2014年8月30日土曜日

ガン対策

 日本ではガンは一生のうちに2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する病気で、1981年以降、死因のトップになっているそうです。2010年に新たにガンにかかった人は推計で80万人を超え、記録が残る1975年の約4倍にもなる急増ぶりだそうです。それにも拘らず国民の関心は低く、正しく理解されていないといった背景から、文部科学省はガン教育のモデル事業を全国の70の小中高校で始めるそうです。京都府では国に先駆け昨年度から「生命のガン教育」事業を始めていて、医師とガンの経験者が講師として学校を訪問し、医師がガンの基本知識を解説し、経験者が闘病を通しての生きる大切さを語る授業を、昨年度は20の小中高校で実施したそうです。生活習慣の大切さを子供のときから教えることは極めて重要であり、非常に前向きな取り組みではないかと思います。
 ところで先日テレビで、「BNCT(ホウ素中性子補足療法)」というガンの放射線治療についてやっていました。従来の放射線治療ではガンの周りの正常な細胞まで破壊してしまうのに対し、BNCTはガン細胞だけを破壊できる画期的なもので、日本が開発した世界最先端の技術ということでした。しかし手術は巨大な原子炉の中に患者一人を入れて行うため費用が巨額になり、そこで新たにサイクロトロンを使ったコンパクトな装置を開発し、それを近々、原発事故の被災地である福島に設置して、放射能の全く違った利用技術として世界に情報発信していくとのことでした。ガン治療については抗がん剤でも、ガン細胞だけを狙い撃ちできる「分子標的薬」なるものが開発されているそうです。ただ、こちらは患者の遺伝子タイプによって効力が違ったり、安全性、耐性、副作用などにまだ課題が多く残されているようです。また、ガンの早期発見については、1回の採血で13種類のガンを見つける検査技術の開発が、NEDOと国立ガン研究センターにより約79億円の巨費を投じて始まるそうです。上図を見て分かるように日本ではガン患者は増える一方で、だから何とかしなければというので巨額の研究費を投じ、新たな治療法の開発を進めようとする努力はよく分かります。しかしガンになってから、つまりガンが目視できるほどの大きさになってから治療したのでは、まして人間が行う治療では完治を期待するのは無理であり、医療費だけが膨らんでいくことになりかねません。
 私たちの身体は約60兆個の細胞で作られています。各細胞にはミトコンドリアと云う小器官があり、そこでエネルギーを作っていますが、メタボで内臓脂肪が異常に増えたり、過剰なストレスにさらされたり、酸素の取り込みが不十分であったり、身体を冷やしたりするとミトコンドリアの活動が不活発になり、それが細胞にガン化のきっかけを与えることになると云います。一方でミトコンドリアには細胞に異状が発生したり、それが他の細胞や器官に悪影響を及ぼしそうな場合、アポトーシスといってその細胞を自滅させる機能があると云います。また、身体を温めると免疫機能が高まり、NK細胞によるガン細胞への攻撃力も増すと云います。つまり私たちの身体には食事を腹八分に抑えたり、野菜を多く食べたり、運動をしたり、お風呂で体を温めたりしてミトコンドリアを元気にしたり、免疫システムを活発にするような生活習慣を心がけていれば、ガンがまだ細胞レベルの大きさのときに、確実にガンをやっつける機能が備わっており、進行ガンでも回復できると云います。正しい生活習慣を心がける予防医学にこそ、お金を投入すべきではないかと思います。
 ところでアメリカでは自分の遺伝子を調べ、将来ガンになりそうだと分かったら健康な内に乳房や卵巣を切除するガン対策が行われていて、女優のアンジェリーナ・ジョリー(ブラッド・ピットの奥さん)が乳房の予防切除を行ったことから、日本でも広く知られるようになり、遺伝子検査を受ける人が増えつつあると云います。しかし私たちの寿命を決めるのは遺伝的要素が30%で、残りの70%は環境因子、つまり生活習慣だと云います。たとえ遺伝的にガンを発症しやすい素因があっても、その体質にあった正しい生活習慣さえ励行していれば病気の予防だけでなく、却ってそうした素因が寿命の延長に有利に働くのだと云います。いずれにしても私たちの身体は遺伝子ですべてが決まるほど単純ではなく、まだまだ知られていない未知の分野が多いのであり、健康な内から身体の一部を取り除くようなガン対策は、あまりにも拙速な過剰防衛であり、神に対する冒涜行為だと思います。

大谷  肇  ;長生きしたければミトコンドリアの声を聞け、風詠社、2013
斉藤真嗣;体温を上げると健康になる、サンマーク出版、2009





2014年8月20日水曜日

認知症

 テレビで認知症で行方不明になっている人が1万数千人もいると云っていました。認知症の人は勝手に徘徊するため、チョッと目を離したすきに忽然と居なくなってしまうのだそうです。事故にあったり他人に迷惑をかけていないかと、家族の心労は相当なものだと云っていました。いま日本には認知症と云われる人が800万人もいるそうです。この数は鎌倉時代の日本の総人口に相当し、その数の大きさを思い知らされます。私もいま73歳。年齢的にはいつ認知症になってもおかしくない年代にあり、とても他人ごとには思えません。認知症には糖尿病などの生活習慣病の関わりも大きいようですが、やはり生きがいを持って積極的に頭を使うことが大切なのではないでしょうか。
先日テレビで「少年H」という映画がありました。丁度文庫本で読んでいたところであり、早速見てみました。少年Hのオヤジさんは洋服屋をやっていたのですが、太平洋戦争が始まると商売がやりづらくなり、消防士になります。しかし空襲で神戸市が焼き野原となり、すべてをなくしてしまうと、それまで何かと少年Hの心の支えであったオヤジさんが、すっかり魂の抜けた状態になってしまいます。しかし少年Hとお母さんが火事のとき必死に運び出したミシンを焼け跡に見つけ、掘り出し、修理し、動くようにして服が作れるとすっかり元気を回復し、また、少年Hも親元を離れる決心をするという実話に基づくストーリーでした。オヤジさんが元気を取り戻すシーンには、人間にとり「人のために働く」ということが、いかに大きな力、生きがいになるかのメッセージが込められているように思いました。
 ところで日本でテレビが普及し始めたころ、大宅壮一という評論家が「一億総白痴化」とテレビ文明を憂えていました。本とか新聞、ラジオのように、話しを読んだり聞いたりするときには、私たちはその情景をいろいろ空想したり、連想したりします。しかしテレビはそうした情景もすべて提供するため、見る者は頭を使う必要が無くなり、頭の使い方も非常に受動的になって、人間が馬鹿になってしまうのではと心配されての言葉だったと思います。いまの認知症の多さがすべてテレビ文明のセイだとは思いませんが、ただ先日、お盆で帰省していた長男家族と車で出かけたとき、「カーナビ」で起きたチョットした出来事に、「便利になりすぎる」ことは私たちから身体能力、五感をドンドン奪って、その分私たちは無能化していくのではないかと、改めて大宅壮一の言葉を思い出した次第です。
 当日は長男の車で豊岡市の「玄武洞」に出かけました。出かける前に長男が「げんぶどう」と打ち込むといくつものメニューが現れ、「どれかナー」と探しているので、「これだろう」と一つのメニューを押して出かけました。当然長男は「カーナビ」を見ながら運転し、私は見慣れた景色を見ながら横に乗っていました。豊岡市内に入ると玄武洞への標識が目に付き始めましたが、その内にその標識の距離とカーナビの距離が違うことに気が付きました。「変だナー」と思いながら乗っていると「玄武堂」というお菓子屋さんに着きました。メニューの選択間違いがとんだ笑い話になったのですが、そのとき頭を使うか使わないかの大きな差のようなものを感じました。わが家の車にはカーナビはなく、わが家ではどこへ行くにも10年ほど前に買ったロードマップを携えて出かけます。出かける前に大よその道順、場所を頭に入れ、現場に近づくと家内がロードマップを見ながら案内します。10年も経つと道が地図とはすっかり違っていたり、また、家内が方向音痴のためときどき方向指示を間違えたりします。しかしその点私は晴れの日でも曇りの日でも、太陽の位置から東西南北のどちらに向かっているかの勘に優れ、大体これまで目的地にはほとんど一発で到着できています。これをわが家では「家内ナビ」とか「勘ナビ」と呼んでいます。ときどき「喧嘩ナビ」にもなりますが、これの良いところは目的地へ向かうのに常に標識を探したり、方向や周囲の雰囲気に勘を働かせたり、記憶を呼び起こしたり、常に頭をフル回転させることです。だから数年前に初めて走った道でもよく覚えていて、「アレ! この道前に走ったことあるナー」、「確かこの先に郵便局があったのでは」と云っていると本当に郵便局が現れるのです。カーナビではこういった体験はあまりないのではと思います。
 宮津市でこの8月から取り組み始めた「”ピンと活き生き”宮津ライフ」は、生活習慣病や認知症の予防をかなり意識していますが、高齢者が常に地域社会のことを考え、行動することは、よい生きがいとなり、また頭を使うことになり、認知症の予防につながるのではと期待しています。

2014年8月7日木曜日

老人介護

 先日テレビで老人介護の問題を扱ったドラマをやっていました。「早くお迎えに来てほしい」、「早く死にたい」という老人たちが急死したことに疑問を感じた新聞記者が、老人たちの診察をしていた医者を疑うが、犯人は介護問題に熱心な別人だったと云うストーリーです。私たちは老人を前に「長生きしてネ」とか「いつまでもお元気で」という言葉を簡単に口にします。これが幼い孫とか無縁の若者から発せられる言葉だったらともかく、その老人に関わる縁者の言葉となると、介護に疲れ切った者や老人自身にとって、ビミョウな問題であることを伝える内容でした。
 いまから20年ほど前、隣組の集まりで今は亡きある人が、「都会にいる者は年に一回か二回土産を持って帰ってくればよいが、田舎で親と暮らす者はそんな訳にはいかない」と云っておられました。当時は何のことかよく理解できずにいましたが、いまわが家も家内の母親で近くに独居する103歳のおばあさんを抱え、ことの大変さをやっと理解できるようになりました。
 おばあさんは屋内でコケたり、圧迫骨折で10年以上前から歩行が困難な状態にありました。そんなことから家内は毎日手助けに通っていましたが、2年程前にまたコケ、ほとんど歩けなくなってしまいました(要介護2)。しかし自分でなんとか長椅子に移動したり、着替えをしたり、自分で食事を食べたり、ポータブルトイレで用を足すことはできます。まだまだ健啖でボケもなく、テレビを独り楽しんで見ています。歩けないとはいえ寝たきりや認知症に比べればずい分助かっています。ただお風呂だけは慣れない力仕事になるので、週3回ヘルパーさんに面倒をみてもらっています。このように書くと第三者には介護にあまり手がかからず、気楽に長寿を楽しんでいる百寿者のように映ります。しかしそれを支える家内にとっては、三度の食事の仕度から掃除、洗濯、買い物、屋敷周りの清掃、その他もろもろの些事など、わが家と2軒分の仕事を毎日こなすわけですから大変です。しかも毎日顔を突き合わせれば何かと軋轢も生じます。例えばおばあさんにすれば娘にあまり面倒を賭けたくない、まして第三者の世話にはなりたくないとの強い思いから、自分でできることは自分でやり、お風呂もヘルパーの力を借りず自分で入ろうとします。その気持ちは十分に分かるのですが、しかし家内にすれば歩けない身でひっくり返って大けがをされたら困るし、実際にこれまでも何度もコケて身動きが取れなくなっているので、自分がするからジッとしていてくれとつい口論になってしまうのです。そしてつのるイライラからつい当り散らしたり、あるいは「自分は悪い人間なのだろうか」と涙を流したりすることになります。私も家内の一生懸命な姿、疲れた切った様子を毎日見ているだけに、「よくやってるヨ。悪いことないヨ」と慰め、なだめることに神経をピリピリさせることになります。ただ残念かなこうした苦労は都会で離れて暮らす兄弟にはなかなか伝わりません。「いつも世話をかけて申し訳ない」と口では云っても、そうしたことを経験してないと想像力が働かないのです。だからたまに帰って来て、「元気やないか、高齢者の新記録を作ったらどうや」とか、「栄養のあるものを食べているか」など、こちらの苦労を知ってか知らずかの「ノー天気」な言葉を聞くと、それがまた家内をイラつかせることになるのです。こうしたことは隣近所の介護老人を抱える家ではどこも似たり寄ったりの様で、苦しい胸の内を吐露されることもしばしばです。確かに親にすれば「まだまだ自分はしっかりしている」という気持ちがどうしてもあると思います。しかし子の世話にならないと何もできない状況に陥ったら、そのときはそれがたとえ屈辱的でありつらいことであっても、それを素直に受け入れ、赤子のようにすべてを子にゆだねる覚悟も必要なのではないか、それが「老いては子に従え」という言葉ではないかと家内と話し合ったりしています。
テレビニュースによると日本女性の「平均寿命」は世界一で、男性の平均寿命も初めて80歳を超えたそうです。しかし日常生活が支障なく送れる「健康寿命」となるとどちらも10歳ほど若くなり、10年間ほどは介護や入院が必要であることが分かります。これが本人、介護者はもとより、国にとってどれほどの負担であるかを考えると、平均寿命を単純に喜んでばかりもおられません。私たち高齢者自身がもっと積極的に「ピンピンコロリ」を目指すべき時代になったと考えられます。宮津市ではこの8月から65歳以上の高齢者を対象に、「”ピンと活き生き”宮津ライフ」という運動を始めました。食生活や運動に関心を持ってもらうと同時に、高齢者の技能・知識・チエを使って「少エネ」、「少資源」な生活を見つけ、明るい町づくりを進めようとするもので、高齢者に生きがいを与え、健康寿命を延ばそうとする試みです。私たちの「エコの環」も活動内容に含まれています。


2014年7月27日日曜日

フィトケミカル

 中学生のころ家庭科の授業で、「五大栄養素」について勉強しました。炭水化物と脂肪はエネルギー源に、タンパク質は身体を作る材料に、また、ビタミン、ミネラルは少量で身体の調子を整え、潤滑油のような働きをすると勉強したように覚えています。そして試験で「ほうれん草」の栄養素を問われ、当時ポパイの漫画が流行っていて、筋肉隆々のポパイが何か難題に直面すると必ずほうれん草を食べていたことから、「タンパク質」と解答したこと、ビタミンを最初に発見したのは日本人の鈴木梅太郎だったが、世界に知られるのが遅れ第一発見者になれなかったという話しに、悔しい思いをしたことなどが懐かしく思い出されます。「食物繊維」についても勉強し、女の先生が「サツマイモなどに多く含まれ腸の運動を活発にします。だからサツマイモを食べるとオナラがよく出ます」と、恥ずかしそうに教えてくれたのを覚えています。ただ当時は食物繊維に栄養素と云う認識はなく、単に大腸の運動を促して便秘を防ぐ物質という程度の捉え方でした。しかしその後この食物繊維に血中コレステロールや血糖値を正常に保ち、心筋梗塞、糖尿病、脂質異常症、動脈硬化など、生活習慣病の予防に効果のあることが認められるようになり、いまでは「第6の栄養素」と呼ばれる様になっています。
 ところで最近、第7の栄養素として「フィトケミカル」という物質が注目されるようになってきました。いつまでも若々しく、美しく生きたいというアンチエイジングの研究と共に発見されるようになったのですが、フィトケミカルのフィト(phyto)はギリシャ語の「植物」で「植物由来の化学成分」を意味しますが、「植物性生理活性物質」とも呼ばれたりしています。食物繊維と同様に5大栄養素とは異なり、これを摂らないと特有の欠乏症を起こして最終的に死に至るといった、「生命の元」となるような栄養素ではありませんが、健康増進とか病気予防に極めて有効と云われ、カテキン、ポリフェノールなどがよく知られています。植物は動物と違って自分の好きなところへ移動することができず、過酷で変化の激しい環境でも生きていかねばなりません。だから動物とは違った自己防衛力を授かっていると云われます。つまり強い紫外線や風雨に耐え、細菌や害虫、あるいは動物から身を守るためには、「抗酸化力」、「抗菌力」の他に、色素や香り、アク、渋み、苦みなどで身を守る必要があるのです。そうした防御物質は1万種はあると云われ、今現在1,000種類ほどが確認されているそうです。中でもその抗酸化作用は老化や万病の元と云われる「活性酸素」を除去するのに有効で、アンチエイジングやガンなど生活習慣病の予防に大きな効果が期待されています。私たちは酸素を吸って生活しているので、放っておくと鉄が錆びるように酸化して朽ち果てる運命にあります。ミトコンドリアが活性酸素を発生し、他にも紫外線や食品添加物、タバコ、油分の多い食品などが活性酸素を発生させて身体を体内から虫食むからです。だから生命を維持するためには活性酸素を還元してやる必要があり、フィトケミカルがその重要な役割りを担っているのです。
 野菜の優れた点は、各種のビタミン、ミネラルの他に食物繊維、フィトケミカルを豊富に含んでいることで、それを十分に食べると体内の代謝を活性化し、タンパク質など他の栄養素の吸収も良くなり、免疫力が高まってガンなどの病気予防だけでなく、いつまでも若く、美しく生きる身体づくりができるのです。ただしそうした栄養素は皮の部分に多く含まれると云われ、だからよく洗って丸ごと食べるのが理想的です。私たちが生ごみ堆肥の露地栽培で、無化学肥料・無農薬・無畜糞堆肥にこだわった野菜づくりを進めているのも、健康な野菜を丸ごと食べてほしいからです。なお、和食は糖質のご飯を中心に、タンパク質中心の主菜、野菜中心の副菜、それに味噌汁と云う献立で、5大栄養素の他に食物繊維やフィトケミカルがバランスよく摂れるようにできています。和食が世界で注目されるようになった理由が理解できます。

中村丁次;けんこう325、NPO全日本健康自然食品協会

2014年7月14日月曜日

ミトコンドリア(つづき)

 生物の進化の過程で最初にできた多細胞生物は、ヒドラやイソギンチャクなど「腸」だけからなる腔腸動物だったそうです。その腸の周りにはニューロンと呼ばれる神経系の組織が作られ、腸が「脳」の役割りも果たしていたと云います。その後動物はこの腔腸動物から「昆虫」と「哺乳類」の2系統に分かれて進化し、「心臓」や「脳」は後から進化してできた器官なのだそうです。だから人間が生まれるときも最初に作られるのは腸で、順次その周りに他の組織が形成されると云います。死ぬときも「脳死」では死なず、腸の死をもって脳の働きも完全停止します。人間の腸には大脳に匹敵するほどの数の神経細胞が張り巡らされ、例えば食中毒菌などの入った食べ物も、脳では判断できなくても腸が安全かどうかを判断し、おう吐や下痢などを引き起こして危険な物質を排泄し、身を守ってくれます。腸は一般に消化だけが目的の器官と考えられがちですが、実は私たちが生きるのに必要なビタミン類を合成したり、ガンを始め外敵から身を守る免疫システムを作ったり、脳に歓喜や快楽を伝えるセロトニン、気持ちを奮い立たせヤル気起こすドーパミンなども合成すると云います。つまり腸はもっとも賢い重要な臓器と考えられ、最近テレビ・新聞でやたらと腸に対する薬や食品の宣伝が目につきますが、その役割りを考えれば当然のことかも知れません。
 ところで腸には500種類以上の細菌が100兆個以上も生息し、前述の腸の役割りに大きく加担していると云います。その重さは大腸内のものだけでも2kgほどあるそうです。それらはふつう善玉菌と悪玉菌に区分けし、善玉菌の多い方が良いように云いますが、実は両者のバランスが重要なのだそうです。赤ちゃんが生まれてくるとき腸内は無菌状態にあり、何でも舐めたがるのは一度腸内を悪玉菌の大腸菌だらけにして免疫力をつけるためなのだそうです。だから「ばっちい、ばっちい」と消毒したお皿で無菌の食べ物ばかりを与えるのはよくなく、アトピー性皮膚炎で悩んでいる赤ちゃんの実に40%には、便のなかに大腸菌が全く見つからなかったと云います。子どもを強くたくましく育てようとしたら、良いことだけの無菌状態で育てるのでなく、世の中には悪い人、悪いことがいっぱいあることもきちんと教えることが大切なように、腸内にも善玉菌・悪玉菌がバランスよくたくさんあることが重要なわけです。ただ、私たちは極度に心理的、肉体的なストレスにさらされると腸内に活性酸素が発生し、善玉と云われる菌が減り悪玉と云われる菌が増えて両者のバランスが崩れ、それが原因で免疫力が低下したり、幸せや活力を感じさせるセロトニンやドーパミンが合成されなくなって体調不良になることから、悪玉と云われる菌を悪く云うわけです。この自然界では何事も拮抗することが重要で、善玉だけでも悪玉だけでもよくなく、両者が競り合う環境が大切なのです。
私たちが必要とするエネルギーは通常、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の二つのエンジンによって作られます。しかし腸の細胞はエネルギーの原料として「糖」を利用せず、小腸は「グルタミン酸」を、大腸は「脂肪酸」を原料にミトコンドリアエンジンを使ってエネルギーを作ると云います。大腸にいる膨大な数の腸内細菌が食物繊維を発酵して脂肪酸を作るからで、身体にとって野菜を始め食物繊維の多い食品が必要とされるのはこうした理由によるそうです。しかしミトコンドリアエンジンにはエネルギー代謝時に、「フリーラジカル」という活性酸素を発生する弱点があることは前回述べたとおりです。この活性酸素は良い働きもするのですが、細胞内のあらゆる物質と見境なく反応してしまう欠点があり、それが原因で腸は消化機能や免疫機能の低下を引き起こします。こうした活性酸素による腸の機能低下は、食品添加物や残留農薬の多い食品を食べたり、排気ガスやタバコの煙、電化製品からの電磁波、紫外線などによっても引き起こされると云います。しかしこれに有効なのが最近注目されるようになった、野菜や果物に含まれるフィトケミカルという抗酸化物質(ポリフェノールとかカテキンなど)です。これらにはこの活性酸素を消す力があるからで、腸が野菜や果物を必要とするのにはこうした理由もあるのです。「5 a Day」運動で野菜や果物を多く摂取することは、実は腸にとってとても大切なことであるのです。だから腸内細菌のバランスをよく保つには、腸内細菌のエサである食物繊維を多く含んだ野菜、豆類、海藻類、無精白穀類を食事の中心に据え、それに良質な細菌をいっぱい含んだ納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品を添えることがとても大切と云えます。そして化学調味料や添加物を多く含む加工食品などは極力避けることです。その上で極度なストレスのかかる生活習慣を改め、リラックスすることに心がけることが大切と云えます。
 最近、サプリメントによる栄養補給のコマーシャルが非常に目につきます。しかしある栄養素だけがそのまま素直に効くほど身体は単純ではなく、逆に身体にとっては「偏食」となり、高濃度の抽出成分による弊害さえ考えられます。拮抗作用がないからです。やはり栄養素は食事からよく噛んで摂るべきで、それにより食べ物の多くの成分が助け合ったり拮抗して、複合的に私たちの健康に寄与することをよく理解すべきだと思います。

藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)

 

2014年7月5日土曜日

ミトコンドリア

 「人間は食べ物をエネルギーにして生きている」と、食べ物と人間のエネルギー代謝の概念を最初に築いたのは、現代化学の基礎を築いたフランスのラボアジェだそうです(18世紀後半)。その少し前に「養生訓」を著した貝原益軒(18世紀初期)も、食べ物が働く力の源であることは分かっていたのでしょうが、ただエネルギーと云う概念を持っていたかどうかとなると、やはりラボアジェに軍配を上げざるを得ないかも知れません。その後ドイツを中心にエネルギーの源を探る研究が始まり、炭水化物、脂質、タンパク質の三大栄養素が発見されたと云います。
 ところでこの地球上にまだ酸素がなかったころ、生物進化の初期に出現したのは「原核生物」と呼ばれる嫌気性微生物で、そのとき微生物が使ったエネルギーは糖を原料に、酸素を使わない「解糖」という化学反応によるものでした。しかしシアノバクテリアの出現で大気中に酸素が増えてくると原核生物は生きづらくなり、酸素が好きな「α-プロテオ細菌」との共生を図り、約8億年という長い時間をかけてその細菌を自らの細胞内に取り込み、その進化の結果として生まれてきたのが、いま地球上に住む私たち脊椎動物を始め植物などの「真核生物」だと云われます。私たちの身体の細胞の中に「ミトコンドリア」という小器官がありますが、それが共生のために取り込んだ細菌の名残だと云われます(私も高校時代に大嫌いな生物で勉強し、名前だけは覚えていました)。
私たちの身体にはエネルギーを作り出すのに、「解糖系」と「ミトコンドリア系」の2つのエンジンがあることを糖質制限食で触れました。解糖系はブドウ糖1分子を原料に、酸素を使わずに「ATP」というエネルギー源を2分子作ります。このときピルビン酸という物質も2分子作製され、このピルビン酸がミトコンドリア内部に運ばれると、そこで酸素を使ってさらに36分子のATPが作られます。つまり私たちの細胞内では原核生物の名残である細胞質で解糖系のエネルギー代謝が起き、続いて酸素が好きな細菌の名残のミトコンドリアで代謝が起きるのですが、生産されるエネルギーの量は酸素を使うミトコンドリア系が圧倒的に多く、生産効率が非常に良いと云えます。しかしその生成速度は解糖系によるものが圧倒的に速く、白筋(速筋)と呼ばれる瞬発力を必要とする筋肉(100m走やジャンプなど無酸素運動向きのもの)や細胞分裂の盛んな皮膚の細胞では、主に解糖系によるエネルギーが使われ、それらの細胞にはミトコンドリアの数も少ないと云われます。一方、赤筋(遅筋)と呼ばれる持久力を必要とする筋肉(水泳やジョギングなど有酸素運動向きのもの)や臓器などの一般の細胞では、ミトコンドリアで作られるエネルギーが主に使用され、細胞内のミトコンドリアの数も数百から数千と非常に多く、そこではブドウ糖の他に脂肪酸が代謝に利用されます。ただしミトコンドリアエンジンには弱点があり、エネルギーを作り出すときに電子のリーク(漏電)が起き、「フリーラジカル」という活性酸素が発生すると云います。
 子供時代は成長(細胞分裂)と瞬発力が主体で生きているためよく食べ、主に解糖系で生きていますが、大人になるにつれ段々と二つの系は調和し、中高年以降になると瞬発力より持久力が求められるようになり、エネルギーの生成は解糖系からミトコンドリア系にシフトします。だから食べる量は少なくてもよくなり、食べすぎるとかえって余った糖が脂肪に変わり、メタボになると云われます。細胞の成因から解糖系は酸素が嫌い、低温が好き、盛んに分裂増殖するというご先祖細胞(原核細胞)の性質をもち、逆にミトコンドリア系は酸素が好き、高温が好き、分裂を抑え活性酸素を発生するという性質をもち、私たちはこの全く異質な二つの生命体のバランスの上に生きているのだそうです。だから身体を酷使したり、過剰にストレスをかけると交感神経の緊張から血管収縮が強まり、血流が悪くなって低体温と低酸素を招き、解糖系が盛んになって脳梗塞や心筋梗塞、また糖尿病などメタボ関連の疾患が起きやすくなります。しかもこうした状態はミトコンドリアには不利なため分裂抑制遺伝子が機能を停止し、分裂促進遺伝子(ガン遺伝子)が活性化しやすくなります。つまりガン細胞にとってはフリーラジカルによる攻撃の恐れがなく、低温・低酸素で糖の多い解糖エンジン優位の方が増殖しやすいのです。したがってガンを治すには、ガン細胞の中で仮死状態に陥っているミトコンドリアを元気にさせることが重要で、そのためには副交感神経を優位にするような、リラックスして血流を良くしたり、適度な運動や温泉・風呂に入って身体を温めたり、深呼吸をして低体温と低酸素から脱却して免疫力を高めることが大切なのだそうです。そうすればミトコンドリアの分裂抑制機能が復活し、進行ガンでも回復に向かうと云います。
 特にミトコンドリア系主体で生きるお年寄りにとっては、ミトコンドリアが一番多い赤筋と脳神経が衰えて使えなくなると、寝たきり老人、認知症老人になると云いますから、適度な有酸素運動で筋肉量の減少を抑えたり(基礎代謝の維持)、いろんなことに好奇心を持ち、脳を使い続けることが非常に大切であると云えます。その意味である程度肉を食べることも重要なのかも知れません。
藤田紘一郎;”脳はバカ、腸はかしこい”、三五館(2013)
安保徹;”けんこう326”、NPO全日本健康自然食品協会


2014年6月19日木曜日

長生きするには肉を食べるな? 食べろ?

 最近、風呂の鏡で胸のあばら骨が目立つようになり、ガクゼンとしています。10年以上毎朝ストレッチをしていて、その際に腕立て伏せを100回ほどしているのですが、最近はそれもあまり効果がないのか、腕の筋肉も何となく張りがなくたるんだ感じになってきています。タニタの体重計でも、かつてはBMI値(体重kg/身長m/身長m)がチョイ太の23~24あったのが最近は21に近く、また体脂肪率も10を切る有様で、「人生も終わりに近づくと脂肪組織が細って痩せていく」と云いますが、いかんともしがたい加齢に悲哀を感じています。
 ところでわが家はこれまで、どちらかといえば菜食主義というか「伝統的和食」風の食事を主とし、肉食をあまりしてきませんでした。桜沢如一が世界に広めた「マクロビオティック」(玄米菜食)の考え方に賛同し、その流れを汲む人たちの、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(若杉友子)的考え方が正しいと信じてきたからです。しかし糖質制限食という全く逆の考え方があることにショックを受け、また自身の身体の変化から、「肉を食べる人は長生きする」(柴田博)という本を買って読んでみました。するとさまざまな地域で百寿者(100歳以上の高齢者)の調査を行った結果、いずれの地域でも長寿者は若い世代の人たちより肉を多く食べていて、その結果、脳卒中の減少、認知症・うつ・寝たきりの予防に役立っていると云うのです。私たちの身体に最も大切な栄養素であるタンパク質は、20種類のアミノ酸からできていて、多くは体内で合成されますが9種類は合成できず、「必須アミノ酸」として食べ物から摂る必要があります。この時「アミノ酸スコア」といって、その値が100に近いものほど必須アミノ酸のバランスがよいという指標があり、それによると牛乳・卵・肉・魚は100、大豆は86、玄米は68、精白米は65、小麦粉は44で、肉は人間の身体のアミノ酸構成に近く食べたときに無駄がないため、余分なアミノ酸の処理に臓器を酷使する必要がなく、身体の負担が減ってよいのだと云います。この考え方は対象がアミノ酸で糖質とは違いますが、結果的には糖質制限食に近い考え方となり、玄米菜食とは程遠いものと云えます。
 この本を読むうちに「長生き」ってなんだということになり、インターネットで1891年(明治24年)以降の平均寿命の変化を調べてみました(右図)。すると平均寿命が顕著に伸び始めるのはなんと昭和に入ってから(~1926年)のことで、それまでは男女とも「45歳」がせいぜいで、「50歳」を超えるのは戦後初の国勢調査が行われた1947年(昭和22年)以降であることが分かりました。戦後の一時、「戦死」の要素が無くなり大きな上昇がみられますが、1950年代半ばからは上昇傾向が緩やかになり、その流れのまま今日に至っていると云えます。つまりグラフを見る限り日本の伝統的和食が長寿につながっていたとは考えにくく、一方、日本人の食生活が大きく変わったのは東京オリンピック後の1965年と云われ、これを境にコメの摂取量が減り、代わって肉類と牛乳の摂取量が増えたと云われますが、しかしこれもグラフを見る限りその影響を読み取ることはできません。むしろ日本の医療費の急増が始まったのはこのころからです。平均寿命には案外、レジャー、スポーツ、自由などと云った「平和的要素」が大きいのかもしれません。
 ところで以前、こんな話しを聞いたことがあります。明治政府の招へいで日本に30年間滞在し、ドイツ医学を伝授したベルツ氏があるとき二人の人力車夫を雇い、三週間毎日、40キロを走らせたそうです。車夫の食事は米、麦、粟、ジャガイモなどの低タンパク、低脂肪の粗食だったので、氏はドイツ栄養学を運用すべく肉を食べさせたそうです。すると結果は二人とも疲労がはなはだしく募り、走破が不能になったと云います。そこで食事をもとの粗食に戻したところ、元通りに走れるようになったと云います。続いて氏は馬車と人力車とどちらが速いか、東京から日光までの100余キロで競わせたそうです。結果は馬車は馬を6回取り替えて14時間、人力車は一人で14時間半だったそうです。車体の重量差を考慮する必要がありますが、当時の車夫は馬並みの馬力を持っていて、ベルツ氏は一見「粗食」に見える日本食の威力に脱帽したと云います。
 ところで先ほど触れたアミノ酸スコアによると大豆も精白米も100に届かず、数値的には肉より劣ることになります。しかし両者はお互いに相手の不足するアミノ酸を補完する関係にあり、大豆(大豆食品)と精白米(ごはん)を一緒に食べるとスコア的には100を満たすことになるそうです。ということは、肉をご飯と一緒に食べるとかえってアミノ酸に過不足が生じ、それが「肉は食べるな」という結果につながっているのかも知れません。