じ、それが「肉は食べるな」という結果につながっているのかも知れません。

2014年6月10日火曜日

生産年齢人口 (つづき)

 日本の少子高齢化問題は、私たちが考えている以上に国をむしばみ、活力を奪っているようです。なかでも「日本創生会議」が試算し公表した「消滅可能性都市」は、きわめてショッキングな数字と云えます。いま全国には1,800の自治体があるそうですが、その半分の896自治体で「若年女性」(20~39歳の子供の出産可能な女性)の人口が、2040年までに2010年に比べ50%以上減ってしまうと云う試算です。若年女性が減ると云うことは子供が生まれないわけですから、人口の減少に輪をかけることになり、医療・介護など社会保障の維持はもちろん雇用の確保も難しくなり、都市が消滅しかねないというのです。半減する自治体には県庁所在地の青森市や秋田市、また観光地の函館市までが含まれるというからオドロキです。私が住む宮津市も人口減少が止まらず、いまは2万人を切っている状態にあり他人ごとではありません。
 一人の女性が生涯に産むと見込まれる子供の数を、「合計特殊出生率」と云うそうです。これが「2.07」なら人口が維持できるのに対し、2013年はそれが1.43で2005年に過去最低値(1.26)に達した以降は微増が続いているものの、人口を維持できる水準にはほど遠く、政府もやっと「骨太の方針」に50年たっても人口1億人を維持するという目標を盛り込み、2020年をめどに少子高齢化の流れを変えることを明確にするようです。そして来年度の予算案づくりから、高齢者向けが多い社会保障予算の見直しにも取り組むようなので、高齢者にとっては段々と厳しい状況に追い込まれることになりそうです。
先日テレビで年金問題をやっていて、学生と高齢者に意見を聞いていました。学生たちが遠慮がちに「高齢者の方が恵まれている」と述べているのに対し、マージャンに興じている高齢者たちが、「決して自分たちは恵まれていない。いまの給付額に見合う以上の年金は収めてきた。いまの若者は情けない」と述べているのが気にかかりました。いくら納付されたかは知りませんが、通常であれば給付額は納付額をはるかに上回るはずであり、それに7~8人で1人の高齢者を支えていた時代と、2~3人で支えねばならない今とでは条件が全く違うからです。厚生労働省が5年に1度行う公的年金の財政検証によると、女性や高齢者が働きに出て高成長が続いたとしても、給付水準を少しづつ下げ30年後には今より2割ほど低くしないと、政府が約束する現役世代の収入の50%以上が守れないと云います。ただ、この「高成長ケース」も前提が大甘であるとの指摘があり、今回用意された「低成長ケース」の場合にはいずれも給付水準50%を切り、最悪の場合は35~37%ほどになると云うから深刻です。私たち高齢者もそろそろ真剣に甘えを捨て、自助・共助で今の社会を支えていく気構えを持たないと、子供・孫にツケを残すどころか、自分たちの生活自体が立ちいかないことになりかねません。
 日本の高齢者の年齢階級別人口1人当たりの医療費は、下図のようになるそうです*。これによると高齢者の医療費は年齢とともに上昇しますが、しかし死亡前にかかる医療費(終末医療費)は極めて高く、それも若年齢階級ほど高く、高年齢階級になるにつれそれが低くなることから、長生きするほど苦しまずに終末期を迎えられることが分かるのだそうです。つまり長生きする人ほど「ピンピンころり」になる確立が高いのだそうです。
 宮津市では昨年、地元企業、諸団体、住民参加による「みやづ環の地域づくり推進ネットワーク」が起ち上げられ、私たち「ブルーシー阿蘇」は「Eライフスタイル推進部会」に所属し、高齢者の力を活用した「エコの環」の推進を提案してきました。議論を重ねるにつれ高齢者問題がとても重要であることが認識され、いまは高齢者が率先して社会貢献すべき仕組みを作ろうと議論しています。高齢者の積極的な社会奉仕は地域の利益になるだけでなく、高齢者自身にとっても大きな生きがいとなり、「ネンネンころり」にならない歯止めになると考えられるからです。

高齢者の生存者と死亡者の年齢階級別人口1人当たりの医療費(1998)
 
 * 柴田 博;”肉を食べる人は長生きする”、PHP研究所(2013)



2014年5月28日水曜日

一週間の戦い

 家内が一週間も家を空けることが起きました。先週の月曜日、急遽病気見舞いに出かけることになり、水曜日に帰ってくる予定で出かけたのが結局土曜日になってしまったのです。これまでも遊びや何かで家内が家を空けることはときどきあったのですが、空けても2~3日どまりで、そのときはその間の私の食事を全部用意して出かけるのが家内の習いでした。これは決して私が「亭主関白」だからと云うことではなく、長い習慣として私自身が台所に立ったことが全くなく、「台所のことは任せられない」という家内の強い思いによるもので、ただ今回は準備の時間がほとんど無かったため、「カレーでいい」と云ってカレーだけを多めに作ってもらいました。
 こんなことで水曜日の昼までは何とか無事に過ごしていたのですが、家内から突然「帰りを土曜日にしたい」と急な連絡が入り、そこから私の苦しい戦いが始まりました。経験のない食事作りもさることながら、実は前日、一日中庭の草取りをしていたのですが、結構身体に負担を感じながらも少し無理をしたのが悪かったのか、朝起きると寝違えたように首から右肩にかけ激痛が走り、全く首が回らなくなっていたのです。ふだん肩こりなどしたことがなく、貼るシップ薬もないままパソコンに向かっていると痛みは増すばかりで、そうこうする内に夕食の準備にかからねばならなくなりました。冷蔵庫といってもビールの置き場所しか知らない身にとって、家内から「冷凍庫にナニ」、「冷蔵庫のどこにナニとナニ」と云われても、「省エネ」意識からか長時間扉を開けておられないのと、首が全く回らないのも手伝ってなかなかナニを見つけることができません。散々苦労してやっとジャガイモ、にんじん、キャベツ、豚肉、ホタテを見つけ、これらをフライパンで炒め醤油で適当に味付けしたのですが、蓋をかけて料理したせいか野菜からの水でちょうど「すきやき」風の炒めものができ上がりました。次にご飯を普段の土鍋ではなく小さな炊飯器で炊こうとしたのですが、お米の量と水の割合が分かりません。家内は「お米2カップに水2カップ」というのですが、それを守るとわが家の小さな炊飯器が溢れそうになります。こんなところで技術屋の厳密な計量に対する家内のいい加減さに腹を立ててもどうしようもなく、やむなく水を減らして「ままよ」とスイッチを入れました。幸いご飯は蓋を持ち上げんばかりに膨らんだものの焦げもなく、なんとかその晩は結構おいしいスキヤキごはんを食べることができました。
 翌朝になっても痛みは引かず、一日ゆっくりしようと午前も午後もゴロゴロ寝て過ごしたのですが、これがよくなかったようで、電話が鳴っても人が訪ねてきても急に起き上がることさえ難しくなってしまいました。その内にまた夕食時になり、しかし肉は前日に使い切ってなく、ホタテも半分冷蔵庫に残しておいたのがいくら探しても見つからず、たまたま見つけた冷凍シャケで昨日同様にスキヤキ風炒めを作り、それと家内から味噌のあり場所と溶かし方を教わり、ジャガイモとキノコ、豆腐で味噌汁を作りました。そしてその晩も肩の痛みと戦いながら、何とか食事を済ますことができました。
 しかし翌朝も痛みは一向に引かず、これは血のめぐりが悪いからだろうと風呂を沸かし、ゆっくり肩、首まで浸かってたっぷり汗をかきました。しかしこれが却って悪かったのか、今度は微熱が出て気分まで悪くなってしまいました。こんな様子を知った家内から、家内に代わっておばあさん(103歳)の面倒を見に帰っていた義兄に連絡が行き、彼が普段使っているシップ薬を持って駆け付けてくれました。「マッサージに連れて行ってやる」と云ってくれたのですが、気分的にまったく動く気になれず、「シップ薬で様子をみてみる」と云って一日椅子に座って本を読んだり、テレビを見たりしてジッとしていました。しかしこれがまた身体を固まらせるというかコリを進めた感じで、まさに肩で息をする状態になってしまいました。そうこうする内に水道のお湯が出ないことに気が付きました。わが家は夜間電力でお湯を沸かしているのですが、不思議に思ってコントロール盤を見ると、エラーメッセージが点灯しています。取説を見ながらコントロール盤を操作してもエラーメッセージは消えず、何故だろうと風呂場を見ると上がり湯の蛇口が開けっ放しで、水が勢いよく出ています。多分5~6時間そんな状態だったろうと思われますが、肩の痛みでそんなことにも注意が届かなくなっている自分が、まったく情けなくなる思いでした。その晩も何とか「お米1カップと水1カップ」でご飯を炊き、あとは豆腐、納豆、焼き海苔などを見つけ、それで食事を済ませましたが、肩の痛みはひどくなるばかりで、その夜は右を向いては「ギャー」、左を向いては「ギャー」と一晩中痛みに苦しめられました。
 翌朝は目が覚めても激痛のため起き上がることもできず、まるで裏返しにされたカメ同然に、手足をバタバタさせながら天井を見ているだけの状態で、やむなく一日中ジッと寝て、家内の帰ってくるのをひたすら待ちました。不思議なもので家内が帰ってくると幾分痛みも和らぎ、その夜は前日よりは少し楽に寝ることができました。
 翌日(日曜日)家内から「緊急診療所へ行ったら」と勧められたのですが、少し楽になったことから結局行かず、月曜日の夕方になってやっと外科に行く決心をしました。そして飲み薬とシップ薬を処方されたのですが、お陰で翌朝(火曜日)になると痛みがすっかり無くなっているのにビックリしました。なぜ一週間近くも痛みと戦っていたのか不思議に思えて仕方ありませんでした。ただ、今回の出来事は共に高齢で支え合って生きていくには、男も台所に立つ必要があることを切実に教えてくれ、「週に1回は料理作りを手伝う」ことを家内と話し合ったところです。



 

2014年5月14日水曜日

食糧問題

 
 昨日は全国的に夏日、真夏日となったところが非常に多く、急激な温度変化に体調を崩す人も大勢いたようで、5月というのに熱中症の対策をテレビが訴えています。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の第1作業部会報告書(2013年9月)によると、温室効果ガスの排出をいまのまま放置した「成りゆきのシナリオ」の場合、世界の平均気温は今世紀末に最大で4.8℃上昇すると云います。昨年の日本の夏は、四万十市を始め最高気温を更新する観測点がアチコチに続出する猛暑でしたが、それでも平均気温でみると、平年よりわずか1℃ほど高かったにすぎないと云われ、それを考えると4.8℃という数値のスゴサと、その計り知れない影響が心配されます。しかもいったん気温が上昇すると、たとえその後に温室効果ガスの排出量をゼロにしても、気温は思うように下がらないと云うから厄介です。

昨夏の猛暑
国際社会が目指すべき選択肢の一つに、産業革命前に比べ気温の上昇を2℃以内に抑える「2℃シナリオ」があります。しかしこれを実現するには、温室効果ガスの排出量を今世紀末までにゼロにする必要があると云われ、人口大国の中国、インドなど新興国の排出量の急増を考えると、その実現には相当厳しいものがあると云えます。
 次に横浜市で公表された第2作業部会の報告書(2014年3月)によると、「成りゆきのシナリオ」では海面の上昇は81cmにもなり、今世紀末までにアジアを中心に移住を余儀なくされる人数は、数億人に及ぶと見積もられ、地球温暖化の影響はすでにすべての大陸・海洋の水資源・食糧生産・自然生態系にハッキリ表れていて、水産物は生息域が大きく変わると同時に世界的な減少が見込まれ、農業では小麦・トウモロコシなどの主要穀物に収穫量の減少傾向が表れていると云います。一方で人口増のため食糧の需要は増えるため、4℃以上の大きな気温上昇を許すと、世界の食糧安全保障に大きな影響を与え、武力衝突の危険性も高まり、「2℃シナリオ」なら適応策も立てられるが、4℃以上になると限界を迎えると述べているそうです。
 そして第3作業部会の報告書(2014年4月)では、深刻な影響を避けるには2050年までに温室効果ガスの排出量を、2010年比で40~70%と大幅に削減する必要があると述べていて、現在の地球の温室効果ガスの平均濃度は約400ppmであるが、今世紀末の濃度が450ppmであればまだ「2℃シナリオ」実現の可能性はあるものの、ここ10年間の排出量の増加が特に大きいため、このままでは2030年に450ppmを通過してしまう可能性があり、それまでにそれなりの対策を取らないと将来の対策の選択肢が限られてしまう、つまりここ10~20年が勝負になると訴えているそうです。IPCCの報告書に従えば、「成りゆきのシナリオ」か「2℃シナリオ」か、私たちはいま人類の存亡をもかける非常に厳しい岐路に立たされていることになります。
 いま日本は食糧の6割以上を海外からの輸入に頼っています。しかしIPCCの報告書は日本の現状は国家安全保障上極めて危うく、これからは自らの食糧は自ら賄うことが自衛隊を持つ以上の意味をもってくることを教えています。高齢者が「エコの環」に取り組み、地域のために食糧の生産、確保に励むことは、これから非常に重要になってくると考えられます。